Romancing Note

あと何回桜見られるか。

ローマの休日

正月にローカルテレビで『ローマの休日』を放送していたので、この歳になって初めて観ました。

「ヨーロッパ最古の王室」のアン王女が、ヨーロッパ歴訪中のローマで、興奮したり公務に嫌気が差したりで、鎮静剤を打たれたまま夜中に抜け出して街中に出て丸1日過ごす話なんですが、これ以上言うとネタバレですね。

しかし、これほど知れ渡った作品となっても、あまりにも有名な、あの「真実の口に手を突っ込んで右手が食いちぎられるフリのイタズラ」も、聖書を読むと「そういう意味だったんだー」となって、他にも、ルソー『社会契約論』とニーチェ『善悪の彼岸』辺りを予習として読んでおくと、更に楽しめると思います。

一般紙が大衆紙をいじめてるのかと思いましたが、「あなた顔が良いわね」とか「そのヒゲ!」とか、むしろ「あの2人がルソーとニーチェってことなんじゃないか?」という感じです。

ヒッチコックも出てきますが、「ヒッチコックなんて最悪のセクハラ野郎だし」というのも聞いてまして、「名前からしてセクハラだもんね」とか思いながら。
そういう意味ですよね?

字幕で観て、西洋の言語を少しでも知ってると更に可かと。

「ヨーロッパ最古の王室」ですが、具体的にどの国だとは語られていないんですかね。
「蒋介石の奥さんじゃねえぞ」という台詞があったので、台湾ではないんでしょうか?
となると推測できるのは…(笑)。

タクシーの運ちゃんが「俺もこの女をいらない、お前もこの女をいらない」と言うシーンがあって、「現代社会に形骸化した王は必要か」ということでしょうかね(苦笑)。

アンという名前で言えば、『Anne of Green Gables(邦題赤毛のアン)』が浮かびますが、こちらも舞台が「プリンスエドワード島」で、養子の里親仲介の地元の名士か何かの人が「スペンサー夫人」という名前だったり、スペンサーと言えば「空想的社会主義」なんでしょうか?

ニュースキャスターの安藤優子さんが「そういうもんですか」と言ってましたが、「多分中にはそういうものもあると思います」と。
でも「勘違いしちゃイケねぇ」と踏みとどまった方がいいかもしれませんな。

オードリー・ヘップバーンはこの映画でアカデミー賞主演女優賞を獲ったんですかね、普通に評価されている作品ですが、映画自体もそういうのを知ってればそれ以上に名作だと思えます。
最後ウルッと来そうになりましたよ。

「この映画、アメリカの贖罪ですわ」と思ったんですが、まあ「フラれたよ」って話ですか…。

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ドラキュラZERO

「ドラキュラZERO」というホラー系時代劇の映画を観て、私がこういうのが好きなのも周知の通りですか。

「ドラキュラ」は吸血鬼界で一番有名な、ルーマニアのトランシルバニア地方の領主だった「ヴラド・ツェペシュ」という実在の人物がモデルです。
国と民と家族を守る話ではありますよ。

そも「吸血鬼」というのは、民間伝承で東欧に多いそうで、キーワードは「スラブ系」と「東方正教会」と「美少女」でしょうか。

「東欧は美人の産地」という言葉を聞いたことがありますが、あの辺りは血が混ざりまくってて、「混血」とは言うものの、人間の場合は必ずしも悪い方に出るかは判りませんよね(苦笑)。

「流浪の民」であるジプシーというのは、「エジプシャン(エジプト人)」という意味で、ジプシーにも吸血鬼伝承があるそうで、彼らは「ロマ」と自称したりするんでしょうか、地域社会との軋轢から彼らへの差別もヨーロッパでは社会問題になっているそうです。
ルソーの「エジプトよりさらに南にはアフリカと西インドが考えられようが」というのは、そういう意味合いもあるんでしょうか。

吸血鬼関連の小説や寓話は、ゴリゴリの文学から大衆雑誌の連載まで、数多く存在するようです。

基本的に、処女の生き血を啜ったり体に塗りつけたりして、不老不死や若返りを狙うのが主な説なんでしょうか。

「死者が甦る」というようなのは、カトリックでは認めていなかったため、ウクライナから北の方からバルカン半島に移動してきたスラブ人の間で恐れられていた"迷信"と言ってよいのかどうか。
そのためか、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と言われていました。

オーストリアとハンガリーにはスラブ人は少ないそうで、ドラキュラの語源の「ドラクル」は、ハンガリーの王室が作った「ドラゴン騎士団」という名誉職から来ていて、ドラキュラの本義は「竜の息子」という意味だそうです。

「フィン人というのはハンガリーのナンチャラ」というのもカントの著作で読みました。

映画の主人公である「ヴラド・ツェペシュ」の「ツェペシュ」は、「串刺し公」の意味で、罪人や反逆者や侵略者などを串刺しにして地面に突き立てる刑罰を行っていたことに由来しています。

当時はオスマン帝国が強くて、そのヴラド3世は幼少期にオスマン・トルコに兵(つわもの)になるように狩り出されてかなり厳しく育てられました。
帰国してワラキア領主となり、同じように領内の子供を1000人兵士となるように要求されて、自分の嫡男もその中に入っていたことから、暗い洞窟に巣くうオルロック(?)に協力を乞うて、半ば悪魔に魂を売り渡す形で、3日間限定でヴァンパイアになります。

その時に「ここに入ってくる者は恐怖ばかりだが、お前には希望がある」みたいに言われるんですが、他にも気になる展開や台詞も多々ありました。

途中で、ヴァンパイアになる期間を延ばすために右手から血を流して杯(さかずき)に受けて血を差し出す人物が現れるんですが、つまり聖杯ということで、キリストということなんでしょうか?
「お前ふざけるなよ?」と言ってそれを拒否するんですけど、キリスト教の「アーメン」というのは、「それな」というような意味だと聞きました。

やはり弱点は十字架や銀や日光(サンシャイン)なんですけど、駆け込み寺でもある修道院でも「祈っているだけではダメだ、立ち上がるんだ」と言っていました。
「俺がいるからこの国は成り立ってるんだぞ!」みたいなことも言っていましたが、「それは言っちゃダメ」という感じですかね、奥さんも「こんなのあなたじゃない」と(苦笑)。

ちなみにキリストの復活祭は英語でイースター(East-er)と言いますよね。

ヴァンパイアは心臓に杭を打って地面に縛り付けて滅するんですが、「ステークホルダー」という言葉もありますよね。
日本では「出る杭は打たれる」という言葉がありますが(笑)。

他にも、文学作品では『カーミラ』のような女性のレズビアンのヴァンパイアなどもいて、私が生まれた1979年の『夜明けのヴァンパイア』という小説では、レスタト・ド・リオンクールという名前で、ロック音楽に共鳴して、「ヴァンパイア・レスタト」というロックバンドを結成して大成功を収めるヴァンパイアが主人公だそうです。
本当にそうなった?

ウェブサイトに曲を上げている「悪魔城ドラキュラ」は、その逆のヴァンパイアハンターが主人公で、ドラキュラを倒すゲームですよ。
海外では「Castlevania」という名前で販売されて好評を得ているそうです。

「この時代では『この国に攻め込んだらヤバい』と恐れられることが重要」みたいに言っていましたが、少しでも「なるほど」と思ってしまった自分がいて、しかしもうそんな時代でもないのも事実なので、悪しからず。

「この映画が面白かった」という話ですよ。

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大奥

『大奥』の映画版を観て、実現する前に少し書こうと思いました。
ホントに実現するのか?
テレビドラマもヤっていましたが、私は観ていなくて、取り敢えず映画版は「絵島生島事件」がテーマです。
裏テーマは「大奥の粛清」にあるんでしょうか?

ネタバレになるので粗筋は言いませんが、いわゆる「魑魅魍魎の世界」を感じましたね。
ルソーが「あまりにも明らかに悪い」と言っていたのが判るような、とにかく、私は「本当に幕府を作って大奥を作ったら、歴史は繰り返さないように気を付けよう」と思いましたよ。

気になった台詞を抜き出すと、井川遥演じる月光院が「町方の出で教養が無い」というのを理由にイビられる所から始まって、それに付き従う絵島が「他人の罪を許せるのが貴人の教養」と返すんですけど、月光院は前将軍の寵愛を受けて、現将軍である5歳の家継の生母です。
井川遥は当時私もパソコンの壁紙にしていて「癒し系」と言われてましたよね。
フランスのルイ16世の趣味だった「錠前」も出てきますよ。

本義での「お局様」に毒蛇を仕向けられた奥女中が「もう里に帰りたい」と言っていましたが、あんな世界にいたらそうなるのも判りますよね。
その奥女中は月光院派です。

にゃんと言うか、前にも書きましたが、男1人に対して女が多数というのは、「そう考えると側室は性奴隷ではないが、その代わり色々な意味で『我慢』を強いられることになるワケだな」ということですな。

そういう本を少し購入してパラパラっと読んでみたのですが、私の言う「有識者」というのは、こういう具体的なことを知っている人なんですけど、私は「まあ抽象的なことは判った」と。

島流しとか磔とか、5歳の家継が「もっと軽い刑にしてやれ」と言うんですけど、「その内向きさえ晒せば麗句」なニュアンスも感じ取れまして、映画観るのにも「読解力」って必要なんですよね。

和風の美も映像美として昇華できていたような印象も受けました。
私も「宮殿」を建てるなら和風にしようか洋風にしようか迷いますが、「現代風」にした方がいいですかね。

作中で「子供が見るもんじゃないよ」とは言ってましたけどね(苦笑)。

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ロリータ

夏休み(子供の)に外に出かけたら、幼女をよく見かけて、なぜか美少女が好きなので、目で追いながら。
それで、去年『ロリータ』という映画を観たので、少し書こうと思いました。

私が観たのは90年代のリメイク版なんですけど、60年代の最初の作品はキューブリック監督で、「その名前どっかで聞いた事あるな」と思ったら、『2001年宇宙の旅』の人でした。
『2001年宇宙の旅』のテーマ曲は「ツァラトゥストラはかく語りき(ツァラトゥストラはこう言った)」でしたっけ?
「ツァラトゥストラ」はニーチェが「ルサンチマン」とか「超人」とか「神は死んだ」とかの有名な言葉を盛り込んだ本です。

なんかこの辺りが「俺と思想が近いかな」という感じですが、『ロリータ』には原作があって、ロシアの作家の人です。
アメリカで翻訳された時は「ポルノまがい」と批判されたらしいですけど、舞台はアメリカなんですよね。
私は原作者にも監督にも勘繰ってしまうんですが(苦笑)。

話のあらすじを書くのはネタバレになるので控えますが、サスペンスの要素もありますよ。
キューブリック版は観てないんですけど、そっちにはそういう表現はあるかな?
暇だから観ればいいじゃんね。

ロリータは登場する女の子の名前で、これはロリータコンプレックス略してロリコンの語源です。
男の子の場合は小太郎コンプレックス略してショタコンと言うんですか?
病的な小児性愛者はペドフィリア略してペドとか言うんですかね。
私は何の依存症でもない感じですが、手に届く所に美少女がいたらこうなってセックス依存症みたいになるかも知れません。
しかしそれくらい特権として許して下さいよ。
「それくらい」というのは不適切ですか?
「特権」の方が問題発言ですかね。

主人公はフランスからアメリカに亡命したハンバート・ハンバートという大学教授なんですけど、「ガリレオ・ガリレイみたいだな」と思って、「火あぶりだ!」って感じですかね。
手っ取り早く言うと、「未亡人と結婚して、その一人娘のロリータと関係を持ってしまう」って話です。

のっけから12歳の少女が庭で「水もしたたる」感じで寝そべって服が体に張り付いて透けてるみたいなのを見て「beautiful」とつぶやいてしまうんですけど、私も極めて純粋にそう思う事はあります。
だからって何考えてるかを知って幻滅する事もありますんで。
「あくびは100年の恋も冷める」とか言いましたっけ?

美少女が拝めて喜んでいるNHKのEテレの『キッチン戦隊クックルン』の女の子みたいに家事を手伝おうとするような子は良いです。
「こういうのを作ってくれたらイチコロです」とか言いながら、手料理なら滅多な事では文句は言いませんので。

『クックルン』では歌と踊りもあって、『ロリータ』の中でその義理の娘の担任に言われる「このくらいの女の子に必要なのは演劇とダンスとデートです」というのに、「あー確かにねー。女優とアイドルとモデルって事だよね」と思って、さらに「性的な事に全く関心を持っていません。お父さんが教えてあげて下さい」と言われて、ニーチェの「その人の性欲の程度はその人の精神の大きさに匹敵する」を思い出して、「むしろテレパシーが伝わってない本当に純真無垢な美少女に手ほどきを加えるのが」とか思いながら、これが私の性癖です。
処女に異常なほどこだわるという。
実際、巫女は処女じゃないとダメとか、生理を忌み嫌ったりするような迷信もあるんですかね。
暴力的あるいは変態的な性欲はありませんが、「ごっつ触りたいわー(浜ちゃん風に)」とか思ってしまうのが私のサガです。
セクハラとかパワハラみたいなのも年を取ってどうしようもなくなったら権力を濫用してヤるかも知れませんが、強要するようなのも好きじゃないです。
触るのよりも舐めたくなるんですよね(苦笑)。
おっぱいが無いのに胸ばっかり見て、毛も生えてないのが良いんですよ!

牧野羽咲の代のクックルンの最後の料理が赤飯おにぎりだったので、「これくらいの女の子で赤飯ってヤバいだろ!」と思いながら。

色仕掛けで「お小遣い週1ドルを2ドルにして」と迫るのに笑ってしまいました。
「女性陪審員の皆さん」とか言いながら。

未亡人が「フランス語には興味があるのよ」とか「ドイツ人のメイドを雇いたい」と言って、フランク民族は自由の民で、フランス語は日本語と同様に女言葉みたいなのもあるんですかね、あとドイツ人は厳格で真面目なイメージですよね。
主人公の専門は文学で、未亡人に書きかけの文学作品を見られてメンヘラ気味に「これ私の事なの?」と言われて「それは架空の人物だ」と返すんですけど、私のサガの企画もほとんど架空の人物ですので。
モデルみたいな人物がいるキャラクターもありますけど。

私は子供の頃から散々っぱら悪口だけ言われ放題で、こっちの愛想も尽きてるんですけど、少女と付き合っても犯罪にされて子供も作れないですし、かと言って同年代の女性と付き合っても、子供が産めない体だったら側室でももらわない限り子孫はできないですし、今の今まで危機感も覚えずに放置した罪は重いと思いますよ?
「信用できるヤツもいないけど、さすがに子供には罪は無い」と思ってるので、理詰めでそういう事にもなって、私も生活や精神の安定が必要条件な活動をしてるので、「下が全く上に合わせる気がない」とか言ってましたけど、そちらも私に合わせられるように努力はして下さいね。
俺がそっちの精神の安定だけ考えるのはおかしいので、俺はつくづく奴隷って事だな。
この段落みたいな負の感情は持ちたくないんですけどね!

単に話を合わせるとかじゃなくて、最低限怒らせないようにするとか、そういう事です。
相手の方が自分よりはるか先や上を行っていた、なんて事もあったりして(笑)。

スポーツ選手の時だけ「内助の功」みたいに言われますが、アート系の人間もヤっている事に影響が直に出てしまうので、そういう女性とくっついたらお互い幸せになれない感じでもありますよね。
音楽雑誌で「あんなエゴの塊みたいな連中が集まってうまくいくワケないんだ」みたいな事も読みまして、確かにそういう面もあるかと。
「感受性が強い」と言うとポジティブですけど、「神経質」と言うとネガティブになりますね。

ツイッターに書いた
「神の怒りを鎮めるためにいけにえを捧げよ!」
「いけにえは美少女が良いと思います」
ってのはスレスレのジョークで、他の記事で書いた「合法化」を割と本気でヤろうとしてる感じでござるよ。
コレが慣習になって、災害が続いた時とかに村一番の美少女が甘い物を捧げる儀式になったりしてな(笑)。

ロリコンは抗えない欲望なので、テレパシー持ちのために敢えて自分からカミングアウトしましたが、別に女子アナみたいなのも好きなので、悪しからず。
ハーレムも男の欲望みたいな所はあって、こちらも合意形成が成されれば成立しませんかね。
私だから許されるみたいな所もあるかも知れないので、軽々しく同調を口に出すのは気を付けて下さいね!

まともな映画のレビューじゃないな(苦笑)。

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ジーザスクライストスーパースター

「ジーザスクライストスーパースター」という曲の存在は知ってるんですけど、一回しか聴いた事も無く、全く覚えてもいません。
「スター」じゃなくて「スタア」ですからね、銀幕の。

これでも小さい頃は結構テレビっ子だったんですけど、父が「幼稚園の時に先生に『好きな番組は何?』って聞かれて『ニュース』って答えたんだよ」と言ってました。
全く記憶にありませんが、今も情報を得るのは新聞や雑誌ではなく、ニュースを見る感じです。
当時も女子アナが好きだったんでしょうか?(笑)

カテゴリーがエンタメですが、「エンターテイメントとは何ぞや」という話になった時に、私は主に女性の性的な表現を期待するようなのが第一に思い浮かぶのですが、芸能人というのは、こうした、まず見た目を武器にしているというのが重要で、いくら実力があっても見てくれがよろしくなかったら元も子もないワケです。
日本の伝統的な舞台芸術のキャスティングで、「主役、二枚目、三枚目」というのがありますが、二枚目というのはハンサムで客が呼べるような役回りの人の事を指し、三枚目というのは道化役というかひょうきん者みたいな愛されキャラの人の事を指します。
ロマンシングサガの舞台化であるサガステを観に行って、笑いあり涙ありでエキサイティングなアクション(殺陣)もあって、しっかりエンターテインされて帰ってきたのですが、主役がハリードだったので、ミカエル(察してください)は二枚目という事なのでしょうか?(上沼恵美子風に)

勧善懲悪的なストーリーだと判りやすい悪役というのもいますが、戦隊ヒーローモノなどに見られるように、こういうのは子供っぽくなってしまうワケです。
プロレスラーの蝶野正洋はプロレスを「スポーツエンターテイメント」と言っています。
それに例えると、全日本プロレスというのがそうだったのですが、御大ジャイアント馬場が悪役商会の小さいおじさんを脳天唐竹割りや16文キックでバッタバッタとなぎ倒していくのが判りやすく、一方新日本プロレスは悪役を「ヒール」と呼んで、ヒールもカッコよく描かれていたりします。
こういうのは判りやすい娯楽のパターンだとも言えそうですが、芸術性を高めるなら、日常の一コマを切り取ったような「悪い人が誰も出てこない」作品になります。
ラブコメなんかは女性が好きそうなジャンルですよね。
しかしこういったものは得てしてつまらなくなりがちで、テーマというのも掴みづらく、ユーモアのセンスとか映像美とかがよほど優れてないと興奮する事も無く、オーディエンスを満足させるのは叶わないでしょう。

という事は、エンターテイメントというのは「非日常」をいかに味わわせるかというのが肝になってきて、単に風刺をやっていれば高尚というワケでもないですし、ネット掲示板で見た「面白いってただ悪口言ってるだけだろ」になってしまってはいけないワケです(笑)。

非日常なら、「1900年代のアメリカのカウンターカルチャー」という言葉を見まして、語感を説明すると、音楽ではメタルで言うギターリフのような対位旋律をカウンターメロディーと言いますが、「禁欲、勤勉、蓄財」といったようなのに反するような、「今が良ければいいじゃん!」的な考え方の遊びの事を指すのかな、と。
ヒッピーというと、麻薬やフリーセックスや音楽フェスみたいなのを思い浮かべますよね。
「グレたツッパリ(いわゆる不良とかヤンキー)とかも、学歴社会の反動で落ちこぼれてこうなる」みたいな言説を聞いた事があります。
まさに「香具師」と揶揄されるようなあまり褒められたモノではないと思うのですが、私は自分を「その中間みたいな立ち位置にいるのかな」と自己分析していて、自分を一言で言うのは難しい感じになっていると思います。
日本でも超能力やUFOや心霊現象などのオカルトが流行ってテレビでも盛んに放送されたりしていた時期もありました。
これこそ非日常の極みですよね。

三國志のゲームで、呂布という主君を次々と変えて最後にはこれも主君である暴君董卓の首を取った豪傑がいて、日本の作品では彼の武力が100なのですが、また、情義と仁徳の人と言われる善玉の劉備に仕えた「子龍一身これ胆なり」と評された趙雲が中国の作品では武力が100だという話を聞きました。
日本では「ちょいワル」な人とか面白い人がモテたりするんですが、中国では善人を欲しているという事なんでしょうかね。
社会が荒れてくるとそうなるんでしょうか、日本は平和ですな。
「アメリカでは犯罪映画が流行ってたりする」とも聞いたのですが、日本も昔はテレビで普通にヤクザ映画とかをやっていましたよね。
私も真面目な賢い女性が好きだったりしますし、エンターテイメントでは自分に無いモノを求めがちになるんでしょうかね。

結論じみた事を言うと、「アイドルはうんこしないよ」的な感覚を与えられたら、それはそれでエンターテイナーとして成功だとも言えそうですが、どうなんですかね(笑)。
「夢を売る」というのはそういう事なんでしょうか?

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