Romancing Note

あと何回桜見られるか。

性善説と性悪説

イイトシして昨日弟と殴り合いのケンカをしまして、「はいそっちから手ぇ出した」とか言って、思わず「お前最悪だな」と言ったんですが、私は小さい頃から「罵詈雑言を浴びせられ(橋本龍太郎風に)」とか「物凄い酷いこと言われてる(電波少年風に)」という感じなので、その都度片っ端から始末していけばよかったかも知れませんね。
しかしテレパシーの身が1つしか無いので、「逆上(逆ギレ)して殺されたら大変だな」と思って、全部泣き寝入りしていたのが、その怒りが今になって全部家族に向いていて、家族には悪いとも思ってますが、家族もその一員であることには変わりないです。

バラエティ番組の「いじる」とかとも違うし、いじめとも違うんですよね、何なんですかね。
「ケンカというよりは…」という感じではあります。
「いまだに自分が何者かが判っていない」ですけど、取り敢えず私にテレパシーがあるのは事実だと思うので、それを殴れるヤツが最強ですよね。

ナイトハルトの全身鎧が傷だらけというのもそういう意味もあるんですかね。

それでも「俺はいつでも誠実だった」というのがその通りだと思いますがね。
ただでさえテレパシー体質で、風呂からトイレから性的嗜好から全部筒抜けで恥の上塗りを重ねて死ぬほど苦しんできた上に、有名人だと言わざるを得ないのに加えて体が弱いのに全部徒歩通学とか、今になって思えば「よく耐えられたな」という感じではあります。
小学校くらいの時に「薄々」という感じで気付いていたのに、今になってもちゃんと告げられたワケでもないですし、本人が気付いた段階で告げないというので、その時点でかなり印象が悪いんですよね。

「俺は悪くない」と言ってくれる人もいますので、そういう人を大事にしたいです。

あまりこういうことは言わない方がいいですかねえ。

今回の話は古代中国の思想家の話で、名前は忘れました。

大雑把に、性善説というのは、「人間はみんな良い子で生まれてくるのが、色々な経験を重ねるにつれて、だんだん悪に染まっていく」というもので、アンチテーゼである性悪説は、「人間は元々悪い生き物で、教育によって人格者に育っていく」というものだと記憶しています。

子供はだいたい戦隊ヒーローものや仮面ライダーとか、女の子ならプリキュアとか、そういうものを見ますよね。
そうではない子もいるかも知れませんが、私の嗜好はいまだにソッチ系なんです。

しかしこれも「人による」かも知れません。

とにかく、相変わらずクソみたいなこと言われるので、「貴様がそういう意識でいるから他人に対してもそうだと思ってんだよ!」と喝破して、判りやすく言うと、「頑張ってる人は他の人もみんな頑張ってると思ってて、怠けてるヤツは他人も楽して稼いでると思ってる」ということでしょうか。

「その中間」というのが私の性質なのではないかと。

私の場合は、連中が嫉妬とかで言ってるんだとしたら、それをマトモに一身で食らうことになるので、それを見ている(テレパシーを受信している)人達にとっては、自分のことのように怒るのも当然だと思いますが、やはりそういう人達を大事にしたいです。
「ざまあねえな」って連中もいるとは思いますね。

「信用に値するヤツがいない」と言ってるんですけど、「信用は既に失っている」ってことです。
アレです、狼少年みたいなもので、今さら私に良いことを言っても空虚ということです。

「怒ってます」という話でしたっけ?
なだめ透かす人は現れるんでしょうかね…。

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私の小児性愛傾向について

今日はハロウィンということで、子供が「Trick or Treat」と大人に「お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ」と言うお祭りなんですかね。
本来は収穫祭だか何だかだったかと思いますが、ただの仮装パーティみたいになってますよね、どっちが本当のハロウィンなのか判りませんよね。

私が小児性愛の傾向があるのは周知の事実かと思います。
異常性癖は異常性癖だと思いますが、今までのところは理性が勝っていて、実行したことは無いです。
ただ、テレビなどで美少女が出ているとつい見入ってしまいます。
いくら頭の中がダダ漏れだからって、カミングアウトと称して明け透けに言うのもどうかと思いますよね。

ということで、「自分を知ろう」というワケで、最近小児性愛関連の本を読んで、ツイッターに上げたものをまとめて読みやすくして、自分の戒めにしようと思いました。
法的には合意があっても許してはならないとも思いますが、許されるなら、私は手に届く所に美少女がいれば手を出してしまいそうなので。

以下読んだ直後にツイッターに要点を挙げたものからの引用。

「Kindleで小児性愛の本。
傾向の俺と小児性加害者と違いは、俺は罪悪感があるが、彼らは「純愛だ」「彼女から誘ってきた」「教えてあげた」で、彼らは彼女らを被害者だと思ってなくて、自らの行為を肯定する所か。
性の対象が子供なのも自慰行為を覚える時に既に自覚。
今後俺もそうなったらどうする?」

「小児性愛の本の続き。
先天的か後天的か説が別れる。
幼少期の逆境体験、大別して、もっと努力すればよかった罪悪感と頑張ってもどうしようもない絶望の無力感。
家庭問題に限らず、犯罪や災害やいじめや失恋も含む。
これらは、さらに弱い者を狙う衝動を植え付けられる恐れもあり、それが負の連鎖か。」

「小児性愛の本の続き。
児童ポルノを見て感化される場合もあるが、中にはそれを励みに教員免許を取って教職に就いて行為に及ぶ加害者もいる。
依存は見方を変えれば生きる理由になるので、音楽やゲームや仕事や人に対する依存ならまだいいが、それが薬物や万引きや暴力や性犯罪等になると問題という話。」

「小児性愛の本の続き。
小児性加害者は、性犯罪の上に「自分より弱い者を狙っている」点で、他の犯罪者からもバカにされるらしく、加えてメーガン法以降社会復帰もままならなくなって、居場所も無い上に依存性からも抜け出せず、再犯率も高い傾向にあるが、監視システムの導入で再犯率は低下。
俺もね。」

「『ロリコンズサガ』なる本を半分。
乳児でも10~12歳の第二次性徴でもなく、一桁のようじょに欲情するのはぺドフィリアで医学的にも病気とされるが、ティーンならロリコンで、手を出さなければ欲情は許される風潮。
俺もクックルンの女児と風呂入る妄想すらバレてて、それも自らさらけ出しちゃったし。」

「『ロリコンズサガ』の続き。
「少年漫画を読む腐女子」と「女児アニメを見るロリコン」という構図に言及。
ロリコンも性的マイノリティーだが、同性愛者と違うのは、今はLGBTは法的にも認められるが、ロリコンは欲求を実現すると法的にも社会的にも抹殺されるので、「同性愛者は面の皮厚すぎ」と指摘。」

「『ロリコンズサガ』を最後まで。
幼女強姦殺人のニュースが報じられる度、真のロリコンは幼女が味わった恐怖と苦痛を想像して憤りを感じる訳だが、同時に世間からはロリコンという日陰者を白日の下に曝されて、更に生き辛さを感じる。
「親にしてみれば恐怖のモンスターでしかないのも事実」的な事も。」

「小児性愛の本の続き。
「男は女より強くなければならぬ」という強迫的な男尊女卑の信仰と、男の性欲の発散を性産業という社会インフラとして捉えている事と、日本においてはその二点が無くならない限りはジェンダーギャップも埋まらないし、性犯罪を助長するのみというような内容。
愛ではないって話。」

「Kindleで『少女愛』。
「本物のニンフェット(小悪魔)」を見分けるには、「芸術家で、狂人で、無限の憂愁にとりつかれ、下腹部に熱い毒薬が煮えたぎり、鋭敏な背骨に激しい官能の炎が燃えさかるような人間」でなければならない、と、小説『ロリータ』で述べられていて、そうでないロリコンもいる問題。」

「ハンバートも「この苔むした公園のなかに、わたしをそっと一人にしておいてほしい。ニンフェットたちを永遠にぼくのまわりで遊ばせておいてほしい。彼女たちを絶対に大人にしないでほしい。」と願うだけだったとして、「あなたはどうだろうか」と問われたが、「苔むした」というのもニャンだかね(笑)。」

「チャップリンがキッチンホーク(幼女好き)で、リタ・グレイとか、踊り子とか、サンタモニカとか、売春を題材にした映画を作りながらオーラルセックス好きだったりとか(コレは関係無いか)、「ロマサガ1のキャラクターの名前がそれなのかな」と思ったが、『少女愛』の作者は「非道い」みたいな口ぶりだ。」

精神科に通ってるなら、ついでに主治医に相談してみようかと思いましたが、むしろ寺や教会で懺悔した方がいいかとも思いますし、「女性陪審員の皆さん」を説得させた方が早いかも知れませんし、全部ヤってみた方がいいですかね。
入院していた時に「西洋医学との両面でヤっていかないとォ!」と言っていたオジサンがいましたので、「確かにね」と思いまして。

正直、医学的にどうかと言われれば、学術論文があればそういうのを読んだ方がいいかも知れませんし、私の場合は子供の頃からなので先天的なものだと思うんですよね。
おっぱいが大きいのもそそられるんですけど、小さいのに興奮することの方が多いです。
要するに「形がよければ大きさにはこだわらない」ということです。

YouTubeでネコの動画を見ていて、「大事な所をグルーミング」と書いてあったのを見て、「俺も動物的な欲望なのかな」と思ってしまいまして(苦笑)。

「暇さえあればパソコンでエロ画像探すのはやめた方がいい」と言って、「性欲の強い筆者も、意識的にそういうのを見ないようにしたらそういう欲望も無くなっていった」とも言っていましたので、そういうこともあるのかな、と。

ジェンダー論というのは、性そのものやフェミニズムや男女の性差についての話ですが、こういった話は見て見ぬふりはできず、避けては通れない話だと思っています。

私の場合は複数の女性にイクのも未成年に欲情するのも全部プラトニックな感じなんですよね、「そういうことになるなら全員に対して一生を約束しよう」という感じなので。

「子供に向かって『かまってくれないとイタズラしちゃうぞ』と言うのは俺だった」という話でした!

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アメリカ大統領選挙について

「4年に1度世界が動くんですけど、オリンピックも大きなイベントですが、アメリカ大統領選挙」というような話を聞きまして、私の見識をご参考までに。

母が宗教絡みで「日ユ同祖論」について調べ出しまして、古いキリストの伝記のような本を読んだりしていて、「読んでるけど分からない」と言っていましたが、私も以前「天皇ユダヤ人説」というのを聞いたこともあります。
「祇園祭とノアの方舟の日にちが7月17日で同じ」とか、「シルクロードを移動するのに、1日にわずか5キロしか進まなくても、8年あれば移動可能である」とか、「大和語とヘブライ語が似ている」とか、色々あるみたいですけど、断定はできませんが、私は正直「信憑性は疑わしい」という感想です。

実は、天照大神とスサノオは新羅から来たという説だか記録だかもあるそうで、仏教は百済や中国から来たというのは事実なんでしょうか。
そうでなくとも、シベリアやアイヌ地方からの北方系や、インドネシアやフィリピンなどからの南方系に加えて、歴史に残る段階での半島系の渡来人もいますし、中国から来た人達もいるでしょう。
「少なくとも船を作って海を越えて辿り着けなければならないから、それなりに優秀なのがやって来るかも知れない」ということですが、「もっと昔は地続きだった」という話も聞きましたし、「ガラパゴス」とか「単一民族」とか言う人もいるものの、日本人も大概が混血なのかも知れませんよ。
競馬の配合理論でインブリードとアウトブリードというのがあって、インブリードというのは近親交配あるいは遠縁交配で先祖の特徴が際立つものの健康面が弱くなり、その逆のアウトブリードだと健康面は安定するんでしょうか。
ここで言う健康面は先天的な体質のことです。
韓国人の名字はほとんどキムで、次にパクとか、これ以上は言いますまい。

というのも、我々日本人としては、同盟を組んでいるアメリカほど世界に影響力のある国には左右されやすく、アメリカ大統領選挙の結果で世界情勢にも影響が出るのを注視しなければならないからです。

日本で「三位一体改革」と宣っていた首相もいましたが、「三位一体(さんみいったい)」というのは、キリスト教の「ヤハウェ、キリスト、精霊が一体の状態」ということだと聞きました。
レザレクションは「復活」という意味ですが、キリスト教の信仰を持つ人だと、テレパシー持ちの私をそのように信仰する人もいても不思議ではないですよね。
確証も無いのに宣言しても仕方無いのですが。

聖書を信仰する人達を「福音派(エバンジェリスト)」と言うそうです。
このキリスト教保守層の人達は共和党を支持していて、民族主義的な(白人至上主義的な)人達も共和党支持者なんでしょうか。
トランプさんがエルサレムに大使館を強引に移したのは何か他にも意図があるんでしょうかね。
民主党では社会主義を主張するような、リベラルの向こう側の「進歩派」と言われるような人達や急進左派的な人達が支持されていて、中でもバイデンさんは中道寄りなんですかね。
このようにして分断が進んでしまっているそうです。

アメリカでは国民皆保険が無くて、「歯の治療や盲腸の治療も高額になってしまう」と聞きましたが、「オバマケア」と言って、民主党のアフリカ系に出自を持つオバマ前大統領が国民皆保険を導入しようとした所、現職のトランプさんが、TPP(環太平洋貿易協定?)やパリ協定(環境問題の世界的合意?)や外交問題など、前政権を全否定するようなヤり方をゴリ押しで進めたため、分断が進んでしまったそうです。
民主党のサンダースさんも「大学の学費無償化」みたいなことを言って、若者にも支持された時期もありましたよね。
「アメリカでは車検も無い」と聞いたんですが、「自分で整備しないと整備不良のクルマが路上に溢れ返ってしまうワケだな」と思いまして、格差の上に医療その他の価格も高ければ、貧困層の人達は大変ですよね。

「成功すると大きい」という所謂「アメリカンドリーム」ですけど、トランプさんがそれを持ち出しましたね。
それでも家を持たずに(持てずに?)キャンピングカーで生活している人も少なくないと聞きました。

「ロンヤス」はレーガンと中曽根、ブッシュ小泉の「ネオコン」、トランプ安倍も「共和党×自民党」の組み合わせで、アメリカが民主党政権になったら日本に厳しくなるのは、日本ではずっと自民党が政権を持っているからなんでしょうかね。
日本で政権交代が起こるとどうなるんでしょうか。
安倍さんが靖国参拝した時はオバマ政権で、「失望」と言われたんですか?

何が言いたいかというと、アメリカは、中東ではイスラエルを、東アジアでは日本を支持していることです。

東アジアでは中国と朝鮮と日本が三つ巴で、中東ではユダヤのイスラエルとアラブのサウジアラビアとペルシャのイランが三つ巴で、東アジアでは中国と北朝鮮が核を持って、中東ではイスラエルも核を持ったためにイランも核開発を進めていて、中東の問題はヨルダン川西岸やシリアやイラクやアフガニスタンだけの問題でもないワケです。

イスラム国は勢力が衰退(壊滅?)したものの、シリアは体制側のアサド政権にロシアが加勢して、イランと北朝鮮と中国はアメリカとの関係を損ねつつあり、それでもトランプさんが険悪だった北朝鮮を電撃訪問しましたが、自国保護主義を掲げて「世界の警察をやめる」と宣言したため、哲学者のマルクス・ガブリエルという人も「トランプ大統領の『お前の独裁も認めるから俺の独裁も認めろ』みたいなのは無いと思います」と言っていまして、結局どっちに転がってもただの「減税対増税」というだけになりませんかね。
税制が変わると経済も大きく変わるとは思いますがね。

「シヴィライゼーションⅥ」というシミュレーションゲームを少しヤってみたら、生産力設定が「共産主義→共和制→君主制→民主主義」の順番で高くなっていってたんですが、族長制とかファシズムとかはあっても封建制は無かったんですよね(苦笑)。
実は共和制と民主主義の違いがあまり判ってないんですけど、共和制は大統領制で、民主的な方法でトランプさんみたいなのを大統領(国家元首)に選んで権限委譲して、トランプさんがドーンって感じなんですかね。

私もそんなに分厚い見識は無いですけど、これくらい分かっておけば及第点ですか?

さて、私は「英雄か独裁者か、勇者かバカか」と言ってるんですけど、アメリカは私が征夷大将軍になって日本が「二つの王」の状態になることを認める方向で進むんでしょうかね(苦笑)。

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新劇場版頭文字Dを語る

「コースマーシャルは配備済みか…」

味わい深いキャラクター、池谷の味わい深いセリフです。
言い方が面白かったからなんですけど、ナゼかはここでは言いません(苦笑)。

『頭文字D』は「イニシャルディー」と読みます。
意味はどこかで聞いたような記憶もありますが、忘れてしまいました。
実はアニメ放送時にも「ミゾ落とし」を見た記憶があるくらいで、アマゾンプライムで「頭文字Dあるかな」と思って検索したら、新劇場版が出てきたワケなんです。
コミックは1995年に連載開始して18年続いたらしいです。

話としては、群馬の走り屋達の話で、走り屋というのはクルマ好きでしょっちゅう峠狩りしてるような人達のことですかね、バイクだとツーリングと言いますよね。
秋名という、榛名を彷彿とさせる架空の町の豆腐屋のせがれである藤原拓海が、秋名湖畔のホテルに配達している間に知らずのうちに身に付けたドライビングテクニックで、次々と名だたる走り屋とバトルを繰り広げて、その名を轟かせる感じの話なんですかね。
拓海はなんとなく生きてるようなヤツなんですけどね、怒ると手がつけられない感じです。
所属する「秋名SPEED STARS」は、「一応クルマ産業」のガソリンスタンドでバイトしてる連中が中心ですけど、拓海と池谷と樹は愛すべきキャラクターですな。
機会があったらコミックも全巻揃えて読んでみたいです。

「Legend1覚醒」は、マツダのロータリーエンジンを搭載したRX-7の旧型のFCサバンナに乗る兄の高橋涼介と新型のFDアンフィニに乗る弟の高橋啓介の「ロータリー兄弟」に目をつけられて、弟の啓介と拓海がバトルするんですけど、この人達は病院を経営している富裕層の息子で、「どっちかっていうとソッチ側か」とか言いながら、「涼介のモデルが俺なのかな」と。

「Legend2闘走」は、涼介の「赤城RED SUNS」とはまた別の、「妙義NIGHT KIDS」の日産GT-Rやホンダシビックと荒っぽいバトルを繰り広げます。

「Legend3夢現」は、ついに涼介とのバトルです。

拓海の父親の藤原文太の「大人」が運転している時はジャズっぽいBGMなんですが、涼介が運転している時はバロック音楽っぽいBGMなんですよね(苦笑)。
菅原文太「トラック野郎」でしたっけ?

私も「その先が知りたい」ですが、涼介とのバトルでエンディングというのも何か意図がありそうですけどね、結末はご自分の目でとくとご覧あれ!

涼介は理論に精通していて、拓海と啓介の本能的な走りに一目置いていて、「お前の走りに俺の理論が加われば」と言って、拓海とのバトルでもデチューンしながら前を取らせてピッタリ着いていく作戦で、「俺が先に行っていたらこれ程の走りはできない」と。
ダウンチューニングと言えば、私の音楽もイングヴェイ・マルムスティーンとかアンドレ・アンダーセンとかの音楽に触れてから後追いしている感じなので、将棋や哲学も同様で、自分がパイオニア(先駆者)というワケでもないですよ。
実際、発展とか進化というのはこういうことなんだと思っています。

これも最近ですけど、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』をパラパラッと読んでみたら、「命題pとqを同時に肯定する存在(p,q)を考察する命題(p∨q)」というのを見て、結局トートロジー、「存在するのは(p,q)つまり俺だけ」と言いたいのか、つまり「pでありqである」みたいな感じなんですかね。
(p,q)というのは、(仏陀,キリスト)とか(保守,リベラル)とか(居飛車,振り飛車)とかそういうことですかね、ジェスイット派なら、「女性pとqからrを産み出さなければならない」とも取れますが(苦笑)。
「ソクラテスは同一ではない」ともありましたが、(p∨q)は論理和で離接のことで、結局、私(p,q)を経て、私を考察する人達(p∨q)がまたpとqに別れないように、本来はrにならなければならないワケだなあハッカケ(丹波哲郎風に)。
分かりやすく言うと、新宗教とかポストモダンということでしょうか?

話が逸れました。

基本的にFR車でドリフトをキメる人達ですが、「闘走」では、4WDのGT-RやFFのシビックが相手なので、特に後者は「性格は最悪だが腕は確かだ」とか言いながら、ほとんどあおり運転みたいな感じで拓海もキレるんですけど、GT-Rは日本最速のクルマなんですかね、海外でも人気らしいんですよね。
主人公が乗っている86(ハチロク)はパワーは劣りますが、車両重量が、ハイパワーエンジンでボディー剛性を高めたGT-Rより500キロ軽く(2020年現在のデータで)、直線が短かったり、重いと制動距離を長く取らないとイケなかったりして、ブレーキやタイヤがダメージを受けて、軽い方が曲がりやすいので、「ダウンヒル(峠下り)なら勝機はある」という理屈です。
重い物と軽い物を同時に落下させても、落下速度は同じなんです。
「公道を究める」と言って、涼介も「魅せるドリフト」というのをヤっています。

GT-RのRは王者の称号と聞きました。
evolutionは「進化」という意味で、Rが付いたrevolutionは「革命」という意味なんですけど、そういう意味もあるんですかね。
reでマイナーチェンジ的なニュアンスも感じ取れますが。

コーラのビンを描いたものが芸術作品になったりしていますが、近代以降工業デザイナーという人達が出てきて、クルマも機能性とデザイン性を両立させたものなので、クラシックカーも味わいがありますが、今のは今ので洗練もされてきてカッコいいのもありますよね。
専門的なことはあまり勉強もしてないですが、「シャコタン」というのは、「車高が低い」ということで、低重心だと走行安定性は増すと思います。
メーカーによってデザインのコンセプトも違うようですね、拓海が「トヨタあんまり良いイメージ無いけど」と言ってましたが、「最近のトヨタどうですか?」なんつって、私もフツーのクルマを量産してるイメージだったんですよね、今の社長が「ホントにクルマ好きなのが判る」と言われて、私もクルマ産業そのものへのイメージも変わってきました。

こんなこと言っててもマニュアル免許も取れなかったヤツですけど、一番最初の教習でエンストしまくったのは、他にも不可知的な何かが作用してたんじゃないかと。
私のシフトチェンジおかしかったですか?
東大卒の人が「学科で落ちた」と言っていたのを聞いたこともありますんで…。

作中ラブロマンスもありますが、「『クルマの乗り方や扱い方が女性との付き合い方に出る』って言いますよね」と聞いて、私の場合は「色んな種類の新車を複数台所有」という願望で、あまり自分好みにカスタムもしませんで、一目惚れ(直感)とスペックの両方を重視した好みのクルマを探す感じです(笑)。

主人公が「このクルマを走らせるとみんな喜んでくれるんだよ」とか「クルマって結構イイな」とか言ってましたが、観ていたら私も運転がしたくなりました。
「自分が身に付けた技術にプライドを持て!」とか。

映像の作りも良く感じましたし、バトルシーンもエキサイティングでしたよ。

若い頃ですけど、大学の時の友人が、「友達と深夜にドライブしてたら峠みたいな所に迷いこんで、コーナーの所に観客が立ってたりして、『あ、すいません』みたいな感じになって怖い思いした」と言ってましたが、「分別(ふんべつ)ある大人はサーキットに行きましょう」というのもその通りかも知れませんな(苦笑)。

素人の人達も走り屋の人達も命は大切に!

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天国への階段

昔、美大生が集まって作品を出展するイベントをテレビで見て、遠巻きにチラッと映った淡いピンクのワントーンの花の絵に一目惚れして、「そういう所に足を運んで『掘り出し物』を青田買いするのも一興か」と思ってはいるんですが、今はメルカリで物色だけしています。
実際に安価の作品をいくつか購入もしました。
自分は絵もあまり得意ではありませんが、画商のようなものにも興味があり、一度くらいは覗かせてもらいたく思っています。

最近『真珠の耳飾りの少女』という映画を観まして、フェルメールの同名絵画に物語を付けたものなのですが、あらすじとしては「文盲の美少女がフェルメールの家の使用人になって、彼にインスピレーションを与えてこの作品に行き着く」という話です。

この頃女性にあまり教育を施していないのが推測できましたが、それは貧しさゆえかも知れません。
しかし彼女が高潔で礼儀正しく地頭が良いのが判って、フェルメールがアトリエに入れて色々なことを教えたのだと思ったのですが、その辺りの具体的な描写は為されていないものの、作品の背景が黒であることから、この無垢の少女に光を見たのではないかと感じて、最後少女が「自由」になったのではないかと解釈できるワケです。
少女が青い色を作っているシーンなんかは、青春を想起させて、それに私のウェブサイトのトップページの抽象画のような絵を意識したのかな、と思いましたが?

芸術家もよくよく考えれば頭脳労働的な趣もあるので、中には知性と教養のある人がいても不思議ではないですよね。

芸術というのは、パトロンで成り立っている場合と、多くの観衆に見てもらう場合とがあると思いますが、前近代では聖職者や王侯貴族のための「国家の理念」とか「神秘的かつ神聖なもの」という感じで、近代以降は有産階級(ブルジョワ)の台頭で、その人達の日常から解放して癒しと楽しみを与えるような感じになっていったんでしょうか。

ただ、パトロンやプロデューサーみたいな人が「こういうテーマで作れ」みたいに次々無理難題を言って量産させるようなことをされても、技術のある人はそれなりのは作れるかも知れないですけど、私みたいなのだとすぐダメになると思います。
私がホンモノかという議論にも直結しますが、そういう作り方をしても、技術は高まるようなことがあっても、真の創作意欲から来る傑作が生まれるかと言えば、それはまた別の話ですよね。
でも〆切はあった方がいいですかね(苦笑)。

具体的には芸術の変容だと、華美なバロックや質素なロココなど、時代によって流行のようなものはあったようですが、写実的なものから印象派を経てピカソのキュビズムのような前衛的なものから、抽象画などのモダンアートが生まれていったんですかね。

印象派のゴッホの「ひまわり」は、背景が黄色で、「光を描きたかった」と聞きましたが、先程の映画でもフェルメールが「光の色は?」と聞くシーンもありました。

「楽園」を提唱する芸術家もいたようですが、私も芸術家の感性なんですかね(苦笑)。
評論家か何かの人が「ひょっとしたら自分のために作ったのかも知れないですけど、我々としてはありがたい」と言っていまして、私のアイディアなども本当に実現できないかと妄想を膨らませている所です。

賛否両論ある富豪の前澤友作氏が、「会社が大きくなりかけてる時に、無理して二億円の絵画を買って会社の壁にかけたら、空気が変わってそれ以降仕事も軌道に乗るようになった」と話していて、私もそんなに高額なものは買えないですけど、今安価で手に入れたタペストリーや絵画などを空いた壁などに飾ったりして、「意識を高く持つ」ということをヤってみている所です。
前澤氏も大学生の時まで音楽を自分でやったりレコードを集めたりしていたそうで、挫折はしたみたいなんですけど、「結局成功するのはこういう人なんだな」とも思ってます。

私も自由に使える金があればこういったものに費やしたいんですよね。
私はどちらかというと金は手段だと思っているので、死ぬまで安定的に入ってくれば、安価でも美術品なども資産になり得ますし、金はこういったものに変えたくなってしまうワケなんです。
つまり、自分が「楽しむ」という所にとどまらず、下世話な話にはなりますが、他の人に譲ったりする時に再度金に変わりますし、投資の対象にもなるということです。
消耗品のようなものは、一回使ったり型が古くなったりすると価値がなくなりますが、美術品の類いは、特に傑作だと価値が上がるようなことがあるワケです。

大学の時に友人とランチしながら「『21世紀は芸術とスポーツの時代だ』とか公明党みたいなこと言うんだよね石村さん」と言われて、私も「20世紀は二度の大戦や冷戦があったりして『戦争の世紀』と言われて、19世紀は『帝国主義の世紀』と言われてるよね」みたいなことを言って、もちろん芸術にかまけていればそれで堕落していくようなこともあるかも知れませんが、「真贋を見極める能力、つまり審美眼」を養うのを忘れないようにしたいです。

シューマンの著書を読んだら、「もし私が想像する通りになってたら」と書いていて、さらに「その小さい手で弾いてごらん」とも書いていて、当代では「誰しも」とは言わなくとも、多くの人がアーティストになり得る条件も孕んでますし、他の記事でも書きましたが、こういうものは、「これが高額で世間で評価されてるからこういうのがいいんだ」ではなく、純粋に自分が「良い」と心を動かされたものを大事にすればいいと思います。
まあ「芸術が判ってない」となって、贋作ばかりが出回るようになってもよろしくない傾向ではありますがね。

村上隆氏に代表されるような、「芸術家がマンガを描くとこうなる」的な方法論もありますよね。
自分で言うのもアレですが、私なんかはその類いかも知れませんな、いや、逆かな?(苦笑)
私の作品も実現するか判りませんが、模倣する元が良いので。

日本の「カワイイ」というのは、言葉自体は平安時代の文学の「もののあはれ」の感覚から来ているのではないかと推測してるのですが、「可憐」は字面の意味は「あわれむべし」ですし、太宰治の小説で「小さい座布団の四角(よすみ)に小さいフサフサみたいなのが付いているのを見て、人間のつましさに涙するということがあるわけです」みたいな一節を読みまして、私もそういうものにたまらない愛着を感じることもあります。
海外でもテディベア作ってるオバサンたちもそうなんじゃないでしょうか?
「カワイイ」は下手すると「可愛そう(かわいそう)」になってしまい、しかし武田鉄矢が「小さい『つ』を付けて『アッパレ』って言ったんだよ!」とも言っていました。
とにかく、「可愛い」は字面の意味は「愛すべき」ですか。
いずれにしても「儚さ」みたいなニュアンスを感じ取れますよね。

ニコロ・パガニーニという超絶技巧のバイオリニストが「悪魔のバイオリニスト」と呼ばれていたそうですが、フランツ・リストがピアノで真似をして、当代ではそれがエレキギターになったようなものだと感じましたが?

ちなみに、「パクリ」には「パロディ」と「オマージュ」というのがあって、「全く同じ」だと「剽窃」とか「贋作」とか「盗作」とか言われます。

音楽でもプログレッシブというジャンルはありますが、「前衛的」(アバンギャルド)というのは、悪いニュアンスで使われることもありますので、私も他人の作品を「評論」する時も言葉遣いには気を付けた方がいいかも知れませんな。
芸術の話とかして「お高くとまったヤなヤツになりつつある」というのもその通りかも(苦笑)。

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