現在の日本の左派と右派の状況を知る範囲で大まかに分析しようと思います。
れいわ←共産←社民←立憲←国民←俺(ノンポリ幕府)→公明→自民→維新→N国
みたいな感じかな?
ソフィスト(弁論家)という名のデマゴーグ(扇動家)による二項対立の「分断の時代」極まれり。
私は仲裁的な感はありますが、結果的にその一人になってしまうかも知れませんよ。
「文筆家」という肩書きで活動している古谷経衡氏は『日本を蝕む極論の正体』ってタイトルでツイッターでフォローしました。
保守を標榜しているものの、差別主義者を囲い込むような昨今の保守論壇に嫌気が差して、彼らを批判する立場を取っているみたいです。
彼は、左翼を「売国奴」、右翼を「愛国奴」と呼んでるんですかね。
風貌で注目されている向きもありますが、私を「真っ当な保守」と評したのは彼です。
自民党は大まかに言って保守本流と自民党本流というのがあるそうです。
保守本流は自民党の中でもリベラルな派閥で、宏池会と言うんですか?
自民党本流は憲法改正を強く主張する右派で、清和会と言うんですか?
前者は、池田勇人の所得倍増計画とか、田中角栄の列島改造論や日中国交正常化とか、小渕恵三の時にサッカーの日韓ワールドカップとかで日韓関係も良くなって金大中はノーベル平和賞でしたっけ?
「ウィッシュ」とかのダイ語のDAIGOの祖父の竹下登(消費税3%)もそうなんですかね。
大学の時にその阿部くんに「今の日本の政界って角福戦争の延長みたいになってるんだって」と言われて「なるほど」と思ったんですけど、小沢一郎と鳩山由紀夫は私の通っていた小石川高校の先輩で(他の国会議員もナゼかリベラル系の人が多い)、新進党や民主党を作って政権交代を実現させた小沢一郎は、ハマコーが「田中角栄先生の下で金権政治ヤってた最たる者じゃねえかよ」と評してました。
「55年体制」と言って、これは「自民党が政権を持って、リベラルの社会党がアンチテーゼとしてあって」みたいな感じなんですかね。
今の安倍政権は福田赳夫の清和会の右派なので、日韓関係もこじれてしまっているようです。
「冷めたピザ」と評された小渕恵三が任期中に脳梗塞か何かで急死して、その後党内談合で森喜朗が首相になって、小泉政権に繋がります。
維新の言うように大幅に定数を削減したら、立憲と自民より外側が消滅して、極左と右翼の捌け口が無くなって、もっと激しい暴動やネット言論行動が起こる事もあるやも知れませんな。
実際は全体の支持を得られるように、中でも中道的な人を首班に選出するケースが多いそうです。
日本やヨーロッパはリベラルな国ですが、なぜ極右が復権してきたかというと、インターネットのブロードバンドが普及し始めた2000年代初頭に、折しも日米はブッシュ小泉政権が親密さをアピールしていた時期で、その共和党政権時代にアメリカで同時多発テロが起こって、アメリカはヨーロッパの反対を押しきってイラク戦争に突入、フセイン独裁政権を倒して、結果イスラム国の誕生に繋がっているみたいです。
イスラム国もインターネットで同志を募ったりしていて、恐らくヨーロッパの右傾化も、移民難民の流入を引き起こす自由貿易体制に対する反グローバリゼーションの側面もあるかと思います。
そのブッシュ小泉時代にネオコンという言葉が出てきたんだと思いますが、その前にソ連がペレストロイカ(革命)で冷戦が終結して、共産主義の崩壊に伴って、対立軸を失って、本来タカ派的気質である保守が、行き場の無い攻撃衝動を民族主義や国粋主義の復権に図らずも昇華させていったのではないかと推測します。
日本では、その「ネットで『そういう事』を言う連中」が「ネトウヨ」と呼ばれて、一部の紙媒体のマスコミがそれに迎合しだして、テレビはどちらかと言うとリベラルで大衆的なので、テレビを攻撃するような風潮が生まれたりして、「政治家までそれに迎合するとは末法の世」と聞きましてね。
なんとなくヤンキーみたいなのが「俺たちの街」とか言ってるのに近いような気もしますが、「どの階層でも」と聞きまして。
ネトウヨの対義語は「パヨク」らしいです。
その小泉政権の時に郵政民営化の裏で何をヤったかというと、いわゆる人材派遣会社を作っていい法律を通したんですかね。
「派遣労働者を雇ってもいい」という法律は、極端な話が、「今の派遣されている会社が潰れても、他の好調な会社に派遣されればいい」みたいな「雇用の流動性」が大義ですが、結果非正規労働者が労働者人口の40%くらいになったらしく、「雇用が改善して失業率が下がった」とは言っても、一見好景気に見えても「実質賃金」が下がって、格差の拡大に繋がってしまい、その格差が社会の歪みになっているんですかね。
非正規労働の何が悪いかというと、技能を身に付ける前にクビになったり辞めちゃったりする所ですかね。
今の右派は「規制緩和しまくって全部市場に任せればいいんだ」という主張ですかね。
市場原理主義という自由主義経済なんですけど、ウェブサイトでも書いた通り、自由になればなるほどあらゆる意味で弱肉強食な社会になるのは避けられないと思いますよ。
郵政民営化は「国鉄→JR」や「電電公社→NTT」みたいな流れの一貫で、今水道もそうしようとしてて、さすがにこれには反対意見が出ているようです。
電力会社の自由化などもそれですかね。
とは言え、私にはこういう問題で何が正しいかなんて判断はつきませんが、失敗しても民主政なので、国民は寛容である事が求められます。
ルソーがその辺りを書き記した人としては先駆者的な人ですかね。
私は「人間はそんなに完璧な生き物じゃない」みたいなニュアンスを感じ取ったんですが、そのフランス革命の導火線になった後にイギリスのバークが『フランス革命の省察』を著したりして保守思想を体系化して、本来の保守はイギリスの「経験論」が元になっているかも知れません。
「理性を懐疑的に見る」という事らしいです。
ドイツのヘーゲルは左派とされてマルクスが共産主義に昇華させたようですが、彼らは「正反合」と言って、これは、「テーゼ(主題)とアンチテーゼ(反論)の他に、何か問題が起こったら、問題を切り捨てずに、その問題を取り込んで新しい概念を産み出す」というような意味だと聞きました。
昔は「保守と革新」と言われてましたが、共産主義の失敗で「革新」とは言わなくなったんですかね。
ポストモダンというのは「超現代」という意味合いで、現代の次代はどんな社会なんでしょうかね。
ニーチェは業を煮やして「醜悪な賤民」と言って「歴史を必要とする」と言いながら自由民主的な保守国家を激しく攻撃している感もありますがね。
「ジェスイットでもなければ民主主義者でもない」とハッキリ書いてましたし。
つまり、世界の民主政への流れを取り込んで、現在の日本のような国家体制がある程度機能しているとは言えそうです。
それでも今は民主政なので政治的無関心は程々に。
「自主独立」を旨とする民主的な国でありたいならどうするべきか、ニーチェはこれについても、「独立であるという事は強者の特権である」と言っています。
実存主義は「自分らしくある事」を旨としていて、挑戦的ではあっても出来ない事は「出来ない」と言えるようになるのも重要だと思います。
「自然的衝動」が自己の規定にも関わる事はウェブサイトにも挙げましたが、先にも言った通り、情報通信手段が発達している時代では、外国の情報も断片的にでも入ってきて、相手の顔も見えれば「鬼畜米英」みたいな感じにはならないはずなんですけど、「今の日本ではその標的を中韓にする人達がいる」って話で、ドイツ人がみんなナチスというワケでもないですし、とにかく悪よりは偽善の方がマシなんじゃないですかね。
私は現代でも王室がある国の方が社会が安定している印象を受けますが、ルソーは君主政の項で「悪い政府の下ではしのばねばならぬ事は誰でも知っている。問題は良い政府を発見する事であろうに」と言っていて、私も「ドラクエとかロマサガみたいになればいいんじゃない?」と思っていたので、「まさか自分にそれにチャレンジできる資質があったとは」と思いながら、資質と言ってもテレパシーがあるってだけですか?
バークは「世襲を認めないと」と言っていて、私が今の結論の「征夷大将軍に任命されて幕府という独立行政法人を開く」としたらどうしますか?
首相というのはあくまで行政の長で、議員内閣制と言って省庁の長の大臣を束ねる総理大臣で話は別なんですけど、大統領は国家元首ではあるものの、民主的な方法で選ばれた首長なので、選挙で選ばれない限り世襲は不可能です。
アメリカでは日本より民主主義が成熟している面もあるのか、あまり世襲議員は聞きませんが、ブッシュ親子は世襲ですよね。
ショーペンハウアーは「父親からは意志を、母親からは知性を受け継ぐ」と言っていますが、それが正しければ、私も器量良しの嫁をもらえば、スケベを遺伝しなければ変な事にはならないですかね(苦笑)。
正しければ、な!
ちなみに、共産主義の「書記長」というのは、平等主義だからですかね。
昔テレビで「いい国作ろうキャバクラ幕府」と言ってたのを見て笑ってしまったんですが、私も歴史シミュレーションゲームでも新武将で女傑を作りまくって自分が君主になってハーレムごっこしたりしてますがね(苦笑)。