外交および戦争と征服の法について
ネットで「アメリカに行ったら『日本へは車でどれくらいだ』と聞かれたので、バカ世界地図を作ってみました」というのを見て、私は「じゃあ橋かければいいんじゃないの?」とかツッコみながら、「東京からハワイ経由してロサンゼルスまでとか、ファイナルファンタジー5のビッグブリッヂみたいになるな」つってたんですけど、「橋の下に船通れるようにしないとイケないから。橋げたを浮かばせる方法もあるかな?」と真面目に考えて、宅地や農場も土地が無いなら洋上にビッグフロート的なのを作るのもアリかも知れませんね、そこでみんなでマグロの養殖やるとか(笑)。
最近、韓国の軍艦が日本の領海内で自衛隊の哨戒機にレーダー照射した話題を連日報道してましたけど、これはつまり「ロックオンであとは撃つだけの状態」という事で、現場の人は緊張が走ったかも知れません。
日本は「こういう事があった」と映像も交えて情報を公開したのですが、韓国政府が突っぱねたので、こじれてしまったようです。
ガンダムに例えると、ジオン公国の一兵卒のザクが自分の判断で攻撃してしまって、それがきっかけで地球連邦と開戦するに至った、というのが判りやすいでしょうか。
韓国政府の指示だとすると宣戦布告に近い行為なので、そうじゃないとすれば政府が謝罪して、その軍人を軍規違反か何かで軍法会議にかけてそれなりに処罰すれば済んだ話なのですが、韓国もいつものように日本を悪者にするような言動をしたために、日本では悪い感情を持ってしまった人も多いんだと思います。
確かに胸糞悪い話ではあります。
いずれにしても日本の自衛隊は、こういう時に撃たれる前に先制攻撃するのも憲法9条によって微妙な行為になっているので、「ただ撃ち落とされるのを待ってから反撃するのか」というので、集団的自衛権と合わせて憲法改正の主な争点もそこになっています。
集団的自衛権というのは、仮にそこにアメリカの戦艦か何かがいた場合、哨戒機というのは偵察機のような物で丸腰なので、アメリカの戦艦が代わりに攻撃するかという事で、日本とアメリカが逆の立場になった時に、日本はその行為が認められていないワケですが、そうすると他国の戦争に巻き込まれて、それは憲法で認められている自衛の戦争ではなくなってしまいます。
実を言うと、私も平和主義は貫いた方が良いとも思ってますし、この事に関しては結論は出せません、国民投票になったらどうしようかな(苦笑)。
という事で、ちょっと考えてみたのでお付き合いください。
「そもそも権威や権力というのはどこから来るのか」という話になった時に、例えば自衛隊は事実上日本の正規軍なんですけど、海賊の「賊」、つまり非正規の勢力は賊軍と呼ぶワケです。
イスラム国も、言ってしまえば国境をまたいだ山賊軍団になるワケで、後ろ盾が無い場合、どうやって勢力を維持するかとなったら掠奪するしかなく、加えてテロや虐殺や人身売買とか、そんな事をしていれば一般市民の支持を得られなくなって、税金で成り立っている正当な権力と争う事になります。
「勝てば官軍」というのは「勝ったら鼻高々」という意味ですが、確かに勝った方が正当な権力になる場合もあるでしょう。
あと、正規軍を保持していたとしても、その国の政権が搾取や虐殺などの不法を働いていた場合、他国に攻め込まれる大義を与えて、反乱分子に加担されたりして軍事介入されるかも知れません。
また、侵略行為も諸外国の反感を買って、多国籍軍を結成されて袋叩きにされるかも知れませんよね。
戦国時代とは言ってもその実はただの内戦だったりするのですが、例えば、弁髪を強制したり、植民地化して日本語を押し付けたり、その国の文化を根こそぎ変えようとしたりすると、後々被支配民族の抵抗感を生む因子になり得るのは歴史を見ても判りますよね。
ネットニュースで、「韓国で『日本人になりたい』と言って少女像(慰安婦像)の足元に日の丸と旭日旗を置いた学生が逮捕された」というのを見ましたが、「日本で原爆ドームの前で星条旗を掲げて『アメリカ人になりたい』と言ったら逮捕されるのかなあ」と思って、日本においてアメリカがそれほど恨まれなかったのは、その前がほとんど軍事政権のような物だったりして、天皇を廃して英語を押し付けたりしなかったという要素があるのでしょうか?
いい加減な事は言えませんが、こういうのは国民性という先天性と教育という後天性から来る物と思われます。
それでも反米感情を抱いている人もいるので、右翼は親米右翼と嫌米右翼がいますが、左翼はだいたい反米だったりするようですね。
ルソーはアメリカを「西インド」と呼び、ニーチェは「ヨーロッパの混血種族」と呼んでいます。
私の解釈が正しければですが。
ヨーロッパは世界を植民地化してきたワケですが、世界初の株式会社である東インド会社というのはそういう事で、ヨーロッパからインドに行くのにはアフリカ最南端の喜望峰を回って行かなければならなかったんですけど、西回りでインドに行こうとしてぶつかったのが新大陸(アメリカ大陸)という事です。
ネイティブアメリカン(アメリカ先住民)の事をインディアンと言いますよね、インド人と同様赤褐色人と言われますが、モンゴロイドなのかな?
白人はコーカソイドで、黒人はネグロイドです。
中学校の時に友人が国際興業観光のバスの車体に描かれている「KKK」というのを指して「ヤバい」と言ってゲラゲラ笑ってたのですが、KKKと言うのはクークラックスクランという過激派白人至上主義団体の事で、白いトンガリ帽のマスクでやって来て黒人やインディアンを迫害するワケです。
確かに弱い者が強い者に対して権利を主張するというのがどうなのか、という問題はあります。
第二次世界大戦の日独伊三国同盟ですが、高校の時に友人が「ドイツに行ったら『次はイタリア抜きでやろうぜ』って言われる、って言ってた」と言っていましたが、当時のドイツは民主的な方法で「ゲルマン民族は世界一優秀な民族である」という優生学を主張するナチスを選出していました。
哲学書で「音楽でナントカカントカしたのはドイツとイタリアだけであって」というのも読みましたが、未読ですがルソーも「言語音楽論」と言ってまして、私も正直な所そんな感覚は持ってます。
ゲルマン人とかノルマン人とかの北方系の人たちをアングロサクソンと言いますが、WASPと言って実際アメリカの支配階層はこういう人たちが多いらしく、ヨーロッパの中の南方系の人たちの事をラテン系と言います。
ケルト系というのもあります。
ちなみに日独伊は、ローマ帝国はともかく世界で植民地を持っていませんでした。
これらの国の言葉を話す国はありませんよね。
話が逸れ気味になった感じですが、ここで具体的な戦争のあり方について少し論じたいと思います。
東洋の戦争は一騎討ちが主で、元寇の時に、日本の武士が「我こそは~」と名乗ったら元の軍隊に笑われた、というエピソードがあるそうです。
確かに朝青龍とか白鵬みたいなのが沢山やってきたらひとたまりもないですよね。
中国も異民族に悩まされた事もあって、例えば秦の始皇帝は北方の国境に万里の長城を作って馬を通れなくしたりとか。
東洋の城は砦のような物で、日本の天守閣というのは本丸という一番大きい矢倉なんですけど、お殿様はそこには住まずに武家屋敷に住んでいます。
武田信玄は「人は石垣、人は城」と言って、城は建てなかったんでしたっけ?
ちなみに、豊臣秀吉は配下が優秀だったのか、築城の才能もありました。
織田信長は安土城を建てて、実際は城というのは大名の権勢を誇るような意味合いが強かったのではないかと推測されます。
城塞都市というのは、砦の中に市街地があるような物を指します。
建築というのも芸術の範疇に入る場合もあります。
あと、近代戦以前の戦争は、関ケ原とか一ヶ所に集まって「ワー」っとぶつかる感じだったのですが、現代では市街地でのゲリラ戦や空襲などで一般市民が巻き添えになったりして、戦争犯罪という点ではどうなんでしょうかね。
これでは徹底的な虐殺による力ずくの支配になりそうですが、極論として、トップだけを狙った斬首作戦になった時に、それでその国の反感を煽る事になるかも知れないとなると、現実的な征服というのはあって無いような物だとも言えるでしょう。
斬首作戦の反対は殲滅戦でしょうか。
殲滅した後に歴史を書き換えるというのも不可能かも知れませんよ。
ちなみに、織田信長の桶狭間の戦いは、有力大名の今川義元の軍が上洛する時に通る道がそこしか無かったので、そこに伏兵を潜ませて総大将の首を取った戦です。
織田徳川の連合軍の長篠の戦は、武田の騎馬隊に対して、柵を立てて三段撃ちで迎え撃ったというのが有名ですよね。
武田と上杉の川中島の戦いですけど、武田家は甲斐と信濃(現在の山梨と長野)を支配していて、海が無かったので塩が採れなかった事から、軍神と言われる越後(新潟)の上杉謙信は武田に塩を送って、これが「敵に塩を送る」という慣用句的な物になって後世に伝えられています。
忘れましたけどカントは「戦争というのはやっている奴が一番楽しいのだ」と言ってましたっけ?(笑)
このように、現代に進むにつれて、攻撃面でも防御面でも兵器を揃えるというのも重要になってきます。
北朝鮮の核開発は、ミサイルだけだとほぼ攻撃力は無きに等しいので、弾頭に核爆弾を搭載すれば攻撃力が飛躍的に増す事が考えられますが、抑止力だと思っているのか独裁体制を維持したいのか本音は知る由も無いものの、国民の状況を顧みずに軍事力だけ増強するというのは、かえって体制を維持するのにも逆効果だと言えそうです。
「死の商人」と言うんですけど、兵器を売って外貨を獲得するなら他の国でもそういう所はありますよね。
ミサイル迎撃システムというのは、ミサイルに対する地対空砲の事で、精度はともかく、いっぺんに撃ち込まれた場合に機能するのかというのは疑問ではあります。
「島国の日本で戦車は必要か」というのはありますけど、他にも、戦闘機というのは、航続距離の問題で、空母と呼ばれる戦艦で敵基地とか戦場の近くまで海上輸送してから飛ばすんですけど、「戦闘機だけ買っても空母は必要無いのか」とか。
「北朝鮮くらいだったらわざわざミサイルなんかにしないでドローン型の核爆弾にすればいいんじゃないの?」とか考えてたんですが、「コントロールするのに衛星持ってないといけないのか」とツッコんで、まあハイテクな無人の兵器の人道性という問題もありますし、生物化学兵器などもあまりよろしくないと思うのですが、どうでしょうか。
テレビで「自国防衛と一国防衛を混同してますよ」と聞いて、実際の所アメリカが経済力でも軍事力でも抜きんでているのは事実で、「他の中小国家は従属するしかないのか」という話になってきて、事実日本にも日米安全保障条約というので米軍基地がありますよね。
日米地位協定というのもあって、例えば頭の中が伝わっているとして、仮想敵国として中国や朝鮮やロシアなどを挙げますけど、実際領土問題の争点がそれぞれ尖閣や竹島や北方領土で、これらの国から領土や領海や領空と国民の生命安全を守るとすると、新冷戦と言われるように、日本もその大きなうねりの中に巻き込まれるのも仕方ない面もあるワケで、確かに一方的に守ってもらうというのも図々しい話ですよね。
主権国家という言葉もありまして、結局「一番強い者がどう振る舞うか」という問題もあり、目下民主主義的な価値観で国連はまとまっているかも知れませんが、実際法治国家みたいな事を言っても不法が通るような事もあるワケです、テレパシーとかテレパシーとかテレパシーとか。
国家(国境)という物をどう考えるかというので、民族とか言語とか、これらで区切るのは考えられますが、そもそもそれらが固定化するのは地理的な要素もあるかも知れませんね。
「服従という事を徹底的に教え込まれた者にとっては」という言葉を何かで読みましたが、自由という観念に対してどう向き合うかというのも忘れてはイケない事ではありますよね。
あと、警察も警棒や拳銃を持っているワケですが、軍隊や警察が不必要というワケにもいかないかも知れません。
先ほど言ったように、対外的な問題だけではなく、賊軍みたいなのができた時に対峙する方法がなくなるワケですから。
例えば豊臣秀吉の「刀狩」というのは、当時の国人衆という中二階に当たる支配階層が一揆を主導していたので、というような話を聞いたのですが、「検地」というのもそうなのでしょうか。
石田三成はこれを残して、「目を合わせたらちょっと頭を下げるだけでいいんだよ」という事を言ったという話を聞きました。
と言うのも、アメリカでは一般市民も銃を持っていい事になっていて、侍しか帯刀を許されていなかったのが民主主義によって一般市民も持っていいという事になったんでしょうかね。
「そっちの方が抑止になる」という事かも知れませんが、弊害の方が大きい気がしますよね、考え方がまるで違う人たちと共存するのは難しいですよね。
スパルタ教育のスパルタは古代ギリシャの一都市で、男子の軍隊教育が苛烈だった事に由来しています。
ゆとり教育とどちらが良いんでしょうかね、何事も極端はマズそうですが。
部活をやって挫折を味わうとか、好きな人に告白してフラれるとか、そういう経験をしなかった奴がどういう大人になるのかというのは確かに一理ありますが。
しかしそれでグレたりしたら元も子もないですか?
私もふざけた連中に囲まれて生きてきたのでね、その人間の本性というのが推し量れますよね。
学業なども達成感を味わうためにやってる面もあるらしいですよ、しかしそれで人生が決められるのも酷な話ではありますが。
天下人とか天下統一というのは男の原罪というか、私もそういう気にさせられることはありまして、もっとも私の場合は女性がらみで権力を持ちたいのが正直な所ではありますが。
だからと言って「みんなちょんまげにしろ」と言っているワケでもありませんよ!
では、今日はこの辺にしといたらあ(池乃めだか風に)。
最近、韓国の軍艦が日本の領海内で自衛隊の哨戒機にレーダー照射した話題を連日報道してましたけど、これはつまり「ロックオンであとは撃つだけの状態」という事で、現場の人は緊張が走ったかも知れません。
日本は「こういう事があった」と映像も交えて情報を公開したのですが、韓国政府が突っぱねたので、こじれてしまったようです。
ガンダムに例えると、ジオン公国の一兵卒のザクが自分の判断で攻撃してしまって、それがきっかけで地球連邦と開戦するに至った、というのが判りやすいでしょうか。
韓国政府の指示だとすると宣戦布告に近い行為なので、そうじゃないとすれば政府が謝罪して、その軍人を軍規違反か何かで軍法会議にかけてそれなりに処罰すれば済んだ話なのですが、韓国もいつものように日本を悪者にするような言動をしたために、日本では悪い感情を持ってしまった人も多いんだと思います。
確かに胸糞悪い話ではあります。
いずれにしても日本の自衛隊は、こういう時に撃たれる前に先制攻撃するのも憲法9条によって微妙な行為になっているので、「ただ撃ち落とされるのを待ってから反撃するのか」というので、集団的自衛権と合わせて憲法改正の主な争点もそこになっています。
集団的自衛権というのは、仮にそこにアメリカの戦艦か何かがいた場合、哨戒機というのは偵察機のような物で丸腰なので、アメリカの戦艦が代わりに攻撃するかという事で、日本とアメリカが逆の立場になった時に、日本はその行為が認められていないワケですが、そうすると他国の戦争に巻き込まれて、それは憲法で認められている自衛の戦争ではなくなってしまいます。
実を言うと、私も平和主義は貫いた方が良いとも思ってますし、この事に関しては結論は出せません、国民投票になったらどうしようかな(苦笑)。
という事で、ちょっと考えてみたのでお付き合いください。
「そもそも権威や権力というのはどこから来るのか」という話になった時に、例えば自衛隊は事実上日本の正規軍なんですけど、海賊の「賊」、つまり非正規の勢力は賊軍と呼ぶワケです。
イスラム国も、言ってしまえば国境をまたいだ山賊軍団になるワケで、後ろ盾が無い場合、どうやって勢力を維持するかとなったら掠奪するしかなく、加えてテロや虐殺や人身売買とか、そんな事をしていれば一般市民の支持を得られなくなって、税金で成り立っている正当な権力と争う事になります。
「勝てば官軍」というのは「勝ったら鼻高々」という意味ですが、確かに勝った方が正当な権力になる場合もあるでしょう。
あと、正規軍を保持していたとしても、その国の政権が搾取や虐殺などの不法を働いていた場合、他国に攻め込まれる大義を与えて、反乱分子に加担されたりして軍事介入されるかも知れません。
また、侵略行為も諸外国の反感を買って、多国籍軍を結成されて袋叩きにされるかも知れませんよね。
戦国時代とは言ってもその実はただの内戦だったりするのですが、例えば、弁髪を強制したり、植民地化して日本語を押し付けたり、その国の文化を根こそぎ変えようとしたりすると、後々被支配民族の抵抗感を生む因子になり得るのは歴史を見ても判りますよね。
ネットニュースで、「韓国で『日本人になりたい』と言って少女像(慰安婦像)の足元に日の丸と旭日旗を置いた学生が逮捕された」というのを見ましたが、「日本で原爆ドームの前で星条旗を掲げて『アメリカ人になりたい』と言ったら逮捕されるのかなあ」と思って、日本においてアメリカがそれほど恨まれなかったのは、その前がほとんど軍事政権のような物だったりして、天皇を廃して英語を押し付けたりしなかったという要素があるのでしょうか?
いい加減な事は言えませんが、こういうのは国民性という先天性と教育という後天性から来る物と思われます。
それでも反米感情を抱いている人もいるので、右翼は親米右翼と嫌米右翼がいますが、左翼はだいたい反米だったりするようですね。
ルソーはアメリカを「西インド」と呼び、ニーチェは「ヨーロッパの混血種族」と呼んでいます。
私の解釈が正しければですが。
ヨーロッパは世界を植民地化してきたワケですが、世界初の株式会社である東インド会社というのはそういう事で、ヨーロッパからインドに行くのにはアフリカ最南端の喜望峰を回って行かなければならなかったんですけど、西回りでインドに行こうとしてぶつかったのが新大陸(アメリカ大陸)という事です。
ネイティブアメリカン(アメリカ先住民)の事をインディアンと言いますよね、インド人と同様赤褐色人と言われますが、モンゴロイドなのかな?
白人はコーカソイドで、黒人はネグロイドです。
中学校の時に友人が国際興業観光のバスの車体に描かれている「KKK」というのを指して「ヤバい」と言ってゲラゲラ笑ってたのですが、KKKと言うのはクークラックスクランという過激派白人至上主義団体の事で、白いトンガリ帽のマスクでやって来て黒人やインディアンを迫害するワケです。
確かに弱い者が強い者に対して権利を主張するというのがどうなのか、という問題はあります。
第二次世界大戦の日独伊三国同盟ですが、高校の時に友人が「ドイツに行ったら『次はイタリア抜きでやろうぜ』って言われる、って言ってた」と言っていましたが、当時のドイツは民主的な方法で「ゲルマン民族は世界一優秀な民族である」という優生学を主張するナチスを選出していました。
哲学書で「音楽でナントカカントカしたのはドイツとイタリアだけであって」というのも読みましたが、未読ですがルソーも「言語音楽論」と言ってまして、私も正直な所そんな感覚は持ってます。
ゲルマン人とかノルマン人とかの北方系の人たちをアングロサクソンと言いますが、WASPと言って実際アメリカの支配階層はこういう人たちが多いらしく、ヨーロッパの中の南方系の人たちの事をラテン系と言います。
ケルト系というのもあります。
ちなみに日独伊は、ローマ帝国はともかく世界で植民地を持っていませんでした。
これらの国の言葉を話す国はありませんよね。
話が逸れ気味になった感じですが、ここで具体的な戦争のあり方について少し論じたいと思います。
東洋の戦争は一騎討ちが主で、元寇の時に、日本の武士が「我こそは~」と名乗ったら元の軍隊に笑われた、というエピソードがあるそうです。
確かに朝青龍とか白鵬みたいなのが沢山やってきたらひとたまりもないですよね。
中国も異民族に悩まされた事もあって、例えば秦の始皇帝は北方の国境に万里の長城を作って馬を通れなくしたりとか。
東洋の城は砦のような物で、日本の天守閣というのは本丸という一番大きい矢倉なんですけど、お殿様はそこには住まずに武家屋敷に住んでいます。
武田信玄は「人は石垣、人は城」と言って、城は建てなかったんでしたっけ?
ちなみに、豊臣秀吉は配下が優秀だったのか、築城の才能もありました。
織田信長は安土城を建てて、実際は城というのは大名の権勢を誇るような意味合いが強かったのではないかと推測されます。
城塞都市というのは、砦の中に市街地があるような物を指します。
建築というのも芸術の範疇に入る場合もあります。
あと、近代戦以前の戦争は、関ケ原とか一ヶ所に集まって「ワー」っとぶつかる感じだったのですが、現代では市街地でのゲリラ戦や空襲などで一般市民が巻き添えになったりして、戦争犯罪という点ではどうなんでしょうかね。
これでは徹底的な虐殺による力ずくの支配になりそうですが、極論として、トップだけを狙った斬首作戦になった時に、それでその国の反感を煽る事になるかも知れないとなると、現実的な征服というのはあって無いような物だとも言えるでしょう。
斬首作戦の反対は殲滅戦でしょうか。
殲滅した後に歴史を書き換えるというのも不可能かも知れませんよ。
ちなみに、織田信長の桶狭間の戦いは、有力大名の今川義元の軍が上洛する時に通る道がそこしか無かったので、そこに伏兵を潜ませて総大将の首を取った戦です。
織田徳川の連合軍の長篠の戦は、武田の騎馬隊に対して、柵を立てて三段撃ちで迎え撃ったというのが有名ですよね。
武田と上杉の川中島の戦いですけど、武田家は甲斐と信濃(現在の山梨と長野)を支配していて、海が無かったので塩が採れなかった事から、軍神と言われる越後(新潟)の上杉謙信は武田に塩を送って、これが「敵に塩を送る」という慣用句的な物になって後世に伝えられています。
忘れましたけどカントは「戦争というのはやっている奴が一番楽しいのだ」と言ってましたっけ?(笑)
このように、現代に進むにつれて、攻撃面でも防御面でも兵器を揃えるというのも重要になってきます。
北朝鮮の核開発は、ミサイルだけだとほぼ攻撃力は無きに等しいので、弾頭に核爆弾を搭載すれば攻撃力が飛躍的に増す事が考えられますが、抑止力だと思っているのか独裁体制を維持したいのか本音は知る由も無いものの、国民の状況を顧みずに軍事力だけ増強するというのは、かえって体制を維持するのにも逆効果だと言えそうです。
「死の商人」と言うんですけど、兵器を売って外貨を獲得するなら他の国でもそういう所はありますよね。
ミサイル迎撃システムというのは、ミサイルに対する地対空砲の事で、精度はともかく、いっぺんに撃ち込まれた場合に機能するのかというのは疑問ではあります。
「島国の日本で戦車は必要か」というのはありますけど、他にも、戦闘機というのは、航続距離の問題で、空母と呼ばれる戦艦で敵基地とか戦場の近くまで海上輸送してから飛ばすんですけど、「戦闘機だけ買っても空母は必要無いのか」とか。
「北朝鮮くらいだったらわざわざミサイルなんかにしないでドローン型の核爆弾にすればいいんじゃないの?」とか考えてたんですが、「コントロールするのに衛星持ってないといけないのか」とツッコんで、まあハイテクな無人の兵器の人道性という問題もありますし、生物化学兵器などもあまりよろしくないと思うのですが、どうでしょうか。
テレビで「自国防衛と一国防衛を混同してますよ」と聞いて、実際の所アメリカが経済力でも軍事力でも抜きんでているのは事実で、「他の中小国家は従属するしかないのか」という話になってきて、事実日本にも日米安全保障条約というので米軍基地がありますよね。
日米地位協定というのもあって、例えば頭の中が伝わっているとして、仮想敵国として中国や朝鮮やロシアなどを挙げますけど、実際領土問題の争点がそれぞれ尖閣や竹島や北方領土で、これらの国から領土や領海や領空と国民の生命安全を守るとすると、新冷戦と言われるように、日本もその大きなうねりの中に巻き込まれるのも仕方ない面もあるワケで、確かに一方的に守ってもらうというのも図々しい話ですよね。
主権国家という言葉もありまして、結局「一番強い者がどう振る舞うか」という問題もあり、目下民主主義的な価値観で国連はまとまっているかも知れませんが、実際法治国家みたいな事を言っても不法が通るような事もあるワケです、テレパシーとかテレパシーとかテレパシーとか。
国家(国境)という物をどう考えるかというので、民族とか言語とか、これらで区切るのは考えられますが、そもそもそれらが固定化するのは地理的な要素もあるかも知れませんね。
「服従という事を徹底的に教え込まれた者にとっては」という言葉を何かで読みましたが、自由という観念に対してどう向き合うかというのも忘れてはイケない事ではありますよね。
あと、警察も警棒や拳銃を持っているワケですが、軍隊や警察が不必要というワケにもいかないかも知れません。
先ほど言ったように、対外的な問題だけではなく、賊軍みたいなのができた時に対峙する方法がなくなるワケですから。
例えば豊臣秀吉の「刀狩」というのは、当時の国人衆という中二階に当たる支配階層が一揆を主導していたので、というような話を聞いたのですが、「検地」というのもそうなのでしょうか。
石田三成はこれを残して、「目を合わせたらちょっと頭を下げるだけでいいんだよ」という事を言ったという話を聞きました。
と言うのも、アメリカでは一般市民も銃を持っていい事になっていて、侍しか帯刀を許されていなかったのが民主主義によって一般市民も持っていいという事になったんでしょうかね。
「そっちの方が抑止になる」という事かも知れませんが、弊害の方が大きい気がしますよね、考え方がまるで違う人たちと共存するのは難しいですよね。
スパルタ教育のスパルタは古代ギリシャの一都市で、男子の軍隊教育が苛烈だった事に由来しています。
ゆとり教育とどちらが良いんでしょうかね、何事も極端はマズそうですが。
部活をやって挫折を味わうとか、好きな人に告白してフラれるとか、そういう経験をしなかった奴がどういう大人になるのかというのは確かに一理ありますが。
しかしそれでグレたりしたら元も子もないですか?
私もふざけた連中に囲まれて生きてきたのでね、その人間の本性というのが推し量れますよね。
学業なども達成感を味わうためにやってる面もあるらしいですよ、しかしそれで人生が決められるのも酷な話ではありますが。
天下人とか天下統一というのは男の原罪というか、私もそういう気にさせられることはありまして、もっとも私の場合は女性がらみで権力を持ちたいのが正直な所ではありますが。
だからと言って「みんなちょんまげにしろ」と言っているワケでもありませんよ!
では、今日はこの辺にしといたらあ(池乃めだか風に)。