Romancing Note

あと何回桜見られるか。

半生の反省

生い立ちを簡潔に。

まず出自ですが、父は官僚(キャリア組ではない)で、母は結婚してからは主婦で宗教的で、二つ下の弟が一人います。
本当はこんな事書きたくないのですが、全部伝わっているので書きますけど、私も含めて結構問題があって、察してください。
弟は「テストで90点以上取ってるのに3にされてた」と言ってました。
あと、音楽室の出入りで普通に靴を隠されたりして泣いたのを、私の担任だった音楽の先生に「言ってやれよ」と促された事もあります。
私も不当な扱いを受けているかも知れませんがね。
彼は彼で腹に据えかねる所もあったのかも知れませんが、元々の気質が弱い感じはありました。
誰のせいでこうなったのか知りませんが、全てが嘘に見えてきた上に罵詈雑言を浴びせられて生きてきたので、自分に対しては悪意しかないと思うようになっており、本当に最悪です、責任取って死んでください。
まず最初からテレパシー持ちなのを告げられていなかったので、大学を卒業してから変なほのめかし方をされて気が狂いそうになったのもあり、これが一生モノのトラウマになるでしょう。
ニーチェが「良心に不安を感じている畜群動物ども」とか「我々はジェスイットでもなければ民主主義者でもなく」とか強い口調で書き残していますが、当時のヨーロッパの社会情勢を言っているのか、英雄的テレパシー野郎の誕生を予見してそいつの境遇を想像して書いているのか、果たしてこれはどういう意味ですかね。

なんか向こうも判らないからズルズルここまで来たみたいなのが見えますよねぇ。
深遠な考えがあるとも思えないですし。
言うなれば陰謀ですが、あんまり書くとリベンジポルノ扱いですか。

以下本論。

生まれた時の事は全く覚えていません。
どの時点でテレパシーができたのかも私自身には全く伝わってきません。
母の話によると、「これなあに、これなあに」って教えてたら覚えちゃって、2歳の時には本を読んでいたという事ですが、全く覚えていませんし、本と言っても絵本の類でしょう。
ちなみに名前の欣巨は「大きな喜び」という意味で、「よしたか」と読みます。
お坊さんに字画を考えて名付けてもらったという事です。

父方の先祖は、石村平兵衛だか石村検校だかが名前が残っていて、近江商人がルーツで、幕府が江戸に開かれた時に着いてきて、苗字と帯刀を許されて、大奥などで琴や三味線を演奏したり売ったりしていたという話を母から聞きました。
石村平兵衛は琉球に行って三線を作ったとか何とか。
近江は現在の滋賀で、近江商人は「三方一両得」でしたっけ?
戦国時代は今の東京の都心あたりは何も無かったんですけど、徳川家康が、南光坊天海(明智光秀という説がある)に進言されたんだか何だかで建設されました。

都内の公務員宿舎を転々としていたそうですが、幼稚園に入って、キン肉マンとかのアニメの音楽カセットとかをよく聴いていた記憶もありますが、最近になって母が幼稚園の先生に「おちんちん見せられた」と報告されたという話を聞きました。
お絵かきの時間に迷路を描くのが流行って自分もやって見せてました(笑)。
合気道の道場にも通わされていた記憶があります。
スクーターにひかれて殺されかけた事があります。
「大丈夫?」とか言って医者も警察も呼ばず。
あと、名前も顔も忘れましたが、同学年の可愛い女の子とよく遊んで、エッチな事とまでは言いませんが、ディープだったかは覚えてないもののキス的な事などもしていたような気もします。
あと、いとこのお姉さんが好きでした。

小学校入学の時に北九州市(小倉)に引っ越して、父がファミコンを買ってきて、スーパーマリオをやってました。
友達の家でドラクエを見て、ふっかつのじゅもん(パスワード)を入力してクリアしているのを見たりして、店で父にだだをこねてドラクエ2を買ってもらって自力でクリアしてました。
やはり可愛い女の子が好きでした。
母に「自家中毒」と言われましたが、よく粗相をしていた記憶があります(笑)。
一年の時の担任の美人の先生が印象に残ってますが、二年の時に別の女の先生に替わって残念。
一年の時に、牛乳パックを資源ごみじゃなくて普通のごみ箱に捨てた奴を放課後に机に顔を伏せて手を挙げて自白させる方法で炙り出そうとした時に、二人いてその中の一人しか手を挙げなかったので、「誰だよ早くしてくれよ」とか毒づく奴が出てきた事もあり、私が手を挙げて罪をかぶって終わらせたというエピソードがあります。
やはり聖闘士星矢やキン肉マンやドラゴンボールを読んで、テスト中にテスト用紙の裏の余白に絵を描いたりしてましたけど、同級生で一人上手い奴がいて、みんなでノートに描いてもらったりしてたんですが、私は聖闘士星矢の長髪キャラの紫龍を描いてもらったのを覚えています、今どうしてるかな。
プロレスを見始めたのはこの頃で、光GENJIの歌詞をテレビで覚えて落書き帳に書いてました。
今思えば子供でしたね、当然か。

小学校三年生の始めから東京都の板橋区の赤塚新町に引っ越して、文字通り新しく団地が立ち並んでいた事もあり、ハッキリ言いますと、だからか知りませんがそこに住んでた奴らはみんな優秀で、女子も才色兼備なのが多く、小学校の立地が団地の一角だったんですけど、目を付けていたほとんどの女子が中学校からは私立に行きました。
男も中学から開成や巣鴨などに入って東大に行った奴もチラホラ。
私は公立中学に行きましたよ。

小学校の一番の思い出はドラクエ3を盗まれた事ですかね(笑)。
大人数で私の部屋に来て裏技を試したりしてたんですけど、大人数だからバレないと思ったのか知りませんが、そのあと外に遊びに行って帰ってきたら無くなってました。
遊んでばっかりで勉強を全くしてなかったので、それまでも本体ごと隠されたりしてたので、「また取り上げられたのかな」と思って、無くなった旨を親に言っても新しいのを買ってもらえず、その時の連中に話したりしてたら、その中の一人が「ほら名前書いてあるでしょ?」とか言って持ってきて、そいつの名字がアルファベットで書いてあって、即「盗んだ物に自分の名前書いただけなんじゃないか?こいつが一番怪しいな」とは思ったものの、「違ったら酷いし疑って犯人探しするのもアレだな」と思って泣き寝入りして、とにかく、火事場に戻る放火犯みたいな感じで、計画性もあるし、俺から盗むってどういう事になるか判ってないっていうアレで、騙したつもりが見破られて知力2(三國志13の蔡中と蔡和)って感じですよね。
哀れ。
浮浪者の知力が3である事を考えると。
その後も宿題を盗みに来た連中もいて、唾を吐きかけられた事もありますし、友達の家でそいつの姉に「~ちゃんが石村くんの笑い方気持ち悪くて吐きそうになるんだって、気持ち悪いから笑わないで」と言われた事もありますし、プロレスごっこで倒されて頭を踏みつけられるという屈辱を味わい、母がベランダで洗濯物を取り込んでたか何かした時に自転車で「デブ!」と叫んで走り去った奴らもいて、酷いもんでしたよ。
やはりそんなに食ってないのに太り気味だった事もあり、「垂れパイ」とか言われてあだ名は「肉男(にくお)」でした。
その辺全員思いっきりぶん殴ろうかと思いましたが、それもせず。
世が世なら手打ちだと思うんですがね、まあ平等ですな。
とにかく、「金正日は核ミサイル飛ばすならあの辺(東京23区全域)にしてくれないかなあ」と思ってたんですが、言って良い事と悪い事がありますかね、犯人捜しはしないでください。
まさにジャイアニズム!

英語の塾に通わされて、小学生の内に英検4級を取りました。
ヤマハの安いキーボードを買ってもらって、ストリングスの音でコード弾きをして自由に弾いてました。
日曜日にサッカークラブに行ってました。
ポジションは左サイドかキーパーで、微妙っていうか最初から完全に諦めてました。
将棋の駒の動かし方を教わりました。
ドラクエのスライムを主人公にした自作の漫画を描いてました。
ガンダムのカードが流行っていたので、自分で魔界塔士サガのモンスターのカードみたいなのを作ってましたけど、これも子供がやる事なので、これらのアイディアが影響を与えたなんて事もあるのか無いのか。
アイディアが枯渇して続きはしませんでしたが。
バドミントンのシャトルをカラーバットで打つ羽野球というのをやってましたよ。
最近になって父が「担任に東大に行けるだけのIQはあるって言われた」と言ってましたが、確かに数問時間切れで解けなかっただけで、どうなんでしょうかね、こうして自分で言ってて自慢話みたいで嫌ですが。

中学校に入っても、授業中はちゃんと話を聞いて塾にも通っていましたが、家では全く勉強せず、スーパーファミコンばかりやってました。
友達にパワプロと信長の野望武将風雲録を貸してもらって、パワプロは「熟練のポテンヒット」とか言って長方形のカーソルの端っこに当ててるのとか「パワーFの選手でホームラン打った」とか言ってるのを見てゲラゲラ笑いながら、武将風雲録は、最初は武力100の上杉謙信で天下統一して、他にも14代将軍足利義輝で天下統一して室町幕府再興したりとかしてましたよ。

入学式の翌日に風疹を発症して三日間休んだんですけど、その間に勝手に学級代表にされて、嫌々やってましたが、二年の時にも先生に言われて、ホントに嫌だったので断ったら才色兼備の女の子に電話で「一緒にやろうよ」とか誘われてまた学級代表になったんですが、内申点が良くなるかも知れないくらいで何の意味も無いので、時間の無駄だと思って半年で辞めて、その娘が好きだったってだけで学校に通っていたので、サッカー部もやめて公園や体育館のグラウンドなどで本当にただの遊びの草サッカーをやってました。
小中学校の時は東京大仏の裏のバッティングセンターにたまに行ってました。
英検3級を取ってNECのパソコンを買ってもらいましたが、大人になってから過去問解いてみても、軒並み99点で満点が取れません。
今2級以上取れるか判りませんが。

一年生の時に隣の席の女の子に「1~10まで英語で何て書くの?」と聞かれて、sixをsexと教えたりして、他にも全日本女子プロレスのタッグリーグでどのタッグが優勝するかを100円賭けるというので胴元になって遊んだりしてました。
時効。

音楽と美術と体育の成績は全部3だったと記憶しています。
まあ実際の実力はそんなものでしょう。

高校は都立の第4学区の中で一番偏差値が高い所に行きましたが、先述の通り学校と塾の授業だけでその他は全く勉強せず、入試の前日にもファミコンをやってたくらいなので、他の私立も一校落とされて、まあ全国レベルのエリート校に入る気も無かったから勉強もしなかったんですけど、新聞で都立高入試の答え合わせをしたら500点満点中490点でした。
頭の中が伝わっているのにカンニングという事はないですよ、むしろ他の連中が私のをカンニングするという事もあったかもしれませんが(笑)。
しかし高校に入って各教科が専門的になってくるとそれも通用しなくなり、「まあ俺の才能はこんなもんか」と思って、部活には毎日出てましたが、家ではやはりゲームとDTM(デスクトップミュージック)ばかりやってました。
どんな音楽をやっていたのかというと、プロレスの入場テーマ曲の耳コピや、ファイナルファンタジーやロマンシングサガのピアノスコアから原曲に寄せた打ち込みの練習、F1中継のオープニングテーマ曲などのバンドスコアからの打ち込みが主で、カラオケでは徳永英明ばかり歌ってました。
紅白歌合戦をキーボードで合わせて弾いたりとかして遊んでましたけど、「さそり座の女長調だ」とか(笑)。

同じ中学校からは男二人女二人が入ったんですけど、学級代表を誘ってきたその弁護士になったとかいう女の子と一緒に通学したかったのも誘えず、彼女はもう一人の男を好きだと聞いていたので、高校で違うクラスになって三年間クラス替えが無い事もあって諦め、同じクラスの明るくて可愛らしい女の子と付き合って三ヶ月でフラれました。
その話は機会があったら詳しく話します。
厳密には童貞ではありませんが童貞です(笑)。
今思えば美人が多かったのでやりまくっておけばよかったな、と。
スキー合宿の時に柔道部仲間に「女の子たちが話がしたいって言ってる」と言われて女の子が集う部屋に行って、「何で別れたの?」と聞かれて「俺が悪い」みたいな事を言って何話したか覚えてないんですけど、後日、女風呂覗きに行ったのが逆に見られてて「石村くんのケツ見たっつってたぞ」とか言われて。
そいつには「お前裏でクソミソに言われてんだー」と言われましたけどね、まあそんなもんでしょう知力2。
大学の時も「おめーと付き合ってくれるだけありがたいと思えよ」と言われたんですけど、やっぱり思いっきりぶん殴っておけばよかったかなあ。
ニーチェの言葉を借りれば、「かなりに醜悪な賤民。バロック調に装ってみても、ロココ調に装ってみても、何を着ても似合わないというので絶望した瞬間を見るがよい!」とだけ書き残しておきます。
まあ敵意持つ連中に対してはそれ相応の報復は考えますけどね。
人生で最大の後悔はこの段落の話!

そうそう、そのもう一人の男にB'zのコピバンにキーボードで誘われましたが、当時は実力も無かったし、音楽性が違ったのと、何よりちゃんとしたキーボードを持ってなくてめんどくさそうだったのもあって断って、大学の時にそいつはプロになってボーカルグループみたいなのでギター抱えてテレビに出ているのを見ました。

学校の球技大会で野球をやる時にピッチャーの練習してたら、「我ながら良い球放るな」と思って調子に乗ってやってたらひじがものすごく痛くなって、加えてソフトボールでショートでファーストに投げようと思ったら肩がピキってなって、試合の日は、ピッチャーを中学校で野球部だった奴と交代でやろうとしたもののやはり痛くてライトを守っていたら、近鉄にドラフトにかかりかけたとかいう左打ち体育教師のフライをタッチアップでバックホームしたらノーバンでレーザービーム捕殺したのも武勇伝(笑)。
教育実習の綺麗なお姉さんに「活躍してたね」と言われて顔と耳が真っ赤になって同級生の女子に「可愛い」と言われたとか何とか。
柔道の方は初段になって、団体戦で都大会まで行った事があります。
個人戦は70kgくらいでしたけど私が一番重かったので上の階級に入れられて勝てず、合宿で畳が汚かったからか持病の喘息を発症(ハウスダストアレルギー?)して、「最初からテレパシー持ちなのを言われてたらそんな事しなかったかなあ」と。
人の家の臭いにやられて発症する事もあって、皆さんも臭いに当たる事ありません?
今でも肩は痛いですし、喘息が出た時も病院に担ぎ込まれる事も無かったので、これもクソみたいな仕打ちで怨みではあります。
「何様だ」とか言われそうですが、「俺以上の優先事項はあるのか」と甚だ疑問を感じざるを得ません。
 
三年の夏休み前に部活を引退して、早く帰る道すがらで池袋の東武のCDショップでロイヤルハントのMoving TargetとParadoxを買ってハマりまくって、あーその前にClown in the Mirrorを秋葉原のリバティで買ったんだっけか?
これが無かったら今の自分は無いと言っていいでしょう。
英語もこれで勉強したようなもんです。
あと、プロレスは、新日本プロレス10.9東京ドームでのUWFインター対抗戦、これが終わって新日本が週刊プロレスを取材拒否した事などから、離れていきました。
ゲームはロマサガや三國志やパワプロなどにハマり始めました。
パソコンのムフフなゲームもやってましたよ、同級生とか下級生とかドラゴンナイトとか闘神都市とか(笑)。

父に勧められて国家公務員三種(高卒で官僚になる試験)を受けたら一次試験通ったんですけど、面接で積極的に発言しなかったりムリヤリいい加減な事言ってたりしたら、合格通知は来ませんでした。
国家試験に通ってから改めて各省庁の希望を表明して行くんですけどね。
いずれにしても機密情報漏えいの問題であり得ないっていう思考停止っぷり。

それで卒業式ではなく、その後の部活の送別会で後輩に寄せ書きもらったりして号泣して。
高校卒業と同時に千葉に引っ越して、当時はスマホも無かったので買い物もできなくなり、かと言って就職するにもアレなので「やっぱり大学は行こう」と思って、それでも勉強はしませんでしたけどね。
成績は現代文以外酷かったです。

それで大学もありえない所受けて二浪したんですけど、その間にBURRN!誌を読んでイングヴェイ・マルムスティーンのCDを買ってこれにもハマって、アーテンションとかも聴くようになって。
ゲームはA列車で行こうとかウイニングポストとかやってました。

神奈川県にある大学に受かって一人暮らししたらゴキブリがワモンとクロとチャバネのスリーカード&土蜘蛛だらけで、家事も面倒だし、一年の半分くらい休みなら実家から通おうというので実家に出戻りして、夏休みの二ヶ月間でファーストアルバムのインストパートを打ち込みました。
文学部だったんですが、「周りに女子はいるだろ」と思っても高校の時ほどのクオリティが求められなかったのでやはり彼女ができず、主に環境問題とジェンダー論の単位を取ってました。
第二外国語はドイツ語ですが、文法はともかく単語覚えるのが大変で、全部の単語を辞書引きながら。
体育学部もあったので、野球の単位も取ってたんですけど、いつもタイプの違う三人でつるんでバッティングセンターに通ってました。
ストラックアウトはいつも6枚か7枚で、バッティングも「イチローのホームランみたいな感じ」とか言われて、主に、投げ方は入来弟、打ち方はイチローと高橋由伸を真似てましたよ。
それで就職活動はせず、死ぬなら死ぬで仕方ないと思って卒業して、「今思えば勉強は高校の時よりも真面目にやってたな」って感じです。
バロック音楽研究会に入って、「演奏技術も無いし場違いだな」と思って、何をとち狂ったか学園祭の実行委員になって、「今思えば何であんな事やったんだろう」と。
日本大相撲で育てた力士を対戦させたり、大航海時代3を買って連立方程式使って謎解きしたりして、相変わらずゲームもやってましたけど、アメフトもゲーム買って別所哲也の解説でムリヤリルールを覚えたり、そいつらに「いつそんな事やってるんだろうね」とか言われて、大相撲とかプロレスとか野球とかを観戦しに行ったりもしてたので、どんな生活してるかは謎でしょうな。
 
大学を卒業してウェブサイトを作って公開しましたが、これも恥ずかしくなってすぐやめて、ネット将棋を始めて本格的に指し始めて、自動車教習所ではオートマチックトランスミッションで一発合格しました。
高速教習では運転を交代するときにシートベルトし忘れるなんて事もあったんですが。
仮免前のテストで満点だった事を言われて、女の子に「天才じゃーん?」とか言われたんですが、「これくらいの難しさだと驚異的な強さを発揮するの」つって、ほとんど「免許を取ろう」っていうゲームで100点連発して覚えたんですけど、免許取り立てで運転してたら一時停止線不停止で反則切符を切られました。

テレビでアナウンサーが決定的なヒントを与えたのはその後だったかな?
気が狂いそうになって、その前も精神状態は良くなかったんですけど、『社会契約論』を買って衝撃を受けたのもこの時期だったと思います。
あと、銀河漂流バイファムのDVDボックスを買って観まくったりとか。
「取り敢えず死ぬ前に子孫は残さないと。自分の子供がどうかで魔法なのか進化なのかが判る」と思いまして、曲を作ってめぼしい女子アナあてに送った所、無視。
その後その人達は普通に結婚してましたが、「これもまた陰謀か」と。
県庁とか警察の試験受けて落ちたり、バイトしようと思って応募した所が出会い系サイトのサクラで、面接ではほぼ何も聞きも聞かれもせず、初出勤の時に初めて業務内容を知らされて、反射的に「できません」と答えて即帰ったんですけど、普通にグレーゾーンな仕事だし、「テレパシー持ちの俺がサクラとかありえねー」と思って、でもまあ面白そうだし経験しておくのも良かったかも知れませんね。
いや、そんな事はねーよ。

テレパシーの事を家族や友達に話したらみんな否定、精神病院も通い始めて、「ある物を無いと言われたって話にならないし、治療っても安定剤飲まされるだけでほぼ意味無いな」と思ってブチギレて、ミンサガを買ってハマり、車で九十九里浜に行って運転中とかに攻略法考えたりして、最近は浜に入れなくなってるんですけど、まあ何やってもダメですよね。
そんな状況で腹立つから弟ぶん殴ったら殴り返されて、母に精神病院に連絡されて即入院、一ヶ月閉鎖病棟に隔離されるという屈辱を味わうという。
部屋の外が監獄なんだと思ってましたけどね、今でも「どっちが病院に行くべきか思い知った方がいい」とは思ってます。
その後さらに最悪な精神状態になって、ラジオで「お兄ちゃんになってください!」と言われた辺りから持ち直して、テレビで美人を見たりして、「ロマサガのナイトハルトとかミカエルとかは俺なのかな」とか思わされたり、他の作品然りで、つまるところどうなんでしょうかね、そういうのが無ければ自殺してたかも知れません。
実際未遂で終わったんですけど、他にも脳ミソが爆発しそうになって死にそうになったりとか。

SNSやウェブサイトを始めても誰も見てない事になってますし、今も搾取されていて、まあ働くしかないですか。
 
あ、高校以降も小遣いは一ヶ月一万円以下でやってました。
パソコンとキーボード以上の高い買い物はした事ありません。
外食に連れて行ってもらった事も無いです。
いずれにしても親が死んだら終わりなのでどうにかしないと。

読み物としてもどうかと思いますけどね、何を感じるかはあなた次第ではありますね。

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