Romancing Note

あと何回桜見られるか。

将棋の神様

羽生善治永世七冠は、「将棋の神様と対局したら、角落ちで良い勝負、それ以上だと勝てない」と言ったそうです。

神様はAIより強いなんてこともありますかね、私もAIによる解析を使うこともありますが、自分の棋譜でワケの判らない解析結果が出たこともあります。
コンピューターの性能にも依るかもしれませんし、しかし今ではプロの方もAIで研究されている方も多いんですかね。

日浦市郎八段が、全盛期の羽生先生に大きく勝ち越していたというので、「マングース日浦」と呼ばれていたそうですが(ハブとマングースということか)、日浦先生は『Zの法則』という本を書かれていて、「終盤にマジックがかからない」ということですかね。
「ゼット」というのは、「絶対詰まない」という意味の隠語です。

「あの棋士は何がすごいの?」というので、「全員攻撃全員守備」ということらしいのですが、確かに、玉形が薄くても、絶対詰まない形というのは作れます。

あと、「振り飛車は不利飛車」というのを聞いて、確かに、AIだと、飛車を振っただけで形勢がマイナスに振れることもあるらしいのですが、私は、現時点で美濃囲いの勝率が全体の勝率を上回っていますよ。

歩が一歩ずつ進んでいって敵陣に成り込んだら、と金にレベルアップしてクラスチェンジですよね。
香車は「槍」と言われたりもします。
「飛ぶ車」である飛車が成ったら「龍王」で、角が成ったら「龍馬」なんですけど、角行というのも、「角から角まで行くから」という説と、「中国の伝説上の無敵の怪鳥角鷹(かくおう)から来ている」という説があるんですよね。

「昔の人もファンタジーシミュレーションRPGみたいなことヤろうとしたんじゃないのかな」とか思ってしまうんですが、今まで廃れずに残っているのは、ゲームとしての完成度が高かったからということでしょうか。

とにかく、将棋は駒に個性があるので、キャラ立ちもしていると(笑)。

英語の「play」は「遊ぶ」という意味があるんですけど、野球やサッカーなどのスポーツでも、試合を「game」と言ったりしますよね。
「あの人は、将棋も数多あるゲームの中の一つくらいにしか思ってない」みたいなことを聞いたんですが、私のゲームのアイディアも後世まで残っていられるか、どうなんですかね。

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二つの王

『社会契約論』にこだわりますけど、今回は生産性の話です。

まず、A国はイギリスのような国を想定していて、B国は中東諸国を想定してるんですかね。

A国は10生産して1余っていて、B国は5生産して1余っているとします。
「B国の人は少食で」ということらしいのですが、とすると、B国はA国に対して「剰余比が2倍になっている」ということなんですよね。

つまり、B国は、10生産したら2余るというワケです。

A国は、その余った1で、映画を見たり音楽を聴いたりサッカーをヤったりしているのだと思いますが、王様がそれらを文化として保護しながら勲章を与えたりしているのだとすると、B国的な日本では、10生産すれば、さらにその上でアニメやゲームや野球などが楽しめるようになるワケですな。

けだし、「今は莫大な生産力がありますんで」と言っていましたが、もう一つ「権威」が作れるという寸法になるのだと思います。

ほとんど古文書の暗号解読に近いですが、私の言うこれらの「遊び」というのは、剰余分で成り立っていても、今ではそれ自体が産業のように扱われてもいますし、まあそれでも幕府なんてのは現代においては笑い種程度のものかもしれませんがね。

もう少し生活実感的に言うと、こうなります。

エリートのA男さんは、1000万円稼いで900万円消費してると。
一方、B子さんは、郊外に住んで郊外で働いて、500万円稼いで100万円貯金してると。

あくまで「逆に言えば」なんですけど、「同じ100万円貯金するなら年収500万でよくね?」ってことですよね(苦笑)。

エリートのA男さんは、1000万稼ぐために、都心に住んで、高い家賃と高い食費と高い交際費を払って、900万円使っているワケです。
学費の返済などで首が回らない場合もあるかもしれません。
ただ、A男さんが沢山いた方が経済成長はすると思います。

「老後2000万円問題」という言葉が取り沙汰されたこともありましたが、22歳から年100万円貯金するのを40年続けたら、62歳になる頃には4000万円貯蓄できていることになりますよね。

今は「そのお金をNISAやiDeCoなどで資産運用したらどうですか?」と、政府も促しているワケなんですよね。

まあ私の場合は運が良かったというのか悪かったというのか…それでも成長は狙っていかないと、「現状維持」っていうのも大変なんですよね。
私も「見切り発車」でサイトを立ち上げて、いつ筆が止まるかとか、一応はそういう悩みはありますよ(苦笑)。

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征夷大将軍について

征夷大将軍について、少しおさらいさせていただきます。

まず、『社会契約論』にある「僭主は専制君主ではないこともありうるが、専制君主は常に僭主である」から解説しなければなりません。

僭主というのは、「皇位僭称」つまり「自称皇帝」みたいな感じだと思います。
専制君主というのは、言わば独裁者と考えていいでしょう。

ジェネラル(将軍)って「一般」という意味もあるんですけど、今の私が「戴くなら征夷大将軍の称号を」と宣っている状態なので、僭主に近いと思います。
しかし、テレパシーがあったとしても、実際は政治家でもないので、ただの狂人かもしれません。

つまり、征夷大将軍になるにしても、結局こういうのは「自他ともに認める」にならないとイケないワケです。

民主的な手続きを踏むべきかが論点にもなりますが、というのは、征夷大将軍の任命権者は天皇なので、国民投票で国民の推薦をもって改めて天皇がお墨付きを与えるかどうかが肝になってくるワケですな。

初代征夷大将軍は、奈良時代の大伴弟麻呂という人が、天皇から節刀を受け取って就任しました。
二代目の坂上田村麻呂が有名ですが、彼は「怒れば猛獣も倒れ、笑えば赤子もなつく」と言われて、蝦夷(東北地方)征伐をして、本州を平定しました。
ダルビッシュ有とか田中将大とか菊池雄星とか大谷翔平とか佐々木朗希とかに、関西のプロ野球選手を引き連れて戦いを挑むようなものでしょうか?

源頼朝は、源平合戦を平定して、弟の義経を追放して、鎌倉幕府を開きました。
解説書では「征夷大将軍の概念を作り変えた偉人」と書いてありましたが、判りやすく言うと、平安時代は軍事長官みたいな感じだったのが、幕府を開いて「武士の中で一番偉い支配者」になって、主に政治を担う感じにしたのでしょうか。
「源義経がモンゴルに行ってチンギスハーンになった」というトンデモ説もあるんですよね。

足利尊氏は、南北朝の争乱のゴタゴタに乗じて、室町幕府を開きました。

徳川家康は、戦国時代を平定して、江戸幕府を開きました。

戦国時代の三英傑である織田信長と豊臣秀吉も「天下人」とされていますが、織田信長は道半ばで謀反によって倒れ、豊臣秀吉は関白になって日本を平和な世界にしようとしたんですかね。
当時の貴族の記録では、信長の部下と「信長に与えられる官職として何がふさわしいか」を話し合ったというものがあり、この時「太政大臣、関白、征夷大将軍」が例に挙がり、後日「征夷大将軍がふさわしいということになった」と書き加えられたらしいです。
「学者の間でもまだ結論が出ていません」とありましたが、私についてはどうなんですかね。

つまり、共通するエッセンスを抽出して抽象的に言うと、「乱世を平定して新しい政治体制を作った」ということでしょうか?

そこで「お前の功績はにゃんだ?」と問われても、私は「音楽と将棋と哲学が少し得意かな」くらいで、生まれつきの特質として「テレパシー」はあるかもしれませんが、もう今の日本は国内はほぼ平定されてますし、「現代の戦争は情報戦やサイバーや宇宙」と言われても、私がそれらに関わると逆スパイになってしまいますし、私は何者なんでしょうかね…。

最後に、私の今の私案をもう一度おさらいしようと思います。

朝廷が天皇で、幕府が私で将軍ということで、政府が民主的な方法で選出された実権で大臣ということです。

実は、「天皇は大神主」や「天皇は元々遊行神(ゆぎょうしん)」という説もあって、「政府は首相公選制にした方がいい」という説もあるんですよね。
幕府は「名誉職の意味合いが強い」ということでしょうか?
「王権神授説」というのもありますが…。

国の統治論については難しいですが、「神がいるのに人間が統治者っておかしいよね」というのが『社会契約論』の本質なのではないかと思います。
とにかく、「鎖国、津波、寿司、芸者、腹切り、侍、忍者」あたりは世界でも通用する日本語なんですかね(笑)。
封建貴族というのは恐らく騎士とか侍とかのことなんでしょうが、幕府がカバーするのはこのあたりなんですかね。

私は文学部の人間なので、文学と歴史と哲学なんですよね…。
実際社会の大枠はこういうもので成り立っているとは思いますが、「彼は何でもできるが法を作ることはできない」というのもそういう意味かもしれませんね。

徳川家康が江戸(現在の東京)に幕府を開いたのは、南光坊天海という人が進言したことが大きいんですけど、今そういう軍師的な人はいるんですかね(苦笑)。
日本にもシンクタンクはあるんでしょうが、永田町と霞が関というシンクタンクもどうお考えになってるんでしょうかね。
どこに本拠地を置いてどういう名称にするかは、現代だと地理学や地学の専門家になってくるんでしょうか。
とりあえず、私の名前はお坊さんが決めたらしいのですが…。
これも「天海=明智光秀」というトンデモ説があります。

とにかく、幕府を開いた暁には、大奥の設立の方もよろしくお願いしますね!

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表現者たるもの─そこに愛はあるんか?

ガンダムシリーズで有名な富野監督の言葉で、「面白いマンガって絵が下手でしょう、絵の勉強ばっかりしてるヤツは、他の勉強をしてないってことです」みたいなのがありましたが、それについて少し書こうと思いました。

芸術に限らず、理解して解説しただけでは「教師」にしかならないですよね。

「それ」を作品に落とし込むから「表現者(文化人)」たりえるのであって、作品における人間性とか個性というのは、そういうことなんだと思います。

つまり、芸術というのは…

理解できる(共感できる)→解説できる→表現できる

という順番で成長していくのではないでしょうか。

しかし、何も無いのに表現しようとしたモノがあったとすればそれは、いくら技術が優れていても、「薄っぺらい」とか「空っぽ」とか言われても仕方無い感じにもなるワケです。

「子供の情景」というか、子供が描いたような悪意の無い絵や音楽も良いんですが、以前にも言った「表象」の部分で、多分、芸術家というのは「世界の見え方」が違ったりすることもあるかもしれません。

ヘーゲルが「科学の発達した時代においては、もはや人々は芸術に心奪われることは無い」というような言葉を残しているようですね。

「常識」が「科学」であるとすれば、「芸術」というのは「宗教的なるモノ」という解釈も成り立ちます。

ニーチェは、ヘーゲルに師事してショーペンハウアーに影響を受けたんですかね、ニーチェは、文章が小難しいヘーゲルに反発してそれをこう言ったんですか、つまり、「ツァラトゥストラはこう言った…『神は死んだ』と」ということでしょうか?

今の時代は、スマホやパソコンも廉価で買えるようになって、皆がSNSでお互い「死ね」とか言い合っていたら、まったく「生」即ち「産み出す」という行為からは真逆の言動を積み重ねるような愚かなことになってしまい、そこは、テクノロジーを使いこなすべき人間としては注意していかなければならない点ではありますよね。

もちろん人間には好き嫌いはありますし、喜怒哀楽の感情もあれば、技術的に優劣が付く場合もあります。
またしても説教臭い話ではありますが、この辺りをもう一度考え直し、「創作活動とは何か」を考えたいところです。

「芸術を神聖視しすぎている」という言葉も見ましたが、受け取る側の心構えとしても、芸術鑑賞の一助になるのではないかと。

それにしても、私は曲は書けても歌詞が書けないんですが、「ルソーの小説の形式が最も良い形式である」とも読みましたし、私のこの現象は一体にゃんなんでしょうかね…。

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ローマの休日

正月にローカルテレビで『ローマの休日』を放送していたので、この歳になって初めて観ました。

「ヨーロッパ最古の王室」のアン王女が、ヨーロッパ歴訪中のローマで、興奮したり公務に嫌気が差したりで、鎮静剤を打たれたまま夜中に抜け出して街中に出て丸1日過ごす話なんですが、これ以上言うとネタバレですね。

しかし、これほど知れ渡った作品となっても、あまりにも有名な、あの「真実の口に手を突っ込んで右手が食いちぎられるフリのイタズラ」も、聖書を読むと「そういう意味だったんだー」となって、他にも、ルソー『社会契約論』とニーチェ『善悪の彼岸』辺りを予習として読んでおくと、更に楽しめると思います。

一般紙が大衆紙をいじめてるのかと思いましたが、「あなた顔が良いわね」とか「そのヒゲ!」とか、むしろ「あの2人がルソーとニーチェってことなんじゃないか?」という感じです。

ヒッチコックも出てきますが、「ヒッチコックなんて最悪のセクハラ野郎だし」というのも聞いてまして、「名前からしてセクハラだもんね」とか思いながら。
そういう意味ですよね?

字幕で観て、西洋の言語を少しでも知ってると更に可かと。

「ヨーロッパ最古の王室」ですが、具体的にどの国だとは語られていないんですかね。
「蒋介石の奥さんじゃねえぞ」という台詞があったので、台湾ではないんでしょうか?
となると推測できるのは…(笑)。

タクシーの運ちゃんが「俺もこの女をいらない、お前もこの女をいらない」と言うシーンがあって、「現代社会に形骸化した王は必要か」ということでしょうかね(苦笑)。

アンという名前で言えば、『Anne of Green Gables(邦題赤毛のアン)』が浮かびますが、こちらも舞台が「プリンスエドワード島」で、養子の里親仲介の地元の名士か何かの人が「スペンサー夫人」という名前だったり、スペンサーと言えば「空想的社会主義」なんでしょうか?

ニュースキャスターの安藤優子さんが「そういうもんですか」と言ってましたが、「多分中にはそういうものもあると思います」と。
でも「勘違いしちゃイケねぇ」と踏みとどまった方がいいかもしれませんな。

オードリー・ヘップバーンはこの映画でアカデミー賞主演女優賞を獲ったんですかね、普通に評価されている作品ですが、映画自体もそういうのを知ってればそれ以上に名作だと思えます。
最後ウルッと来そうになりましたよ。

「この映画、アメリカの贖罪ですわ」と思ったんですが、まあ「フラれたよ」って話ですか…。

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