聖と俗
「聖に近いほどの愚」と言われるそうです。
聖の対義語は邪かと思う所ですが、今回は聖と俗の対比で語ろうと思います。
というのは、主に出家入道した人を聖人とか聖者と言うので、「王であろうが何だろうが俗人である」ということなんだという認識です。
出家というのは、単なる家出ではなく、寺や修道院などで精進料理を慎ましやかに食べながら規則正しい生活をするようなことを言い、住職のような立場になりながら世俗的な生活をするような僧侶を「破戒僧」と言うワケです。
といっても、現実的には皆が出家してしまったら世界が終わるのも事実なので、当代では厳しい戒律も曖昧になって、妻帯者である和尚も多いですかね。
俗というのは、俗世または浮世、つまり世間一般のことを言い、民俗や風俗のことを指します。
もっと判りやすく言うと、民衆、大衆、さらに言うと下衆(ゲス)ということでしょうか?
若い頃「下衆ヤバ夫」というコントがあって、「志村けんの『変なおじさん』みたいにしたいのかな」と思って見てたんですけど、アンタッチャブルという芸人(un-touch-ableつまり触れないという意味か)がヤっていたので、「不可触賤民ってことかな」と思って、印象に残っているのが「水曜日はキセルで出かけ、木曜日は女子校巡り♪」という歌です。
理想というのはつまり「こうありたい」という「欲望」という言葉に置き換えてもいいかと思いますが、現実とのギャップの部分即ち葛藤が「悩み」、仏教用語で言う所の「煩悩」になるのかと思います。
キリスト教の考え方だと、神様というのがいて、救世主であるイエスがその人間の原罪(欲望)を全て背負って死んでくださったということで、神様が「許し」を与えてくださるということでしょうか。
一方、仏教は、その俗世間から遠ざかって、座禅や禅問答などの修行を通して、欲望そのものから解放されようとする試みなんでしょうか。
「命題pとqを同時に肯定する存在」というのは私ということでよろしいのかは不明ですが、これらを合わせてrになりますか?
仏教用語で「業」というのは「ごう」と読んで、「カルマ」ということなんですかね。
言葉遊びでしかないんですけど、産業とか職業とかの「業」は、「行」つまり「ぎょう」であり、仕業とか神業とかで「わざ」とも読むんですよね。
「カルマ」というと曖昧ですけど、悪の定義も難しく、翻って「聖戦」と言うと危険なニュアンスをはらんでくるワケです。
「聖も邪になりうる」ということですけど、自爆テロみたいなのでも、以前「神がそんなこと望んでると思うか?」とか「発展より闘争の方が大事だと思ってるのか?」と書いてしまったんですよね…。
何であまりこういうことを言いたくないかというと、差別意識とか懐古主義とか現状維持みたいな保守思想の悪しき面が出てくるからです。
私も「天皇」ではなく「征夷大将軍」とか言ってますけど、三年寝太郎というか、物欲もそれなりにありますし、グルメで食いしん坊的な感じもしますし、あらゆる罪を背負ってるというか、先程も申し上げた通り世俗的な面が多分にあるのは否めないので、特に性的な面で。
ただ、性欲は強くても、痴漢とか盗撮とか下着泥棒とかSMとかスカトロとかレイプとかDVとか風俗通いとかには興味はほとんど無いですよ。
スカートめくりとかね(笑)。
変態的な性欲があるとすればハーレムですかね。
人に迷惑かけない分であれば、適度な欲望は社会を回す原動力にもなると思いますので、「こういう考え方もある」くらいに思って、あまりお気になさらずに日常生活を送ってください。
私の立場からすれば、「けしからん」とか言わなければなりませんかね(苦笑)。
聖の対義語は邪かと思う所ですが、今回は聖と俗の対比で語ろうと思います。
というのは、主に出家入道した人を聖人とか聖者と言うので、「王であろうが何だろうが俗人である」ということなんだという認識です。
出家というのは、単なる家出ではなく、寺や修道院などで精進料理を慎ましやかに食べながら規則正しい生活をするようなことを言い、住職のような立場になりながら世俗的な生活をするような僧侶を「破戒僧」と言うワケです。
といっても、現実的には皆が出家してしまったら世界が終わるのも事実なので、当代では厳しい戒律も曖昧になって、妻帯者である和尚も多いですかね。
俗というのは、俗世または浮世、つまり世間一般のことを言い、民俗や風俗のことを指します。
もっと判りやすく言うと、民衆、大衆、さらに言うと下衆(ゲス)ということでしょうか?
若い頃「下衆ヤバ夫」というコントがあって、「志村けんの『変なおじさん』みたいにしたいのかな」と思って見てたんですけど、アンタッチャブルという芸人(un-touch-ableつまり触れないという意味か)がヤっていたので、「不可触賤民ってことかな」と思って、印象に残っているのが「水曜日はキセルで出かけ、木曜日は女子校巡り♪」という歌です。
理想というのはつまり「こうありたい」という「欲望」という言葉に置き換えてもいいかと思いますが、現実とのギャップの部分即ち葛藤が「悩み」、仏教用語で言う所の「煩悩」になるのかと思います。
キリスト教の考え方だと、神様というのがいて、救世主であるイエスがその人間の原罪(欲望)を全て背負って死んでくださったということで、神様が「許し」を与えてくださるということでしょうか。
一方、仏教は、その俗世間から遠ざかって、座禅や禅問答などの修行を通して、欲望そのものから解放されようとする試みなんでしょうか。
「命題pとqを同時に肯定する存在」というのは私ということでよろしいのかは不明ですが、これらを合わせてrになりますか?
仏教用語で「業」というのは「ごう」と読んで、「カルマ」ということなんですかね。
言葉遊びでしかないんですけど、産業とか職業とかの「業」は、「行」つまり「ぎょう」であり、仕業とか神業とかで「わざ」とも読むんですよね。
「カルマ」というと曖昧ですけど、悪の定義も難しく、翻って「聖戦」と言うと危険なニュアンスをはらんでくるワケです。
「聖も邪になりうる」ということですけど、自爆テロみたいなのでも、以前「神がそんなこと望んでると思うか?」とか「発展より闘争の方が大事だと思ってるのか?」と書いてしまったんですよね…。
何であまりこういうことを言いたくないかというと、差別意識とか懐古主義とか現状維持みたいな保守思想の悪しき面が出てくるからです。
私も「天皇」ではなく「征夷大将軍」とか言ってますけど、三年寝太郎というか、物欲もそれなりにありますし、グルメで食いしん坊的な感じもしますし、あらゆる罪を背負ってるというか、先程も申し上げた通り世俗的な面が多分にあるのは否めないので、特に性的な面で。
ただ、性欲は強くても、痴漢とか盗撮とか下着泥棒とかSMとかスカトロとかレイプとかDVとか風俗通いとかには興味はほとんど無いですよ。
スカートめくりとかね(笑)。
変態的な性欲があるとすればハーレムですかね。
人に迷惑かけない分であれば、適度な欲望は社会を回す原動力にもなると思いますので、「こういう考え方もある」くらいに思って、あまりお気になさらずに日常生活を送ってください。
私の立場からすれば、「けしからん」とか言わなければなりませんかね(苦笑)。