Romancing Note

あと何回桜見られるか。

ポジティブリストとネガティブリスト

今日は天皇誕生日ということで、謹んでお慶び申し上げるとともに、私の野望というか構想も開陳しようかと。
「まーた始まった」とか思いながら、お付き合い頂ければ幸いです。

以前から「戴くなら征夷大将軍の称号を」と思っていることもあり、幕府を開いたら、基金的なものでノーベル賞的なものを作ったりして、例年ではなく単発的にでも日本国内の文化芸術スポーツや発明関連の功労者に手厚い支援をして、優秀な人材が腐ったり海外に移住したりしなくていいようにしたいと展望しているワケですが、ヤり方によっては優秀な人材の足かせになったりするかもしれないので、本当に「幕府」という組織が出来たら、有識者を入れてちゃんと考えてからヤるようにしたい所です。

ヴィトゲンシュタインによると、存在(p,q)はトートロジーで(仏陀,キリスト)ということなのかもしれませんが、これがrという宗教になるかは未知数で、私は大人になってから哲学を少しかじりまして、そもそもこれが聖書になるとも思えませんよね(苦笑)。
既成宗教があるので、かといって政治的権能も有しないとなると、結局「なんでもない氏」ということになりますか?

何が本題か判りませんが、以前聞いた軍法用語でポジティブリストとネガティブリストという法律の考え方の話です。

ポジティブリストは、ヤっていいことを連ねたもので、ネガティブリストはヤってはならないことを連ねたものだと記憶しています。

これを逆に言うと、ポジティブリストだと、ヤっていいこと以外は何もしてはならなくなり(正確にはグレーゾーン)、ネガティブリストだと、ヤってはならないこと以外は何をしてもいいということになります。

例えば、ポジティブリストで「側室は10人まで」だとすると、側室を10人持つ以外は他の女性に手を出してはならなくなります。
ネガティブリストで「無益な殺生は禁止で、政治的権能も有しない」などとして配偶者関連の規則を入れないとなると、側室は子供であろうが何だろうが、いくらでも手を出していいワケです。

皇室にも皇室典範というくびきがあり、詳しく調べていないで恐縮ですが、「こっちはソノサキのこと考えてんだ、何バカなこと言ってんだ」となるので、私の子供がテレパシーを受け継ぐかでも未来は変わってくると思いますし、ホントによく考えてからにしないと…。

要望としては、テレパシー持ちの私には、ネガティブリストを適用した方が「彼は何でもできるが法を作ることはできない」というのにも逆らわないと思いますが。

夫婦別姓の話ですけど、博識な方によれば「源頼朝と北条政子(平政子)は夫婦別姓ですよね」ということで、確かに卑弥呼だ何だと日本は男女平等な面もあるのも気付かされますよね。
男女間で性差があるのも否めないので、中には男尊女卑的なお考えの人もいるかもしれませんが、私も選択的夫婦別姓はどうしましょうかね。

女の子の夢ってお姫様だったりもしますよね。
ジェンダー論の先生が「女性は、ディズニーみたいな、王子様に守ってもらうみたいなのばっかり観てるから、主体性が無くなる」と言っていましたが、私は「だからって、プリティウーマンみたいな、『キャリアウーマンが素敵な上司に』みたいなのを観たからって、みんながそうなるワケでもないんじゃないですか?」と言ってまして、男でも「お姫様を守る王子様を体験する」ゲーマーがみんなそうなることもないですよね(苦笑)。

でも私も妙齢を越えた中年になってしまったので、そろそろ真剣に考えて頂きたいものです。

テレパシーという前提があるからこそこういうワガママを言っているワケで、さらなるご協力を賜りたく思いまして、ご一考のほどよろしくお願い致します。

「賞第一号は自分にあげる」というアレでイこうかと思ってます(苦笑)。
苦笑ですよ!苦笑いですよ!

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下級生─あなただけをみつめて…

昨日、elfのアダルトゲームの『下級生』のOVA『下級生─あなただけをみつめて…』を観て、握手会で握手したアイドルの人風に「壁ドン…泣ける」と思って、少し書こうと思いました。
OVAは15禁となっています。

主人公は文武両道の優等生で学園のマドンナの結城瑞穂で、モテ男の長瀬トオルが私ということなんですかね、後藤みのるとの掛け合いで学校中を笑わせたりするんですけど、「実は登場人物の誰でもないんですけど」という場合もあるんですよね。

瑞穂の親友の天然娘の神山みこは「トオルさんは毎朝挨拶してくれて、トオルさんのことを考えると元気になれるんです」とか言いながら、実家は指切り神社の神主で、門限が5時なんです。

下の名前は忘れましたが佐竹という金持ちの御曹司が瑞穂を狙っていて、ゴジラみたいな怪獣映画に誘われて瑞穂の弟も着いてくるんですけど、小学生くらいの弟もトオルがお気に入りです。
空手家の佐竹さんは「怪獣王子」でしたっけね(苦笑)。

下級生の南里愛が親友の飯島美雪に促されてトオルに告白するんですけど、ガキ使の森三中が出てた小芝居の、村上さんの「ヤったじゃん大島!」みたいになってて、「実はロリコン」という喫茶店土下座のマスターは美雪が好きみたいです。
トオルはそこでバイトしてます。

トオルが「八方美人」というワケでもないんですけど、みんなとデートしてたりしたら瑞穂が「わからない」みたいに言って怒ってケンカして、佐竹に半ば騙されて彼の自宅に連れ込まれて襲われそうになったりもします。

頭がツンツンのペンギンってコウテイペンギンでしたっけ?
トオルがそのコウテイペンギンがヘッドホン着けてるキーホルダーを瑞穂に渡すんですけど、「社会民主党の福島瑞穂ってことかな」と思って、そういう暗喩もあるのかな、と。

瑞穂がみこにガールズバンドのコンサートのチケットを渡されて、行ってみたら隣の席がトオルだったという。
トオルも隣はみこだと思ったんですかね。
瑞穂が「さむい」と言っていたので、解釈は色々できますが。
その後「初夜を!初夜を!」(今田耕司風に)となりますが、みこの「瑞穂さんと一生親友でいたい」というのはそういう意味ですかね(苦笑)。

シナリオライターの蛭田昌人が「エロゲの世界で神と呼べるのは彼だけだと思います」とツイートされてましたが、確かに恋愛官能小説としても文学的だとも思いますね。

今日はバレンタインデーですけど、母に市販のチョコレートを渡されるくらいで、私は今までの人生において本命チョコはもらった記憶はありませんよ。
福島沖が震源の大きな地震が起こった翌日なので不謹慎かとも思いましたが、そういう日なので恋バナでもしようかと思ってブログを書いてみました。
私もイイトシですけどね(苦笑)。

深夜番組で浜ちゃんが、お嬢様の女医の西川史子先生にヒョウ柄の服を着せて「映画でも観てサ店で冷コーでもすればええやん」と言って、西川先生が「サテンでレーコー」と、初めて宇宙人を見たような言い方で返して、私は「ザギンでシースー?」と思いまして。
「ブルー」とか「さむい」とか「天然」とか、ダウンタウン辺りが言い始めたんですよね(苦笑)。

最近『同級生』のリメイクが出たんですかね。
「羽の無い天使」と言ってましたが、イタリアのメタルバンドも「Angel without wings, that's her destiny」と言ってました。
とにかく、その節は大変オセワになりました。

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プロフェッショナリズム論

最初「談合とは」というタイトルにしようとしたんですけど、まずこの話を聞いてください。

「打ち込みでパソコンに演奏させただけではカチカチで物足りない面もあるよね」となって、私の曲を技術力の高い演奏家を集めてバンドというかプロジェクトにしようとしたらどうなるかという話です。

例えばギターを頼むのにオーディションせずに誰にオファーするかとなったら、まずイングヴェイとマイケルロメオと、日本人ならKellyさん辺りが候補に挙がったとしますわ。

この中ならイングヴェイが知名度も技術力もあって、単純に「売れるもの作れ」と言われたら、話題性も充分じゃないですか。
となると、当然ギャランティも高くなるワケで。
それで、マイケルロメオはリフのバリエーションが多彩で、「英語が母国語で歌詞の方面でも期待できる」となって、「それでも中くらいの金額を提示してきた」となります。
「次は日本人なのに外人の名前の人」こと「それにしてもKellyさん(無冠の帝王清原をモチーフにした番長日記の「それにしても広沢はん、そのセカンドバッグは」風に)」は日本人で日本語でコミュニケーションが取れて、失礼に当たりますけど、この中なら報酬が抑えられたとしますわ。

(なんか英語の歌詞を乗っけること前提で話してますけど…)

となると、公共事業だと普通は一番安い所に発注しますよね。
ここで三者が話し合って「今回はウチで」みたいに最低受注金額を吊り上げることを「談合」と言うんですけど、彼らも音楽を生業にしている以上、その制作期間の生活の保証もありますよね。

「その金は誰が出すんだ」となると、アマチュアなら全部自主制作自費負担ですが(演歌好きの金持ち風に)、真っ当な方法だと、レコード会社に応募して、そこのプロデューサーが予算編成とキャスティングなどをするんだと思います。

このブログの「金融について」で書いた通り、「その予算はどこから出てくるんだ」となった時に、「音楽ファンド」と言ってましたけど、一口100万円とかで募金して、売れたら元本の2%とか3%とかの配当とかにして完成品を付けて返す方法もあるワケですな。
これを「現代風のパトロン」と言いましたが、映画などの「製作委員会」というのがそういう感じなんですかね。

確かにネット配信ならレコードやCDをプレスする必要も無いのでそれでいいかもしれませんが、現物を作るとなるとさらに費用もかさむワケです。

ナンなら私が金を出す側に回る方法もありますし、それでも公金でヤるのはグレーだとは思いますが、ローマの皇帝がある芸術家に肩入れして、「あくまで俺の給料でヤってる」と言ったという話もあるようですよ。

で、以上の話も重要なんですけど、今回は「プロとは何ぞや」という話が本題です。

ルソーは「下らぬものを作って」とか言ってましたけど、私は「評論家にも判らないような難解なものを作って」と言って、結局私も冗談めかしてユーモアとか皮肉混じりに話しているものの、ふざけてるという感じでもないし、遊び心とでも言うべきか、自己満足というか、ましてや自分で満足できるものでないと、他人を満足させることもできなくなってしまいますよね。

私なんかはキチンと理解できているかも判らないですけど、芸術とか将棋とか、そういうものにも興味もあるので、この問題には直面せざるを得ません。

周知の通り今「キッチン戦隊クックルン」という番組にハマってまして、幼稚園児に歪んだギターを聴かせても怖がるかもしれませんし、それこそ「むすんでひらいて」とかになるワケじゃないですか。
小学生になるとアニソンとかアイドルとかを聴いて、中学生高校生くらいにはポップスなどの流行歌を聴くようになったり、大学生になって英語が理解できるようになるとディスコ音楽的なものや洋楽を聴き始めたり、大人になったらクラシックやジャズじゃなくても演歌とかに行く人もいますよね。
そもそも「音楽に対する要求すら無い」という人もいるかもしれませんがね(苦笑)。

何が言いたいかというと、その「自分にしか判らない」みたいなモノを作っても、それで生活するとなると、最終的には「売れるかどうか」という問題に直面するワケです。
だから、「聴いてもらう人に合ったような曲を作る」というのもある意味プロフェッショナリズムになるワケなんですよね。

「プロに『実力派』って言葉があるのは、そうじゃないプロがいるっていうのが前提の話でクレイジー」ってのもその通りで、確かに特にポップスみたいなのだと「誰がヤるか」というのもそれはそれで的を射ていると思いますね。
「影響力」というのはそういう意味だったりしますかね。
日本はそういう意味では寛容な国なんですかね(苦笑)。

「musician's musician」という言葉を見ましたが、「音楽家のための(中の)音楽家」みたいな意味ですかね、その域に達するのは、それはそれで至難の業なんです。
しかし、こういうものは単なる技術論ではなく、「知識や技術を使って何を表現するか」というのが本質を突いていると思いますね。

オリンピックみたいにアマチュアリズムを追求することによって支持を得ているのが私だったりしますか?
目に見えるような支持が無いのですが、現物の支持を受け取るとプロになりますからね(苦笑)。
『新劇場版頭文字D』で「プロの世界なんかに興味は無いんだよ」と言っていましたが、「無いワケでもないんだけど今よりもっと勉強練習しないとイケないから」と思いましてね…体力面で不安があるもんですからね。

アマチュアというのは「愛好家」という意味ですよ。

「正論で殴るタイプ」って、ハタから見てるとイヤな連中みたいに見えるかもしれませんな!

明石家さんまさんが、「若い時に『スターってのはポケットに手を突っ込んで立ってるだけでも絵になるモノなんだよ』と言われて」と言ってましたが、私もしゃべりすぎですかね(苦笑)。

とにかく、この辺の話も実現できるものなら夢のある話ではありますよね。
メンバーみんな作曲能力があるので、「あいついらなくね」となって、俺がいなくても成立したりしてな。

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教育について

大抵の人は、何でも夢破れる所から始まるのではないかと思います。

小学生の頃は夢が大きいですよね。
でも、スポーツを部活で真剣にヤっていると、中学生高校生くらいになると「俺ってアスリートに向いてないかも」とか、才能ある人を間近で見たりして、完膚なきまでに打ちのめされるワケです。
ウェブサイトにも書いた通り、実践的能力を身に付けて行動に移しても、つまり自分では「そこそこイケてる」と思っていても、玄人筋からは「プロのレベルではない」と見られたり、他人の表象に入り込むというのはそういうことです。
しかし、そこまで努力したプロセスはキチンと評価してくれる人もいますし、10代の年齢なんてまだまだ他のこと、つまり勉強して大学に行ったり地に足の着いた職業に就いたり、いくらでもやり直しは効くはずです。

もっとも、お気付きの通り私もムチャクチャな夢追い人な面もあり、それでも現実が見えてないワケでもないです。
「0か100か」じゃないですけど、私の人生はそんな感じかも知れませんね。
こんな私でも「見習う所は見習って」とか「参考になる」とか言ってくれる人もいますし、しかし私の生き方自体は「よいこはマネしないでね」としか言いようがありません。

これもまたルソーですけど、「本を読むのは12歳を過ぎてからでいい」とありまして、「畑仕事とか土いじりみたいなのをさせて、『不作になって悲しかった』とか、外で遊んで転んだ時に痛みを知るとか」みたいなことを言っていて、それでも「獅子は谷底に我が子を突き落とす」みたいに極端になることもないと思いますね。
私は囲碁将棋などを含むゲームでもいいと思ってますが、「Trial and Error」というか、子供の時に大したことないような小さな失敗を沢山経験しておいた方が「失敗を糧にする」みたいな強靭な精神の感覚を養えるのではないかと思います。
「次は失敗しないようによく考えよう」という習慣が身に付くのではないでしょうか。
大人になってからの失敗は取り返しがつかないことが多いですよね(笑)。

「百歩譲って労働からは逃れられても生産からは逃れられない」ということです。

「機会平等」というのは「子供には等しく教育を受ける権利がある」ということだと思っていて、義務教育の「義務」は本来は、「大人や社会が子供に教育を受けさせる義務」という意味なんですけど、判りやすく言うと、「中学校を卒業する頃にはみんな読み書きそろばんくらいは出来るようになっている」ということでしょうか。

それ以降の高等教育である高校大学は偏差値で、つまり学習の達成度で進学する学校が振り分けられるワケですが、高校は、大学でどの専門に進むかの準備だと思っていて、大学で専門ができて、そこから志望職種が生まれてくるワケです。

私は高校はそこそこの高校ではあったんですが、成績は国語だけ少し良かったので、文学部を志望しました。
音楽が得意なら音大とか、美術が得意なら芸大とか、体育が得意なら体育大とかありますけど、他にも国語と社会が得意なら法学部とか、社会と数学が得意なら経済学部とか、数学と物理が得意なら理工学部とか、化学と生物が得意なら医学部とか、「潰しが効く」とか見栄で選ぶのではなく、自分に適正のありそうな専門に進んだ方が将来的にもいいんじゃないかと思いますがいかがですか。

文学部なら作家になれなくてもマスコミや通訳などもありますし、法学部なら司法試験じゃなくても公務員などもありますし、経済学部ならエコノミストや経営コンサルタントとか自分で起業して社長になったりとか、理工学部なら建築士やエンジニアなどで、医学部系なら卒業する大半は国家試験を通過できて医者や看護師や薬剤師などになれますが、もっとも、芸能人とかスポーツ選手とかじゃなくても、こういう本当の専門家になれる人なんてのも限られたりはするんですがね…。

「結果平等」というのは、前にも書きましたが、「みんなで手をつないでゴール」みたいなことです。
そうすると何が起こるかというと、「頑張っても頑張らなくてもみんな同じ」となって、結局みんな頑張らなくなるということになってしまうのではないでしょうか。

違うジャンル同士で競っても、結果は異なるのは判りきったことですので、どっちが優れているとかではなく、お互い足りない所があれば助け合う精神というのか、私も注目されてるとすれば「現時点で出来ることを」みたいな心持ちですので。

ウェブサイトにも書いた「女性が技術職に向いてない問題」ですけど、昔は女性は会社に就職してもお茶汲みとかだったんですかね。
10年以上前ですけど、同級生と飲み会をした時に、「勘定奉行作ってる」と言ったヤツがいまして。
そこで、女性の特質を判りやすく言うと、勘定奉行は財務会計ソフトなんですが、「勘定奉行は作れなくても、それを使って経理ならできるでしょ」ってことだと思うんですけど、実際窓口業務とか事務とかの一般職に就くことが多くて、企画などを考える総合職の女性も少ないらしいですし、結婚出産を考えると管理職にもなれないしなりたがらないみたいな状況があると聞いて、それが男女の所得格差になっているんでしょうか。
スーパーのレジ打ちなどのパートタイマーやウエイトレスなどのフロアレディとか、そういう女性も多いので、必然的に男性とは所得の平均値に差が出てしまいますよね。

もっと判りやすく言うと、「スマホとかインスタグラムは作れなくても、インフルエンサーにはなれるでしょ」ってことですよね。

今は10年経てば全く違う技術が生まれるので、大人も「常に勉強」という姿勢でいないと変革する社会に着いていけなくなってしまい、それでももう「生涯学習」という言葉は死語ですかね、「『メシ風呂寝る』では新しいアイディアは生まれませんよね」という言葉も印象に残っています。
その方は「優れた先人の考え方を真似る所から始める」とおっしゃっていました。

技術職って、もちろん大工とか運送業とかも含まれますかね。
ネットで「『介護職への誘導』はNGワード」というのを見まして、それでも書いてしまったんですが、実は現代の貧困問題についてもっとNGなことを思い付いたんですよね。

親指を富裕層、人差し指と中指を中間層、薬指と小指を貧困層とすると、指一本が20%となって、非正規雇用のワーキングプアの貧困層がちょうど40%になるんですよね。
これが何を意味するかというと、貧困率が5分の2だったのが、人口が5倍になったとすると、貧困率が25分の10になるワケなんです。
つまり、5人の内2人が貧困だったのが、25人の内の10人が貧困ということになって、貧困層の絶対数まで5倍になってしまいます。

近代化から現代になって、特に先進国では中産階層ができたのはよかったのですが、貧困層の割合が変わらないとすると、爆発的に増えた貧困層の絶対数をどう救うかの問題がかなり大きくなってしまいますよね。

何が言いたいかというと、私は、「教育と社会制度によって、全員が富裕層になれるとは言わないまでも、指を1個ずつくらい横にスライドできるんじゃないの?」と考えてるワケなんですよね。

偉そうに教育についての雑感を述べましたが、私も実子もいなければ自由に使える金も持ってませんけどね…。
やはり日本の教育制度と貧困問題の「解説」でしかないように思いますね。

日本の大学が世界の中に入るとランクが低いのは、英語を使ってなくて留学生も少ない所から来ているらしいですが、私はどちらかというとヨーロッパ帰りという感じで、それでも実際は海外には旅行ですら行ったこともありません(苦笑)。

皮肉にも、「平等を実現するための学校が、格差を再生産して固定してしまう」という話でした。

とにかく、教育現場で一番問題なのはいじめや虐待だと思いますよ!

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ドラクエ3を語る

スクウェア・エニックスはRPGが主力商品ですが、ドラゴンクエストが子供向けで、ファイナルファンタジーがハリウッド映画的で、サガがゲームマニア向けみたいな感じだと思っています。
お姫様を守る側を体験する「男のディズニー」という感じだと。

私がサガの新作の制作発表の時に「オンラインゲームにしてほしくないです」みたいなことを言ったら、他で「キャラゲーにしてほしくはない」みたいなツイートを見て、「キャラゲーじゃないRPGってウィザードリィとかルナティックドーンとかだけど、ドラクエ3とロマサガ2もそうかな?」とツイートして、最近ドラクエ3を2回クリアしまして、確かにキャラゲーじゃなくてもこれだけ面白い理由は何なんでしょうね。

ロマサガは詩人がキーマンですけど、1は世界観設定、2はシステム、3はキャラクターの勝利だと思っていて、ドラクエもオンラインも無双もありますけど、確かにサガでヤるのも面白そうですよね。

ドラクエについて語ろうと思っても、ナンバリングタイトルが多すぎて、取り敢えずは社会現象になった「ドラゴンクエスト3 そして伝説へ…」を語ることにします。

なぜかと言うと、勤労感謝の日に何か書こうと思って、ドラクエ3は丁度ダーマの神殿の転職に見て取れるジョブシステムを導入したゲームだったからですかね。

ファミコン版でも子供の頃レベル32くらいでゾーマに勝っていた記憶がありますが、何回かリメイクされる度にボス戦がだんだんシビアになってきている印象です。

高校の時の友人が「ドラクエは大魔王だからね」とか言ってましたが、エピソードもおとぎ話的で、「ゲームだからって別に非難されるような変なことは言ってない」とも思っていて、それでもドラクエは「よく見ると結構血みどろな話が多いけど血が出ない感じ」と評しています。

主人公は「勇者」として、世界に1人しかいないような感じで、仲間は酒場で、戦士、武闘家、盗賊、商人、遊び人、僧侶、魔法使いを性格からカスタムして選んで加えることができます。
レベルが20になって「悟りの書」を持ってダーマの神殿に行くと、賢者に転職できます。
実は、遊び人がレベル20になっても無条件で賢者に転職できます。

子供の頃ですけど、「下の世界」であるアレフガルドでラダトーム周辺でボストロールが出て、ひたすらバシバシ攻撃を当てても全然死ななかったことがあって、最近もミンサガでダークが消えたままパーティに入ってる感じになったり、こういうバグはどういうことなんですかね。

「上の世界」は現実の世界地図を元にしたマップです。
スタート地点のアリアハンは、幻のムー大陸ということなんでしょうかね。
沈んだんだか何だかのアトランティス大陸はアトランティックオーシャンで大西洋なんですかね。
「ローマとイタリアでロマリア」とか、アリアハンのレーベという村も、『フランス革命の省察』で「レーベの熱狂」みたいな言葉を読みました。

シナリオは堀井雄二で、グラフィックは『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などの鳥山明で、音楽はすぎやまこういちです。
「すぎやまこういち先生は当時の小学生に変拍子を叩き込んでたんですね?」というツイートを見ましたけど、城のBGMはバロックだったり、今思えば私の音楽への影響は大きいですよね。
友人が「ドラクエはあの3人の誰かが逝ったら終わりそうな気がするよね」とか言ってましたが、もう皆さんご高齢なんですかね、後継者はどうなんですかね。

私は「お笑い番組だけ見ててもお笑い芸人にはなれないように」と言ってるんですけど、河津神が「僕らの時代にゲームが無くてよかったと思いますよね」と言っていて、こういう人達はある意味パイオニアで、他の勉強や体験をしながら育ってきているので物語にも深みがあると思っていて、ゲームしかヤってこなかった世代がゲームを作るようになっても、それはどうなんですかね。
堀井雄二が、「淡路島の自然や遺跡を見て育った」というようなことを言っていましたが、子供の頃にそういう原体験はしておいた方がいいとは思いますよね。
「作家性」というのはそういうことなんだと思います。
ゲームというジャンルだけではなく、これがこれからの時代の危惧するところではあります。
自分で色々な体験ができなければ、本や映画を見て色々な人がいるのを知るのも良いと思いますし、「何をするにもある程度の教養は必要」ということでしょうか。

「現実の世界地図を元にしたマップ」ですけど、メルカトル図法だと、北極の方に抜けていったら、反対側の北から出てこないとイケないんですよね。
つまり、上に抜けたら上から出てくるということです。
ビートたけしの数学番組でこの問題を数学者の人と解いてて、こういう、北極に向かっていったら南極から出てくる地図を三次元にすると、ドーナツ型になるらしいです。

「ぱふぱふ」とかも「俺仕様」なのかなと思いましたが、どうなんですかね(苦笑)。

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