「日付以外全部誤報」って言われてるんですから
タイトルについてですけど、私は浅草キッドがテレビでこう言ってファンになって、他にも「東スポ、聖教、赤旗の三大紙」とか。
東スポは「ケネディ暗殺の翌日の一面が力道山だった」らしいです。
新聞も大版の「愚民を啓蒙する」一般的なものから、「誰と誰が付き合ってる」とかのスキャンダルを扱うタブロイド版ってのもあるんですけど、タブロイド紙は大衆紙とも言われて、ハッキリ言いますと、信じたほうがバカとでも言いたいのか、嘘八百が多いみたいです。
盗撮、ストーカー、詐欺の三拍子?
ひょっとしたら扇動?
嘘のスキャンダルで人生を狂わされた人もいるみたいですよ。
古代ギリシャの民主政時代は「デマゴーグ」と呼ばれて「衆愚政治」とか。
中には本当の事も書いてあるみたいですけどね。
これは週刊誌も同様で、特に写真週刊誌などは見出しだけで勝負していると言えるでしょう。
私も子供の頃から「何でお前らがそんな事知ってんだ」と思ってましたけどね。
まあこれも娯楽の一つなんでしょうか?
「趣味は悪口」ってタレントもいますけど、ゴシップは本来「悪口」って意味なんですか?
しかしこういう所から潰したら「言論弾圧」になるんですかね。
ショーペンハウアーは「ジャーナリストというのは本来『金のために文章を書く者』という意味」と言っています。
大衆のやっかみや願望などを代弁している面もあるかも知れないので、時代を映す鏡ではあるかも知れません。
学校の教科書のような物でも間違いや嘘はありますので、自分で考える癖を身に付けた方が良いかも知れませんよ。
そもそも、誤報というより、ネットのフェイクニュース由来だったり、ただガセネタつかまされてマスコミ自体が踊らされてる可能性すら考えますが、過激な物言いとういうか「悪口書かないと売れない」みたいな話も聞きまして、それでも「さすがにねつ造はあかんわー(せいじ風に)」って感じではありますよね。
こんな事を書くと圧力をかけられて潰されるかも知れませんが、せっかく注目されてるんだったら言っておかなければならない事もあるかな、と。
いくら何でも物理的な戦力には敵わないので。
これも独り言なので、「自分の頭の中が伝わってたらどういう事になるのか」というのを考えるきっかけを掴んで頂きたく思いまして。
本題に移ります。
オリンピックは古代ギリシャにルーツを持っていて、オリンポスの神々に捧げる平和の祭典だったんですけど、フランスの貴族が現在から遠くない時代に近代オリンピックとして再開させました。
近代オリンピックも「参加する事に意義がある」と言われてアマチュアスポーツの祭典だったんですけど、近年はプロも参加できるようになって、開催費用も膨らんできた事から、スポンサーを募って商業的な色合いが濃くなっている事を指摘されたりしています。
平和の祭典なのに国がボイコットしたり組織的にドーピングしたりと、確かにオリンピックの開催意義を問われても仕方ない感じではありますけどね。
いわゆるスポーツマンシップと言うとどういった事をイメージするでしょうか。
しかしスポーツというのはアートと違って勝ち負けがある以上勝ちを目指さなければなりません。
私は勝負根性という点では劣っているので、勝負事には向いてないかも知れません。
運動神経はそれほど悪くないと思うんですが、身体能力が余りにも弱いので、「ただ好きでやってる」という感じです。
「勝ちたい」とか「負けたくない」とか、負けず嫌いというのもこういうものをやる上では必要条件かも知れません。
「負けて悔しくならなかったら終わり」というような言葉も脳裏に焼き付いてます。
例えばアートだと、幼稚園児が書いたグチャグチャの絵でも、親にしてみれば似顔絵を描いてくれた時には取っておきたくなるでしょうし、価値というのはその人にとって違ってくるので実力はスポーツほど問われないかも知れません。
私の曲も、私の事を好きだと思ってくれている人にとっては、本当に才能のある人たちの曲より大切に思ってくれているかも知れませんし、まあそういう事ですよね。
ただ、スポーツというのは勝ち負けがある以上結果というのは重要で、私の好きな将棋でもそうですけど、プレイスタイルなどでファンがついたり、特にプロスポーツでは人気というのも一つの選手を測る尺度としては重要なファクターになってきます。
観る方もやる方も別に見た目から入ってもいいと思いますけど、スポーツでも、こうした、ド素人の人とか誰からも好かれるような人間性を養うというのも忘れてはいけないかも知れませんよ。
私はプロでもないですし、ほとんど見られている事を意識はしませんけど、それでも直した方が良い所もあるのはありますよね。
意識して性格が矯正できるなら世話ないですが(笑)。
人気と実力を兼ね備えるというのが理想ではありますよね。
ワイドショーならともかくお堅いニュースなどでは芸能の情報はやらないですけど、スポーツニュースはありますよね。
これも子供の頃から「何でだろう」と思ってましたが、「例えばジャニーズやAKBがプロ野球と同じようにドームで140回コンサートをやったらあんなに客が入るのか」というのは本質的な議論で、囲碁や将棋なんかは客を入れてやるワケじゃないですけど、毎回結果が違うというのも報じるに値する代物なのかも知れません。
私は幼少期はその中間のプロレスにハマってましたけどね。
とにかくこの「メディアに取り上げられる」というのはスポーツのみならず重要で、例えば自分に合った良い音楽でも知る事が叶わなければ出会う事も無いワケであって。
ツイッターで「舞台はテレビに出られない人がやってるんですか?」というツイートを見ましたけど、実力を測る方のセンスというのも問われますよね。
情報番組でアナウンサーが「テレビに出るというのはすごいんです」と言ってましたけど、メディアというのも視聴率とか売り上げをある程度達成できなければ成り立たないのも事実でしょうし、誰に向けて作っているのか知りませんが、まあそういう事ですよね。
「芸術のための芸術」という言葉を見たんですけど、情報の取り扱いも十分気を付けてもらいたいものですな。
余談ですが、オリンピックは国家プロジェクトでもあるので、「国威発揚」と揶揄されることもあるものの、「開催日までに新幹線の開通を間に合わせよう」とか、ただの国際スポーツイベントではなくて、経済効果みたいなものも付随してくる意味もありますよ。
最悪に機嫌が悪い中で書きましたが、読んでおられる方の暇潰しくらいにはなりましたか?
東スポは「ケネディ暗殺の翌日の一面が力道山だった」らしいです。
新聞も大版の「愚民を啓蒙する」一般的なものから、「誰と誰が付き合ってる」とかのスキャンダルを扱うタブロイド版ってのもあるんですけど、タブロイド紙は大衆紙とも言われて、ハッキリ言いますと、信じたほうがバカとでも言いたいのか、嘘八百が多いみたいです。
盗撮、ストーカー、詐欺の三拍子?
ひょっとしたら扇動?
嘘のスキャンダルで人生を狂わされた人もいるみたいですよ。
古代ギリシャの民主政時代は「デマゴーグ」と呼ばれて「衆愚政治」とか。
中には本当の事も書いてあるみたいですけどね。
これは週刊誌も同様で、特に写真週刊誌などは見出しだけで勝負していると言えるでしょう。
私も子供の頃から「何でお前らがそんな事知ってんだ」と思ってましたけどね。
まあこれも娯楽の一つなんでしょうか?
「趣味は悪口」ってタレントもいますけど、ゴシップは本来「悪口」って意味なんですか?
しかしこういう所から潰したら「言論弾圧」になるんですかね。
ショーペンハウアーは「ジャーナリストというのは本来『金のために文章を書く者』という意味」と言っています。
大衆のやっかみや願望などを代弁している面もあるかも知れないので、時代を映す鏡ではあるかも知れません。
学校の教科書のような物でも間違いや嘘はありますので、自分で考える癖を身に付けた方が良いかも知れませんよ。
そもそも、誤報というより、ネットのフェイクニュース由来だったり、ただガセネタつかまされてマスコミ自体が踊らされてる可能性すら考えますが、過激な物言いとういうか「悪口書かないと売れない」みたいな話も聞きまして、それでも「さすがにねつ造はあかんわー(せいじ風に)」って感じではありますよね。
こんな事を書くと圧力をかけられて潰されるかも知れませんが、せっかく注目されてるんだったら言っておかなければならない事もあるかな、と。
いくら何でも物理的な戦力には敵わないので。
これも独り言なので、「自分の頭の中が伝わってたらどういう事になるのか」というのを考えるきっかけを掴んで頂きたく思いまして。
本題に移ります。
オリンピックは古代ギリシャにルーツを持っていて、オリンポスの神々に捧げる平和の祭典だったんですけど、フランスの貴族が現在から遠くない時代に近代オリンピックとして再開させました。
近代オリンピックも「参加する事に意義がある」と言われてアマチュアスポーツの祭典だったんですけど、近年はプロも参加できるようになって、開催費用も膨らんできた事から、スポンサーを募って商業的な色合いが濃くなっている事を指摘されたりしています。
平和の祭典なのに国がボイコットしたり組織的にドーピングしたりと、確かにオリンピックの開催意義を問われても仕方ない感じではありますけどね。
いわゆるスポーツマンシップと言うとどういった事をイメージするでしょうか。
しかしスポーツというのはアートと違って勝ち負けがある以上勝ちを目指さなければなりません。
私は勝負根性という点では劣っているので、勝負事には向いてないかも知れません。
運動神経はそれほど悪くないと思うんですが、身体能力が余りにも弱いので、「ただ好きでやってる」という感じです。
「勝ちたい」とか「負けたくない」とか、負けず嫌いというのもこういうものをやる上では必要条件かも知れません。
「負けて悔しくならなかったら終わり」というような言葉も脳裏に焼き付いてます。
例えばアートだと、幼稚園児が書いたグチャグチャの絵でも、親にしてみれば似顔絵を描いてくれた時には取っておきたくなるでしょうし、価値というのはその人にとって違ってくるので実力はスポーツほど問われないかも知れません。
私の曲も、私の事を好きだと思ってくれている人にとっては、本当に才能のある人たちの曲より大切に思ってくれているかも知れませんし、まあそういう事ですよね。
ただ、スポーツというのは勝ち負けがある以上結果というのは重要で、私の好きな将棋でもそうですけど、プレイスタイルなどでファンがついたり、特にプロスポーツでは人気というのも一つの選手を測る尺度としては重要なファクターになってきます。
観る方もやる方も別に見た目から入ってもいいと思いますけど、スポーツでも、こうした、ド素人の人とか誰からも好かれるような人間性を養うというのも忘れてはいけないかも知れませんよ。
私はプロでもないですし、ほとんど見られている事を意識はしませんけど、それでも直した方が良い所もあるのはありますよね。
意識して性格が矯正できるなら世話ないですが(笑)。
人気と実力を兼ね備えるというのが理想ではありますよね。
ワイドショーならともかくお堅いニュースなどでは芸能の情報はやらないですけど、スポーツニュースはありますよね。
これも子供の頃から「何でだろう」と思ってましたが、「例えばジャニーズやAKBがプロ野球と同じようにドームで140回コンサートをやったらあんなに客が入るのか」というのは本質的な議論で、囲碁や将棋なんかは客を入れてやるワケじゃないですけど、毎回結果が違うというのも報じるに値する代物なのかも知れません。
私は幼少期はその中間のプロレスにハマってましたけどね。
とにかくこの「メディアに取り上げられる」というのはスポーツのみならず重要で、例えば自分に合った良い音楽でも知る事が叶わなければ出会う事も無いワケであって。
ツイッターで「舞台はテレビに出られない人がやってるんですか?」というツイートを見ましたけど、実力を測る方のセンスというのも問われますよね。
情報番組でアナウンサーが「テレビに出るというのはすごいんです」と言ってましたけど、メディアというのも視聴率とか売り上げをある程度達成できなければ成り立たないのも事実でしょうし、誰に向けて作っているのか知りませんが、まあそういう事ですよね。
「芸術のための芸術」という言葉を見たんですけど、情報の取り扱いも十分気を付けてもらいたいものですな。
余談ですが、オリンピックは国家プロジェクトでもあるので、「国威発揚」と揶揄されることもあるものの、「開催日までに新幹線の開通を間に合わせよう」とか、ただの国際スポーツイベントではなくて、経済効果みたいなものも付随してくる意味もありますよ。
最悪に機嫌が悪い中で書きましたが、読んでおられる方の暇潰しくらいにはなりましたか?