教育について
大抵の人は、何でも夢破れる所から始まるのではないかと思います。
小学生の頃は夢が大きいですよね。
でも、スポーツを部活で真剣にヤっていると、中学生高校生くらいになると「俺ってアスリートに向いてないかも」とか、才能ある人を間近で見たりして、完膚なきまでに打ちのめされるワケです。
ウェブサイトにも書いた通り、実践的能力を身に付けて行動に移しても、つまり自分では「そこそこイケてる」と思っていても、玄人筋からは「プロのレベルではない」と見られたり、他人の表象に入り込むというのはそういうことです。
しかし、そこまで努力したプロセスはキチンと評価してくれる人もいますし、10代の年齢なんてまだまだ他のこと、つまり勉強して大学に行ったり地に足の着いた職業に就いたり、いくらでもやり直しは効くはずです。
もっとも、お気付きの通り私もムチャクチャな夢追い人な面もあり、それでも現実が見えてないワケでもないです。
「0か100か」じゃないですけど、私の人生はそんな感じかも知れませんね。
こんな私でも「見習う所は見習って」とか「参考になる」とか言ってくれる人もいますし、しかし私の生き方自体は「よいこはマネしないでね」としか言いようがありません。
これもまたルソーですけど、「本を読むのは12歳を過ぎてからでいい」とありまして、「畑仕事とか土いじりみたいなのをさせて、『不作になって悲しかった』とか、外で遊んで転んだ時に痛みを知るとか」みたいなことを言っていて、それでも「獅子は谷底に我が子を突き落とす」みたいに極端になることもないと思いますね。
私は囲碁将棋などを含むゲームでもいいと思ってますが、「Trial and Error」というか、子供の時に大したことないような小さな失敗を沢山経験しておいた方が「失敗を糧にする」みたいな強靭な精神の感覚を養えるのではないかと思います。
「次は失敗しないようによく考えよう」という習慣が身に付くのではないでしょうか。
大人になってからの失敗は取り返しがつかないことが多いですよね(笑)。
「百歩譲って労働からは逃れられても生産からは逃れられない」ということです。
「機会平等」というのは「子供には等しく教育を受ける権利がある」ということだと思っていて、義務教育の「義務」は本来は、「大人や社会が子供に教育を受けさせる義務」という意味なんですけど、判りやすく言うと、「中学校を卒業する頃にはみんな読み書きそろばんくらいは出来るようになっている」ということでしょうか。
それ以降の高等教育である高校大学は偏差値で、つまり学習の達成度で進学する学校が振り分けられるワケですが、高校は、大学でどの専門に進むかの準備だと思っていて、大学で専門ができて、そこから志望職種が生まれてくるワケです。
私は高校はそこそこの高校ではあったんですが、成績は国語だけ少し良かったので、文学部を志望しました。
音楽が得意なら音大とか、美術が得意なら芸大とか、体育が得意なら体育大とかありますけど、他にも国語と社会が得意なら法学部とか、社会と数学が得意なら経済学部とか、数学と物理が得意なら理工学部とか、化学と生物が得意なら医学部とか、「潰しが効く」とか見栄で選ぶのではなく、自分に適正のありそうな専門に進んだ方が将来的にもいいんじゃないかと思いますがいかがですか。
文学部なら作家になれなくてもマスコミや通訳などもありますし、法学部なら司法試験じゃなくても公務員などもありますし、経済学部ならエコノミストや経営コンサルタントとか自分で起業して社長になったりとか、理工学部なら建築士やエンジニアなどで、医学部系なら卒業する大半は国家試験を通過できて医者や看護師や薬剤師などになれますが、もっとも、芸能人とかスポーツ選手とかじゃなくても、こういう本当の専門家になれる人なんてのも限られたりはするんですがね…。
「結果平等」というのは、前にも書きましたが、「みんなで手をつないでゴール」みたいなことです。
そうすると何が起こるかというと、「頑張っても頑張らなくてもみんな同じ」となって、結局みんな頑張らなくなるということになってしまうのではないでしょうか。
違うジャンル同士で競っても、結果は異なるのは判りきったことですので、どっちが優れているとかではなく、お互い足りない所があれば助け合う精神というのか、私も注目されてるとすれば「現時点で出来ることを」みたいな心持ちですので。
ウェブサイトにも書いた「女性が技術職に向いてない問題」ですけど、昔は女性は会社に就職してもお茶汲みとかだったんですかね。
10年以上前ですけど、同級生と飲み会をした時に、「勘定奉行作ってる」と言ったヤツがいまして。
そこで、女性の特質を判りやすく言うと、勘定奉行は財務会計ソフトなんですが、「勘定奉行は作れなくても、それを使って経理ならできるでしょ」ってことだと思うんですけど、実際窓口業務とか事務とかの一般職に就くことが多くて、企画などを考える総合職の女性も少ないらしいですし、結婚出産を考えると管理職にもなれないしなりたがらないみたいな状況があると聞いて、それが男女の所得格差になっているんでしょうか。
スーパーのレジ打ちなどのパートタイマーやウエイトレスなどのフロアレディとか、そういう女性も多いので、必然的に男性とは所得の平均値に差が出てしまいますよね。
もっと判りやすく言うと、「スマホとかインスタグラムは作れなくても、インフルエンサーにはなれるでしょ」ってことですよね。
今は10年経てば全く違う技術が生まれるので、大人も「常に勉強」という姿勢でいないと変革する社会に着いていけなくなってしまい、それでももう「生涯学習」という言葉は死語ですかね、「『メシ風呂寝る』では新しいアイディアは生まれませんよね」という言葉も印象に残っています。
その方は「優れた先人の考え方を真似る所から始める」とおっしゃっていました。
技術職って、もちろん大工とか運送業とかも含まれますかね。
ネットで「『介護職への誘導』はNGワード」というのを見まして、それでも書いてしまったんですが、実は現代の貧困問題についてもっとNGなことを思い付いたんですよね。
親指を富裕層、人差し指と中指を中間層、薬指と小指を貧困層とすると、指一本が20%となって、非正規雇用のワーキングプアの貧困層がちょうど40%になるんですよね。
これが何を意味するかというと、貧困率が5分の2だったのが、人口が5倍になったとすると、貧困率が25分の10になるワケなんです。
つまり、5人の内2人が貧困だったのが、25人の内の10人が貧困ということになって、貧困層の絶対数まで5倍になってしまいます。
近代化から現代になって、特に先進国では中産階層ができたのはよかったのですが、貧困層の割合が変わらないとすると、爆発的に増えた貧困層の絶対数をどう救うかの問題がかなり大きくなってしまいますよね。
何が言いたいかというと、私は、「教育と社会制度によって、全員が富裕層になれるとは言わないまでも、指を1個ずつくらい横にスライドできるんじゃないの?」と考えてるワケなんですよね。
偉そうに教育についての雑感を述べましたが、私も実子もいなければ自由に使える金も持ってませんけどね…。
やはり日本の教育制度と貧困問題の「解説」でしかないように思いますね。
日本の大学が世界の中に入るとランクが低いのは、英語を使ってなくて留学生も少ない所から来ているらしいですが、私はどちらかというとヨーロッパ帰りという感じで、それでも実際は海外には旅行ですら行ったこともありません(苦笑)。
皮肉にも、「平等を実現するための学校が、格差を再生産して固定してしまう」という話でした。
とにかく、教育現場で一番問題なのはいじめや虐待だと思いますよ!
小学生の頃は夢が大きいですよね。
でも、スポーツを部活で真剣にヤっていると、中学生高校生くらいになると「俺ってアスリートに向いてないかも」とか、才能ある人を間近で見たりして、完膚なきまでに打ちのめされるワケです。
ウェブサイトにも書いた通り、実践的能力を身に付けて行動に移しても、つまり自分では「そこそこイケてる」と思っていても、玄人筋からは「プロのレベルではない」と見られたり、他人の表象に入り込むというのはそういうことです。
しかし、そこまで努力したプロセスはキチンと評価してくれる人もいますし、10代の年齢なんてまだまだ他のこと、つまり勉強して大学に行ったり地に足の着いた職業に就いたり、いくらでもやり直しは効くはずです。
もっとも、お気付きの通り私もムチャクチャな夢追い人な面もあり、それでも現実が見えてないワケでもないです。
「0か100か」じゃないですけど、私の人生はそんな感じかも知れませんね。
こんな私でも「見習う所は見習って」とか「参考になる」とか言ってくれる人もいますし、しかし私の生き方自体は「よいこはマネしないでね」としか言いようがありません。
これもまたルソーですけど、「本を読むのは12歳を過ぎてからでいい」とありまして、「畑仕事とか土いじりみたいなのをさせて、『不作になって悲しかった』とか、外で遊んで転んだ時に痛みを知るとか」みたいなことを言っていて、それでも「獅子は谷底に我が子を突き落とす」みたいに極端になることもないと思いますね。
私は囲碁将棋などを含むゲームでもいいと思ってますが、「Trial and Error」というか、子供の時に大したことないような小さな失敗を沢山経験しておいた方が「失敗を糧にする」みたいな強靭な精神の感覚を養えるのではないかと思います。
「次は失敗しないようによく考えよう」という習慣が身に付くのではないでしょうか。
大人になってからの失敗は取り返しがつかないことが多いですよね(笑)。
「百歩譲って労働からは逃れられても生産からは逃れられない」ということです。
「機会平等」というのは「子供には等しく教育を受ける権利がある」ということだと思っていて、義務教育の「義務」は本来は、「大人や社会が子供に教育を受けさせる義務」という意味なんですけど、判りやすく言うと、「中学校を卒業する頃にはみんな読み書きそろばんくらいは出来るようになっている」ということでしょうか。
それ以降の高等教育である高校大学は偏差値で、つまり学習の達成度で進学する学校が振り分けられるワケですが、高校は、大学でどの専門に進むかの準備だと思っていて、大学で専門ができて、そこから志望職種が生まれてくるワケです。
私は高校はそこそこの高校ではあったんですが、成績は国語だけ少し良かったので、文学部を志望しました。
音楽が得意なら音大とか、美術が得意なら芸大とか、体育が得意なら体育大とかありますけど、他にも国語と社会が得意なら法学部とか、社会と数学が得意なら経済学部とか、数学と物理が得意なら理工学部とか、化学と生物が得意なら医学部とか、「潰しが効く」とか見栄で選ぶのではなく、自分に適正のありそうな専門に進んだ方が将来的にもいいんじゃないかと思いますがいかがですか。
文学部なら作家になれなくてもマスコミや通訳などもありますし、法学部なら司法試験じゃなくても公務員などもありますし、経済学部ならエコノミストや経営コンサルタントとか自分で起業して社長になったりとか、理工学部なら建築士やエンジニアなどで、医学部系なら卒業する大半は国家試験を通過できて医者や看護師や薬剤師などになれますが、もっとも、芸能人とかスポーツ選手とかじゃなくても、こういう本当の専門家になれる人なんてのも限られたりはするんですがね…。
「結果平等」というのは、前にも書きましたが、「みんなで手をつないでゴール」みたいなことです。
そうすると何が起こるかというと、「頑張っても頑張らなくてもみんな同じ」となって、結局みんな頑張らなくなるということになってしまうのではないでしょうか。
違うジャンル同士で競っても、結果は異なるのは判りきったことですので、どっちが優れているとかではなく、お互い足りない所があれば助け合う精神というのか、私も注目されてるとすれば「現時点で出来ることを」みたいな心持ちですので。
ウェブサイトにも書いた「女性が技術職に向いてない問題」ですけど、昔は女性は会社に就職してもお茶汲みとかだったんですかね。
10年以上前ですけど、同級生と飲み会をした時に、「勘定奉行作ってる」と言ったヤツがいまして。
そこで、女性の特質を判りやすく言うと、勘定奉行は財務会計ソフトなんですが、「勘定奉行は作れなくても、それを使って経理ならできるでしょ」ってことだと思うんですけど、実際窓口業務とか事務とかの一般職に就くことが多くて、企画などを考える総合職の女性も少ないらしいですし、結婚出産を考えると管理職にもなれないしなりたがらないみたいな状況があると聞いて、それが男女の所得格差になっているんでしょうか。
スーパーのレジ打ちなどのパートタイマーやウエイトレスなどのフロアレディとか、そういう女性も多いので、必然的に男性とは所得の平均値に差が出てしまいますよね。
もっと判りやすく言うと、「スマホとかインスタグラムは作れなくても、インフルエンサーにはなれるでしょ」ってことですよね。
今は10年経てば全く違う技術が生まれるので、大人も「常に勉強」という姿勢でいないと変革する社会に着いていけなくなってしまい、それでももう「生涯学習」という言葉は死語ですかね、「『メシ風呂寝る』では新しいアイディアは生まれませんよね」という言葉も印象に残っています。
その方は「優れた先人の考え方を真似る所から始める」とおっしゃっていました。
技術職って、もちろん大工とか運送業とかも含まれますかね。
ネットで「『介護職への誘導』はNGワード」というのを見まして、それでも書いてしまったんですが、実は現代の貧困問題についてもっとNGなことを思い付いたんですよね。
親指を富裕層、人差し指と中指を中間層、薬指と小指を貧困層とすると、指一本が20%となって、非正規雇用のワーキングプアの貧困層がちょうど40%になるんですよね。
これが何を意味するかというと、貧困率が5分の2だったのが、人口が5倍になったとすると、貧困率が25分の10になるワケなんです。
つまり、5人の内2人が貧困だったのが、25人の内の10人が貧困ということになって、貧困層の絶対数まで5倍になってしまいます。
近代化から現代になって、特に先進国では中産階層ができたのはよかったのですが、貧困層の割合が変わらないとすると、爆発的に増えた貧困層の絶対数をどう救うかの問題がかなり大きくなってしまいますよね。
何が言いたいかというと、私は、「教育と社会制度によって、全員が富裕層になれるとは言わないまでも、指を1個ずつくらい横にスライドできるんじゃないの?」と考えてるワケなんですよね。
偉そうに教育についての雑感を述べましたが、私も実子もいなければ自由に使える金も持ってませんけどね…。
やはり日本の教育制度と貧困問題の「解説」でしかないように思いますね。
日本の大学が世界の中に入るとランクが低いのは、英語を使ってなくて留学生も少ない所から来ているらしいですが、私はどちらかというとヨーロッパ帰りという感じで、それでも実際は海外には旅行ですら行ったこともありません(苦笑)。
皮肉にも、「平等を実現するための学校が、格差を再生産して固定してしまう」という話でした。
とにかく、教育現場で一番問題なのはいじめや虐待だと思いますよ!