Romancing Note

あと何回桜見られるか。

保守とリベラルについて

テレビで、選挙の日にパンケーキ食いながら「判らない」と言って投票しに行かない女性を見たので、私の知る範囲で大まかに説明を試みようと思います。

最初にこれを言っておかなければ。
政権の支持率が30%で投票率が50%だった場合、得票率に換算すると、有権者数の50%の内の60%なので、選挙をすると政権政党が政権を維持できる事になります。
政権を持っている方を与党と言い、政権を批判する方を野党と言います。
日本でも二大政党制を目指す向きもありましたが、確かに対抗勢力が割れていると、票が分散して政権交代しづらくなります。
誰に投票していいか判らない場合は政党で投票するんですけど、大学の時に友人が「日本も判りやすく保守党と労働党に改名してー」と言っていたのを思い出して、「そもそも民主政というのはどういう事か」という件に関しては私のウェブサイトの哲学ページをご覧ください。

イギリスの保守党はその名の通り保守政党で、労働党は「労働者の味方党」という意味で、リベラル政党です。
保守政党は日本なら自民党あるいは維新の会、アメリカなら共和党で、リベラル政党は日本なら社会党系あるいは旧民主党系、アメリカなら民主党です。
日本とイギリスでは第三極的な政党も作られそうになりましたが、成果と理解度の程はどうなんでしょうかね。

「ネオコン」という言葉を聞いた事ありますか?
「ネオコンサバティブ」という事で、近年新保守主義とか新自由主義とか言われて、あまり良いニュアンスではないのですが、この後詳細に説明します。
私はコンサバ系のファッションですかね、何とも言えませんね(笑)。
「リベラル」も「自由な」という意味なのですが、体制に批判する人たちを指す意味合いもあります。

比較で説明します。
保守は、タカ派(軍国主義的)、自由主義的、民族主義的(国粋主義的)、宗教的、右翼。
リベラルは、ハト派(平和主義的)、社会主義的、平等主義的、科学的、左翼。

宗教的というのは、例えば靖国神社に参拝したり、エルサレムに大使館を移したり。
信教の自由というのがあるとすれば「何がイケないんだ」という感じでもありますが、近隣諸国に植民地支配とか十字軍とかを想起させて悪い感情を持たれる事があります。
軍国主義的というのは、自民党は憲法改正を結党の理念としていて、現行憲法は平和主義的です。
ルソーは保守を「臣民」、リベラルを「市民」という言い方で表現してるんですかね。

軍歌を流しながら街宣車を走らせているのが右翼で、学生運動で火炎瓶を投げているのが左翼です。

経済政策の主な違いを。
例えば貧困問題があった時に、保守は「小さい政府」と言うんですけど、減税や規制緩和や国営事業の民営化などを政策に掲げ、リベラルは「大きい政府」と言って、教育とか社会保障の充実などの分配政策を政策に掲げます。

規制緩和というのは、例えば、「パートタイマー(アルバイト)や派遣労働者を雇ってもいい」というような物が挙げられます。
『トヨタとホンダ』という本をブックオフで見て、買おうかと思ったんですけど、予算の都合上『世界征服は可能か』という本を買って帰ってきた事があって、今思えば「無理してでも読んでおけばよかったな」と。
内容を薄い知識で推測すると、トヨタとホンダは新聞広告で期間工を募集していて、私も母に勧められた事がありまして(正気の沙汰じゃないですよね)、正社員登用の途もあるようですが、これも経団連の要請か何かの規制緩和なんでしょうかね。
日産はどうなんですかね、二万人規模のリストラや工場閉鎖などで経営再建を果たしたそうですが、これはあまり良いイメージではありませんが、新卒一括採用や終身雇用年功序列賃金的な経営をしていた場合、会社が傾いた時はそうせざるを得ないという事もありますか?
トヨタと日産は今ほとんど販売台数が同じなのですが、利益という点ではトヨタの方が数字がだいぶ上です。
この三社はF1にも参戦してましたっけ?
こういうのは一見無駄なようにも見えますが、燃費の向上などの研究にも役立っている意味もあるそうですよ。
学生の時に就職活動の時期に、「今はどこに入っても何があるか判らないから」と言われて「大企業なら何かあるでしょ」と返して、確かにシャープも他の企業が買収するような動きもありましたし、とにかく、大企業が潰れた時の全体に与える影響を考えると、国が乗り出すような事があっても別にいいのではないかとも思いますが、あまり公的権力が介入するのもどうかとも思いますし、難しいですよね。

あと、酒は酒屋でしか売っちゃイケなかったんですけど、規制を緩和して「スーパーやコンビニでも売っていい」という事にして、その結果何が起こるかというと、コンビニはつまみも売っているのでみんなコンビニで酒を買うようになって、専門店が潰れていく事になります。
昔はタバコ屋とか駄菓子屋が街角にあっておばあちゃんとかがやってたんですけど、私も子供の頃は駄菓子屋にも通ってましたし、今はそういうのも全部コンビニですかね。

となると、保守的(新自由主義的)な政策を採ると、景気は良くなるかも知れませんが、格差が広がるかも知れませんよね。
しかし、リベラルの分配政策を採るには増税しなければなりません。

「脱ダム宣言」とか言って知事に当選した人もいますが、ダムというのは、水を貯めておく意味と、ちょっとずつ流して川の氾濫を防ぐ治水の意味があります。
このように、「財政出動」という言葉もあって、これは主に公共事業つまり道路とかインフラとか箱物とかを作って地方に金を「ばらまく」んですけど、これも景気刺激策の一つであって、今もあるのか知りませんが、政治家や役人と建設業者の癒着とかで、湯水のように税金を垂れ流す事にもつながるので、これも難しい所ではあります。
税収で足りない分は国債と言って国が債券を発行して、言わば借金するんですけど、国の債務残高の問題はバカにはできなくて、財政破綻するとその国の信用も失われて、国際社会から支持されづらくなります。

結局の所、アメリカも人口が3億人で中国も13億人いますし、経済をGDPだけで見るより、国民一人一人の生産性や幸福度をどう高めるかというのも忘れてはイケないような気もします。
ヨーロッパでは消費税が20%なんて国もザラで、その代わり教育費や医療費が無料だったりするワケです。
北欧の国なんかは社会主義的でも教育水準も高いらしく、確かに「年金支給年齢になるまでエッチラオッチラやっていれば後は」って感じでもあるんでしょうかね。

結論的な事を言うと、日本は保守政党が改革政党になっているあべこべな状態であると言えます。

マスメディアの思想傾向も少し書いておきますね。
思想を鮮明に打ち出す事によって固定層を狙っている意味もあるらしいので、確かに、世論調査の結果がその報道機関によって多少差が出る事もあります。
読売新聞(日本テレビ)と産経新聞(フジテレビ)が保守系で、朝日新聞(テレビ朝日)と毎日新聞(TBS)がリベラル系です。
日経新聞は「一応中立でやらせてもらってます」と言ってましたが、テレビ東京は経済の番組が多いですよね。
日本のテレビは一応放送法によって公正中立を定められているようではありますが、テレビ局にも我々視聴者が持つイメージはありますよね(苦笑)。
『バカの壁』という本で「本当に中立なんてあるのか」と言っていましたが、私はどうなんでしょうかね。

最後に、「政治に合わせるのか、政治が合わせるのか」とだけ言っておきますけど、例えば、車が発明されたら、道路を作って道路交通法などを整備しなければイケないワケです。
インターネットだってそうで、私もこのように薄い知識で在野で放言を繰り返しているワケで、「フェイクニュースや悪口を野放しに認めていいのか」みたいな問題もあって、表現の自由というのは難しいですよね。
「そんな事もあるんだ」くらいでいいと思いますよ、これも学生の頃に友人が「最寄り駅に急行止まるようにするって言ったから投票したんですけどー」と言ったんですけど、実際の所「己の利害関係のみ考えていればいいんだ」というのも極論としては成立しそうですし、もちろんポピュリズムみたいな事になってもイケないのもその通りではあります。

私は「頭の中が伝わってるなら」という前提でヤってますけど、今の日本は民主政なんだし、たまにはこういう事も考えてみてはいかが?

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モテるオタクを目指してます

カテゴリーは文化ってなってますけど、主にサブカルの話をしようかと思います。

何でもそうでそんなに詳しくはないんですけど、私は結構日本のオタク文化は好きで、漫画もアニメもアイドルもゲームも好きですし、これらのサブカルチャーはクールジャパンの一つにも挙げられてますよね。
なぜサブカルなのかと言うと、これらも先述の通り芸術の中でも微妙な立ち位置というか、より大衆的であり、それぞれ絵画やクラシカルミュージックや囲碁将棋などと比べても子供向けでもあって親しみやすいというか、私は簡単に手に届く良い娯楽なのではないかと思ってます。
かと言ってバカにしているワケでもないですし、オタクを気持ち悪がってバカにするような人もいますけど、オタクでもちゃんとした生活を営んでいる人もいますし、「お前はオタクでもねえじゃねえか、何だと思ってんだ」と厳しいツッコみを頭の中で言ってるんですけど、フツーは普通っていう個性なんでしょうかね。
確かにオタクの中に変な奴が多いのも事実ではありますが(苦笑)。

これらはアキバ(秋葉原)や池袋や中野などが聖地になっているんですか?
私も誘われてコミケや同人イベントに行った事もありますし、アイドルの握手会に行った事もあります。

コミケは同人サークルが主にエッチな漫画を「薄い本」と言って頒布していて、買いに行く方もそれがメインイベントだったりします。
作者の性癖吐露みたいな感じでオリジナルの漫画を描いている人もいるみたいですけど、多くは既成の作品のキャラクターを使って、その作品やキャラクターへの思い入れなどを表現しているワケですが、私は「プロの作品の方が安価なのにアマチュアにファンが付く異様な世界」と言ってます。

漫画というのは基本的に線画で、西洋絵画の写実的な色彩画とはちょっと違います。
「自然に線なんて無い」と言っていた人もいますが、「線画は抽象性が高い」と言った人もいて、実際海外では浮世絵はそれなりに評価されているんでしょうかね。
確かに漫画や浮世絵は線を描いてベタ塗りみたいな所があるので、それでも個性というのは出ますし、漫画はセリフを付けたりして、物語性も持たせているワケです。
「春画」と言って、浮世絵にも性的な表現があったりして、漫画は基本的にそういう世俗的な部分を受け継いでいるのかも知れませんね。

アニメはその絵を動かした物で、ディズニーが起源なんですか?
手塚治虫が真似て日本で独特な文化にしたんでしょうかね。
私は「絵だといくらでも綺麗になるから」と言って、美少女が出てくる作品が好きなんですけど、ジブリみたいなのも観ますし、世界名作劇場みたいなのやセーラームーンとかプリキュアみたいな女の子向けの作品も結構好きで、大人になってからも「怪盗セイントテール」のアニメなどを購入して、癒されてました。
女流作家が描く少女漫画みたいな、女性が見るような作品は悪意が無く、悪役やライバルキャラは欠かせないかも知れないですけど、キャラクターも品があるので、それはそれで良いんですよね。

具体的な話をすると、「怪盗セイントテール」は、主人公が中学生でちょっとおバカだけど運動神経抜群の怪盗で、親友のシスター見習いの女の子に情報をもらって、マジシャンの親譲りのマジックを使って盗まれた物を盗み返して元の持ち主に返したりするんですけど、同級生の優等生の探偵の男に恋して、その探偵の男もセイントテールを追っているワケです。
シスターというのはキリスト教の修道女の事で、仏教の尼さんとか神道の巫女さんみたいな感じですかね。
私はこの設定だけでやられたんですけど、漫画もキャラクターや設定を最初に考えてストーリーを組み立てていく手法なんですかね、れっきとしたエンタメでもありますよね。
子供の頃はもちろん少年ジャンプの「何だか知らないけど常に戦っているような」みたいなので、最後までは読んでないですけど「ドラゴンボール」や「キャプテン翼」や「聖闘士星矢」などにもハマってゲームの作品も楽しんでましたし、「ハーメルンのバイオリン弾き」の「音楽で悪魔の軍団を倒していく」ような作品も好きでしたし、「みゆき」みたいな日常系の作品にもハマってましたよ。
「ドラえもん」も読んだり観たりはしてました。
「機動戦士ガンダム」も観ましたけど、私は「銀河漂流バイファム」が好きで、DVDも買いました。
文学ではピカレスクとかハードボイルドとか言って悪漢小説的なジャンルもあるんですけど(デカダンスと言うのかな?)、子供の頃に英雄譚とかこういう作品に触れておいた方が良いかも知れませんよ、あまり勝手な事は言えませんが。
一概に「判りやすい作品が悪い」とは言えませんが、とにかく、子供を悪人に育て上げたい親はいるんでしょうかね。

アイドルは、これも子供の憧れというか、「これくらいの女の子の憧れは女優とアイドルとモデルです」ってのもそうなのではないかと思っていて、確かにそういう人たちが悪かったら夢を売る側の人間としてはどうかとは思いますよね。
全日本女子プロレスでは「酒、タバコ、男、の三禁」というのがあったんですけど、見ている方も持っているイメージというのはありますし、規律としては判りますよね(笑)。
あと全女では「25歳定年制」というのもあって、女性は男性より早熟な傾向はあるかも知れませんが、その後の人生を考えたりもすると、勉強もできない上に稼げなかった時のリスクも考慮に入れないと、無節操に採用して人生を狂わせてもいけないワケです。
父が日本のプロ野球で「西武みたいな所は引退後も営業みたいなのをやらせればアレだから良いんだよ」と言っていましたが、本当にそういう制度でやっているのかは判りませんし、確かにその後もサポートしてくれるなら、自分が選手だったらそういう球団に行きたいですよね。
メイド喫茶みたいなので、ステージ作って歌わせるような所もあって、友人と行った時に「こういう所で働きたいっていう女の子がいるのも判るよね」と話してたんですけど、言ってみれば看板娘みたいな言葉も昔からありますし、私も「やめたアイドルがどうなるか知らないけど、『俺人脈』とか言って、そういう見た目が良い子たちを集めて金持ち向けに家政婦紹介業者みたいなのをできないかな」と考えてて、「結婚したくなったらそのまま結婚すればいいんだし」と思って、それなら男も頑張って金稼ぐようになるかも知れないだろ、と。
まあファン層の問題がありますがね(苦笑)。

とにかくこういう「kawaii」というのは日本発の文化として誇れるのではないかとも思いますが、どうなんですかね。
なんか「テレパシー誕生以前、テレパシー誕生以後」に分類できるかも知れませんが、それが文化に与えた影響にも言及できそうな気がしますよね、まあうぬぼれた見方はしない方が良いかも知れませんが。
俺なら俺と言っても良いような気もしますが、違うかも知れないからな。
「アイディア料を千円ずつ上納させれば結構な金額になるな」つってるんですけど。
こういう駆け引きがアホらしすぎて、「俺がモデルのキャラクターとどう関わるかというフィクション」という所に留めた方が良い気もしますよね(笑)。
アメコミの絵柄よりもジャパニメーションの絵柄の方が私にはしっくり来るんですが、オタク文化も応援したい所ではありますよ。

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外交および戦争と征服の法について

ネットで「アメリカに行ったら『日本へは車でどれくらいだ』と聞かれたので、バカ世界地図を作ってみました」というのを見て、私は「じゃあ橋かければいいんじゃないの?」とかツッコみながら、「東京からハワイ経由してロサンゼルスまでとか、ファイナルファンタジー5のビッグブリッヂみたいになるな」つってたんですけど、「橋の下に船通れるようにしないとイケないから。橋げたを浮かばせる方法もあるかな?」と真面目に考えて、宅地や農場も土地が無いなら洋上にビッグフロート的なのを作るのもアリかも知れませんね、そこでみんなでマグロの養殖やるとか(笑)。

最近、韓国の軍艦が日本の領海内で自衛隊の哨戒機にレーダー照射した話題を連日報道してましたけど、これはつまり「ロックオンであとは撃つだけの状態」という事で、現場の人は緊張が走ったかも知れません。
日本は「こういう事があった」と映像も交えて情報を公開したのですが、韓国政府が突っぱねたので、こじれてしまったようです。
ガンダムに例えると、ジオン公国の一兵卒のザクが自分の判断で攻撃してしまって、それがきっかけで地球連邦と開戦するに至った、というのが判りやすいでしょうか。
韓国政府の指示だとすると宣戦布告に近い行為なので、そうじゃないとすれば政府が謝罪して、その軍人を軍規違反か何かで軍法会議にかけてそれなりに処罰すれば済んだ話なのですが、韓国もいつものように日本を悪者にするような言動をしたために、日本では悪い感情を持ってしまった人も多いんだと思います。
確かに胸糞悪い話ではあります。
いずれにしても日本の自衛隊は、こういう時に撃たれる前に先制攻撃するのも憲法9条によって微妙な行為になっているので、「ただ撃ち落とされるのを待ってから反撃するのか」というので、集団的自衛権と合わせて憲法改正の主な争点もそこになっています。
集団的自衛権というのは、仮にそこにアメリカの戦艦か何かがいた場合、哨戒機というのは偵察機のような物で丸腰なので、アメリカの戦艦が代わりに攻撃するかという事で、日本とアメリカが逆の立場になった時に、日本はその行為が認められていないワケですが、そうすると他国の戦争に巻き込まれて、それは憲法で認められている自衛の戦争ではなくなってしまいます。
実を言うと、私も平和主義は貫いた方が良いとも思ってますし、この事に関しては結論は出せません、国民投票になったらどうしようかな(苦笑)。

という事で、ちょっと考えてみたのでお付き合いください。

「そもそも権威や権力というのはどこから来るのか」という話になった時に、例えば自衛隊は事実上日本の正規軍なんですけど、海賊の「賊」、つまり非正規の勢力は賊軍と呼ぶワケです。
イスラム国も、言ってしまえば国境をまたいだ山賊軍団になるワケで、後ろ盾が無い場合、どうやって勢力を維持するかとなったら掠奪するしかなく、加えてテロや虐殺や人身売買とか、そんな事をしていれば一般市民の支持を得られなくなって、税金で成り立っている正当な権力と争う事になります。
「勝てば官軍」というのは「勝ったら鼻高々」という意味ですが、確かに勝った方が正当な権力になる場合もあるでしょう。

あと、正規軍を保持していたとしても、その国の政権が搾取や虐殺などの不法を働いていた場合、他国に攻め込まれる大義を与えて、反乱分子に加担されたりして軍事介入されるかも知れません。
また、侵略行為も諸外国の反感を買って、多国籍軍を結成されて袋叩きにされるかも知れませんよね。

戦国時代とは言ってもその実はただの内戦だったりするのですが、例えば、弁髪を強制したり、植民地化して日本語を押し付けたり、その国の文化を根こそぎ変えようとしたりすると、後々被支配民族の抵抗感を生む因子になり得るのは歴史を見ても判りますよね。
ネットニュースで、「韓国で『日本人になりたい』と言って少女像(慰安婦像)の足元に日の丸と旭日旗を置いた学生が逮捕された」というのを見ましたが、「日本で原爆ドームの前で星条旗を掲げて『アメリカ人になりたい』と言ったら逮捕されるのかなあ」と思って、日本においてアメリカがそれほど恨まれなかったのは、その前がほとんど軍事政権のような物だったりして、天皇を廃して英語を押し付けたりしなかったという要素があるのでしょうか?
いい加減な事は言えませんが、こういうのは国民性という先天性と教育という後天性から来る物と思われます。
それでも反米感情を抱いている人もいるので、右翼は親米右翼と嫌米右翼がいますが、左翼はだいたい反米だったりするようですね。

ルソーはアメリカを「西インド」と呼び、ニーチェは「ヨーロッパの混血種族」と呼んでいます。
私の解釈が正しければですが。
ヨーロッパは世界を植民地化してきたワケですが、世界初の株式会社である東インド会社というのはそういう事で、ヨーロッパからインドに行くのにはアフリカ最南端の喜望峰を回って行かなければならなかったんですけど、西回りでインドに行こうとしてぶつかったのが新大陸(アメリカ大陸)という事です。
ネイティブアメリカン(アメリカ先住民)の事をインディアンと言いますよね、インド人と同様赤褐色人と言われますが、モンゴロイドなのかな?
白人はコーカソイドで、黒人はネグロイドです。
中学校の時に友人が国際興業観光のバスの車体に描かれている「KKK」というのを指して「ヤバい」と言ってゲラゲラ笑ってたのですが、KKKと言うのはクークラックスクランという過激派白人至上主義団体の事で、白いトンガリ帽のマスクでやって来て黒人やインディアンを迫害するワケです。
確かに弱い者が強い者に対して権利を主張するというのがどうなのか、という問題はあります。

第二次世界大戦の日独伊三国同盟ですが、高校の時に友人が「ドイツに行ったら『次はイタリア抜きでやろうぜ』って言われる、って言ってた」と言っていましたが、当時のドイツは民主的な方法で「ゲルマン民族は世界一優秀な民族である」という優生学を主張するナチスを選出していました。
哲学書で「音楽でナントカカントカしたのはドイツとイタリアだけであって」というのも読みましたが、未読ですがルソーも「言語音楽論」と言ってまして、私も正直な所そんな感覚は持ってます。
ゲルマン人とかノルマン人とかの北方系の人たちをアングロサクソンと言いますが、WASPと言って実際アメリカの支配階層はこういう人たちが多いらしく、ヨーロッパの中の南方系の人たちの事をラテン系と言います。
ケルト系というのもあります。
ちなみに日独伊は、ローマ帝国はともかく世界で植民地を持っていませんでした。
これらの国の言葉を話す国はありませんよね。

話が逸れ気味になった感じですが、ここで具体的な戦争のあり方について少し論じたいと思います。

東洋の戦争は一騎討ちが主で、元寇の時に、日本の武士が「我こそは~」と名乗ったら元の軍隊に笑われた、というエピソードがあるそうです。
確かに朝青龍とか白鵬みたいなのが沢山やってきたらひとたまりもないですよね。
中国も異民族に悩まされた事もあって、例えば秦の始皇帝は北方の国境に万里の長城を作って馬を通れなくしたりとか。
東洋の城は砦のような物で、日本の天守閣というのは本丸という一番大きい矢倉なんですけど、お殿様はそこには住まずに武家屋敷に住んでいます。
武田信玄は「人は石垣、人は城」と言って、城は建てなかったんでしたっけ?
ちなみに、豊臣秀吉は配下が優秀だったのか、築城の才能もありました。
織田信長は安土城を建てて、実際は城というのは大名の権勢を誇るような意味合いが強かったのではないかと推測されます。
城塞都市というのは、砦の中に市街地があるような物を指します。
建築というのも芸術の範疇に入る場合もあります。

あと、近代戦以前の戦争は、関ケ原とか一ヶ所に集まって「ワー」っとぶつかる感じだったのですが、現代では市街地でのゲリラ戦や空襲などで一般市民が巻き添えになったりして、戦争犯罪という点ではどうなんでしょうかね。
これでは徹底的な虐殺による力ずくの支配になりそうですが、極論として、トップだけを狙った斬首作戦になった時に、それでその国の反感を煽る事になるかも知れないとなると、現実的な征服というのはあって無いような物だとも言えるでしょう。
斬首作戦の反対は殲滅戦でしょうか。
殲滅した後に歴史を書き換えるというのも不可能かも知れませんよ。

ちなみに、織田信長の桶狭間の戦いは、有力大名の今川義元の軍が上洛する時に通る道がそこしか無かったので、そこに伏兵を潜ませて総大将の首を取った戦です。
織田徳川の連合軍の長篠の戦は、武田の騎馬隊に対して、柵を立てて三段撃ちで迎え撃ったというのが有名ですよね。
武田と上杉の川中島の戦いですけど、武田家は甲斐と信濃(現在の山梨と長野)を支配していて、海が無かったので塩が採れなかった事から、軍神と言われる越後(新潟)の上杉謙信は武田に塩を送って、これが「敵に塩を送る」という慣用句的な物になって後世に伝えられています。
忘れましたけどカントは「戦争というのはやっている奴が一番楽しいのだ」と言ってましたっけ?(笑)

このように、現代に進むにつれて、攻撃面でも防御面でも兵器を揃えるというのも重要になってきます。
北朝鮮の核開発は、ミサイルだけだとほぼ攻撃力は無きに等しいので、弾頭に核爆弾を搭載すれば攻撃力が飛躍的に増す事が考えられますが、抑止力だと思っているのか独裁体制を維持したいのか本音は知る由も無いものの、国民の状況を顧みずに軍事力だけ増強するというのは、かえって体制を維持するのにも逆効果だと言えそうです。
「死の商人」と言うんですけど、兵器を売って外貨を獲得するなら他の国でもそういう所はありますよね。
ミサイル迎撃システムというのは、ミサイルに対する地対空砲の事で、精度はともかく、いっぺんに撃ち込まれた場合に機能するのかというのは疑問ではあります。
「島国の日本で戦車は必要か」というのはありますけど、他にも、戦闘機というのは、航続距離の問題で、空母と呼ばれる戦艦で敵基地とか戦場の近くまで海上輸送してから飛ばすんですけど、「戦闘機だけ買っても空母は必要無いのか」とか。
「北朝鮮くらいだったらわざわざミサイルなんかにしないでドローン型の核爆弾にすればいいんじゃないの?」とか考えてたんですが、「コントロールするのに衛星持ってないといけないのか」とツッコんで、まあハイテクな無人の兵器の人道性という問題もありますし、生物化学兵器などもあまりよろしくないと思うのですが、どうでしょうか。

テレビで「自国防衛と一国防衛を混同してますよ」と聞いて、実際の所アメリカが経済力でも軍事力でも抜きんでているのは事実で、「他の中小国家は従属するしかないのか」という話になってきて、事実日本にも日米安全保障条約というので米軍基地がありますよね。
日米地位協定というのもあって、例えば頭の中が伝わっているとして、仮想敵国として中国や朝鮮やロシアなどを挙げますけど、実際領土問題の争点がそれぞれ尖閣や竹島や北方領土で、これらの国から領土や領海や領空と国民の生命安全を守るとすると、新冷戦と言われるように、日本もその大きなうねりの中に巻き込まれるのも仕方ない面もあるワケで、確かに一方的に守ってもらうというのも図々しい話ですよね。
主権国家という言葉もありまして、結局「一番強い者がどう振る舞うか」という問題もあり、目下民主主義的な価値観で国連はまとまっているかも知れませんが、実際法治国家みたいな事を言っても不法が通るような事もあるワケです、テレパシーとかテレパシーとかテレパシーとか。
国家(国境)という物をどう考えるかというので、民族とか言語とか、これらで区切るのは考えられますが、そもそもそれらが固定化するのは地理的な要素もあるかも知れませんね。
「服従という事を徹底的に教え込まれた者にとっては」という言葉を何かで読みましたが、自由という観念に対してどう向き合うかというのも忘れてはイケない事ではありますよね。

あと、警察も警棒や拳銃を持っているワケですが、軍隊や警察が不必要というワケにもいかないかも知れません。
先ほど言ったように、対外的な問題だけではなく、賊軍みたいなのができた時に対峙する方法がなくなるワケですから。
例えば豊臣秀吉の「刀狩」というのは、当時の国人衆という中二階に当たる支配階層が一揆を主導していたので、というような話を聞いたのですが、「検地」というのもそうなのでしょうか。
石田三成はこれを残して、「目を合わせたらちょっと頭を下げるだけでいいんだよ」という事を言ったという話を聞きました。
と言うのも、アメリカでは一般市民も銃を持っていい事になっていて、侍しか帯刀を許されていなかったのが民主主義によって一般市民も持っていいという事になったんでしょうかね。
「そっちの方が抑止になる」という事かも知れませんが、弊害の方が大きい気がしますよね、考え方がまるで違う人たちと共存するのは難しいですよね。

スパルタ教育のスパルタは古代ギリシャの一都市で、男子の軍隊教育が苛烈だった事に由来しています。
ゆとり教育とどちらが良いんでしょうかね、何事も極端はマズそうですが。
部活をやって挫折を味わうとか、好きな人に告白してフラれるとか、そういう経験をしなかった奴がどういう大人になるのかというのは確かに一理ありますが。
しかしそれでグレたりしたら元も子もないですか?
私もふざけた連中に囲まれて生きてきたのでね、その人間の本性というのが推し量れますよね。
学業なども達成感を味わうためにやってる面もあるらしいですよ、しかしそれで人生が決められるのも酷な話ではありますが。

天下人とか天下統一というのは男の原罪というか、私もそういう気にさせられることはありまして、もっとも私の場合は女性がらみで権力を持ちたいのが正直な所ではありますが。
だからと言って「みんなちょんまげにしろ」と言っているワケでもありませんよ!
では、今日はこの辺にしといたらあ(池乃めだか風に)。

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ジーザスクライストスーパースター

「ジーザスクライストスーパースター」という曲の存在は知ってるんですけど、一回しか聴いた事も無く、全く覚えてもいません。
「スター」じゃなくて「スタア」ですからね、銀幕の。

これでも小さい頃は結構テレビっ子だったんですけど、父が「幼稚園の時に先生に『好きな番組は何?』って聞かれて『ニュース』って答えたんだよ」と言ってました。
全く記憶にありませんが、今も情報を得るのは新聞や雑誌ではなく、ニュースを見る感じです。
当時も女子アナが好きだったんでしょうか?(笑)

カテゴリーがエンタメですが、「エンターテイメントとは何ぞや」という話になった時に、私は主に女性の性的な表現を期待するようなのが第一に思い浮かぶのですが、芸能人というのは、こうした、まず見た目を武器にしているというのが重要で、いくら実力があっても見てくれがよろしくなかったら元も子もないワケです。
日本の伝統的な舞台芸術のキャスティングで、「主役、二枚目、三枚目」というのがありますが、二枚目というのはハンサムで客が呼べるような役回りの人の事を指し、三枚目というのは道化役というかひょうきん者みたいな愛されキャラの人の事を指します。
ロマンシングサガの舞台化であるサガステを観に行って、笑いあり涙ありでエキサイティングなアクション(殺陣)もあって、しっかりエンターテインされて帰ってきたのですが、主役がハリードだったので、ミカエル(察してください)は二枚目という事なのでしょうか?(上沼恵美子風に)

勧善懲悪的なストーリーだと判りやすい悪役というのもいますが、戦隊ヒーローモノなどに見られるように、こういうのは子供っぽくなってしまうワケです。
プロレスラーの蝶野正洋はプロレスを「スポーツエンターテイメント」と言っています。
それに例えると、全日本プロレスというのがそうだったのですが、御大ジャイアント馬場が悪役商会の小さいおじさんを脳天唐竹割りや16文キックでバッタバッタとなぎ倒していくのが判りやすく、一方新日本プロレスは悪役を「ヒール」と呼んで、ヒールもカッコよく描かれていたりします。
こういうのは判りやすい娯楽のパターンだとも言えそうですが、芸術性を高めるなら、日常の一コマを切り取ったような「悪い人が誰も出てこない」作品になります。
ラブコメなんかは女性が好きそうなジャンルですよね。
しかしこういったものは得てしてつまらなくなりがちで、テーマというのも掴みづらく、ユーモアのセンスとか映像美とかがよほど優れてないと興奮する事も無く、オーディエンスを満足させるのは叶わないでしょう。

という事は、エンターテイメントというのは「非日常」をいかに味わわせるかというのが肝になってきて、単に風刺をやっていれば高尚というワケでもないですし、ネット掲示板で見た「面白いってただ悪口言ってるだけだろ」になってしまってはいけないワケです(笑)。

非日常なら、「1900年代のアメリカのカウンターカルチャー」という言葉を見まして、語感を説明すると、音楽ではメタルで言うギターリフのような対位旋律をカウンターメロディーと言いますが、「禁欲、勤勉、蓄財」といったようなのに反するような、「今が良ければいいじゃん!」的な考え方の遊びの事を指すのかな、と。
ヒッピーというと、麻薬やフリーセックスや音楽フェスみたいなのを思い浮かべますよね。
「グレたツッパリ(いわゆる不良とかヤンキー)とかも、学歴社会の反動で落ちこぼれてこうなる」みたいな言説を聞いた事があります。
まさに「香具師」と揶揄されるようなあまり褒められたモノではないと思うのですが、私は自分を「その中間みたいな立ち位置にいるのかな」と自己分析していて、自分を一言で言うのは難しい感じになっていると思います。
日本でも超能力やUFOや心霊現象などのオカルトが流行ってテレビでも盛んに放送されたりしていた時期もありました。
これこそ非日常の極みですよね。

三國志のゲームで、呂布という主君を次々と変えて最後にはこれも主君である暴君董卓の首を取った豪傑がいて、日本の作品では彼の武力が100なのですが、また、情義と仁徳の人と言われる善玉の劉備に仕えた「子龍一身これ胆なり」と評された趙雲が中国の作品では武力が100だという話を聞きました。
日本では「ちょいワル」な人とか面白い人がモテたりするんですが、中国では善人を欲しているという事なんでしょうかね。
社会が荒れてくるとそうなるんでしょうか、日本は平和ですな。
「アメリカでは犯罪映画が流行ってたりする」とも聞いたのですが、日本も昔はテレビで普通にヤクザ映画とかをやっていましたよね。
私も真面目な賢い女性が好きだったりしますし、エンターテイメントでは自分に無いモノを求めがちになるんでしょうかね。

結論じみた事を言うと、「アイドルはうんこしないよ」的な感覚を与えられたら、それはそれでエンターテイナーとして成功だとも言えそうですが、どうなんですかね(笑)。
「夢を売る」というのはそういう事なんでしょうか?

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「日付以外全部誤報」って言われてるんですから

タイトルについてですけど、私は浅草キッドがテレビでこう言ってファンになって、他にも「東スポ、聖教、赤旗の三大紙」とか。
東スポは「ケネディ暗殺の翌日の一面が力道山だった」らしいです。

新聞も大版の「愚民を啓蒙する」一般的なものから、「誰と誰が付き合ってる」とかのスキャンダルを扱うタブロイド版ってのもあるんですけど、タブロイド紙は大衆紙とも言われて、ハッキリ言いますと、信じたほうがバカとでも言いたいのか、嘘八百が多いみたいです。
盗撮、ストーカー、詐欺の三拍子?
ひょっとしたら扇動?
嘘のスキャンダルで人生を狂わされた人もいるみたいですよ。
古代ギリシャの民主政時代は「デマゴーグ」と呼ばれて「衆愚政治」とか。
中には本当の事も書いてあるみたいですけどね。
これは週刊誌も同様で、特に写真週刊誌などは見出しだけで勝負していると言えるでしょう。
私も子供の頃から「何でお前らがそんな事知ってんだ」と思ってましたけどね。
まあこれも娯楽の一つなんでしょうか?
「趣味は悪口」ってタレントもいますけど、ゴシップは本来「悪口」って意味なんですか?
しかしこういう所から潰したら「言論弾圧」になるんですかね。
ショーペンハウアーは「ジャーナリストというのは本来『金のために文章を書く者』という意味」と言っています。
大衆のやっかみや願望などを代弁している面もあるかも知れないので、時代を映す鏡ではあるかも知れません。

学校の教科書のような物でも間違いや嘘はありますので、自分で考える癖を身に付けた方が良いかも知れませんよ。

そもそも、誤報というより、ネットのフェイクニュース由来だったり、ただガセネタつかまされてマスコミ自体が踊らされてる可能性すら考えますが、過激な物言いとういうか「悪口書かないと売れない」みたいな話も聞きまして、それでも「さすがにねつ造はあかんわー(せいじ風に)」って感じではありますよね。

こんな事を書くと圧力をかけられて潰されるかも知れませんが、せっかく注目されてるんだったら言っておかなければならない事もあるかな、と。
いくら何でも物理的な戦力には敵わないので。
これも独り言なので、「自分の頭の中が伝わってたらどういう事になるのか」というのを考えるきっかけを掴んで頂きたく思いまして。

本題に移ります。

オリンピックは古代ギリシャにルーツを持っていて、オリンポスの神々に捧げる平和の祭典だったんですけど、フランスの貴族が現在から遠くない時代に近代オリンピックとして再開させました。
近代オリンピックも「参加する事に意義がある」と言われてアマチュアスポーツの祭典だったんですけど、近年はプロも参加できるようになって、開催費用も膨らんできた事から、スポンサーを募って商業的な色合いが濃くなっている事を指摘されたりしています。
平和の祭典なのに国がボイコットしたり組織的にドーピングしたりと、確かにオリンピックの開催意義を問われても仕方ない感じではありますけどね。
いわゆるスポーツマンシップと言うとどういった事をイメージするでしょうか。

しかしスポーツというのはアートと違って勝ち負けがある以上勝ちを目指さなければなりません。
私は勝負根性という点では劣っているので、勝負事には向いてないかも知れません。
運動神経はそれほど悪くないと思うんですが、身体能力が余りにも弱いので、「ただ好きでやってる」という感じです。
「勝ちたい」とか「負けたくない」とか、負けず嫌いというのもこういうものをやる上では必要条件かも知れません。
「負けて悔しくならなかったら終わり」というような言葉も脳裏に焼き付いてます。

例えばアートだと、幼稚園児が書いたグチャグチャの絵でも、親にしてみれば似顔絵を描いてくれた時には取っておきたくなるでしょうし、価値というのはその人にとって違ってくるので実力はスポーツほど問われないかも知れません。
私の曲も、私の事を好きだと思ってくれている人にとっては、本当に才能のある人たちの曲より大切に思ってくれているかも知れませんし、まあそういう事ですよね。

ただ、スポーツというのは勝ち負けがある以上結果というのは重要で、私の好きな将棋でもそうですけど、プレイスタイルなどでファンがついたり、特にプロスポーツでは人気というのも一つの選手を測る尺度としては重要なファクターになってきます。
観る方もやる方も別に見た目から入ってもいいと思いますけど、スポーツでも、こうした、ド素人の人とか誰からも好かれるような人間性を養うというのも忘れてはいけないかも知れませんよ。

私はプロでもないですし、ほとんど見られている事を意識はしませんけど、それでも直した方が良い所もあるのはありますよね。
意識して性格が矯正できるなら世話ないですが(笑)。
人気と実力を兼ね備えるというのが理想ではありますよね。

ワイドショーならともかくお堅いニュースなどでは芸能の情報はやらないですけど、スポーツニュースはありますよね。
これも子供の頃から「何でだろう」と思ってましたが、「例えばジャニーズやAKBがプロ野球と同じようにドームで140回コンサートをやったらあんなに客が入るのか」というのは本質的な議論で、囲碁や将棋なんかは客を入れてやるワケじゃないですけど、毎回結果が違うというのも報じるに値する代物なのかも知れません。
私は幼少期はその中間のプロレスにハマってましたけどね。

とにかくこの「メディアに取り上げられる」というのはスポーツのみならず重要で、例えば自分に合った良い音楽でも知る事が叶わなければ出会う事も無いワケであって。
ツイッターで「舞台はテレビに出られない人がやってるんですか?」というツイートを見ましたけど、実力を測る方のセンスというのも問われますよね。
情報番組でアナウンサーが「テレビに出るというのはすごいんです」と言ってましたけど、メディアというのも視聴率とか売り上げをある程度達成できなければ成り立たないのも事実でしょうし、誰に向けて作っているのか知りませんが、まあそういう事ですよね。
「芸術のための芸術」という言葉を見たんですけど、情報の取り扱いも十分気を付けてもらいたいものですな。

余談ですが、オリンピックは国家プロジェクトでもあるので、「国威発揚」と揶揄されることもあるものの、「開催日までに新幹線の開通を間に合わせよう」とか、ただの国際スポーツイベントではなくて、経済効果みたいなものも付随してくる意味もありますよ。

最悪に機嫌が悪い中で書きましたが、読んでおられる方の暇潰しくらいにはなりましたか?

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