机上の空論
今回は「議論のための議論」なので真に受けないでください。
私の「大学の時の友人」というのは大抵、「やんす」の矢部君(パワプロのサクセスのキャラクター)じゃなくて阿部君from東京なんですけど、彼は高校でバンドを組んでベースを担当して、「横浜アリーナでライブやる」と言って、「横浜アリーナ!?ホントに?」と返したら、「第二体育館みたいなのがあって、小さい箱」と言ってました。
でも一回彼らのライブ観に行った事もありますよ。
「これ何語?」と聞いたら「宇宙語」と言ってましたけど、「デスメタルじゃなくて?この音楽性なら英語でやった方が。プロになるにはそれくらいやるのも重要じゃん?」とアドバイスしたら、程なくして解散しました。
阿部君はなかなか面白くて、見た目の話はしませんけど、我々は三流大学でもあり、正直エリート級の頭持ってるとは言えないかも知れないものの、勉強だけじゃなくて結構色んな事を知ってて、話し相手にするには十分でした。
知能テストみたいなのをやった時に、「俺普通になろうと思えばなれんの」と言ってましたけど(笑)。
それで、トピックは阿部君と居酒屋で徹夜で飲んでた時に彼が言った思想的な話です。
それにしても勝手に名前出していいのかな…。
「宇宙にはマインドみたいな意志みたいなのが漂ってて、それがどうのこうの」と言ったんですけど、「宗教の勧誘でも始まるのか?そいつぁいけねぇ」と思って反論しました。
私も「テレパシーがあって、俺がその唯一の人間(The One)」とか言ったら相手もそういう感じになるのも判りますが、事実は事実として受け入れてもらいたいものです。
阿部君は仏教研究の教授の本に出会って、東海大学を選んだそうです。
私も小倉紀蔵という東洋思想の教授の講義を受けて、授業に出ないでレポートだけ提出したら、単位落とされました(笑)。
小倉先生はNHKのEテレの番組に出たりしてましたが、最近BSフジのプライムニュースに出ていたのを見て、京大大学院の教授になってましたよ。
阿部君は「南アジア文明コースに入って、第二外国語でヒンズー語取ってんだけど意味判んね」みたいなこと言ってましたけど、私は東アジア文明コースに入れられまして、「俺はアルファベットのドイツ語取ってる。医学部もドイツ語でしょ」とか言いながら。
Neidhart(ナイトハルト)はドイツ語です。
話が逸れましたが、「その宇宙に漂ってる意志(マスターマインドと言うのかな?)が収斂して生き物という形になってるんだとすると、このコップとかには何で魂が宿らないのかって話になってきて、それを証明するとするとかなりの哲学的論理武装が必要じゃない?」と反論しまして、彼は「やっぱ日本もアニミズム的な宗教なのかなあ」と言ってました。
アニマ(anima)というのは「魂」という意味だったと記憶してますが、するってーとアニマル(animal)は「魂の宿った物」というような意味になりますか?
アニメーション(animation)もアニメート(animate)から来ているのか、そういうニュアンスかも知れません。
『聖剣伝説』というゲームのキーワードは「マナ」で、これは、ポリネシアだかハワイだか忘れましたけど、とにかく南の島の土着信仰の「精霊の力」というような意味だったと記憶しています。
手っ取り早く言うとこれがアニミズムなんですけど、「物を大切に扱う」というような価値観も、「物にも魂が宿る」みたいな汎神論的な思想とも言えますかね。
私なんかはゴミ屋敷とは言わないですけど、包装紙とかティッシュペーパーとかは別にしても、物が捨てられない性分で、物が壊されるのとかを見ると「かわいそう」と思ってしまいます。
芸術作品とかでも「魂を込める」みたいに言われますが、仏像とか偶像とか、これもほとんど唯心的な信仰に近い物かも知れません。
他にも、「霊峰」とか「霊山」とか言われますが、こういう自然信仰みたいなのもその一つでしょうか。
戸建ての家に引っ越してからは犬を飼ってましたけど、賢いメスだったので、「この犬も人間の姿に変わったりしてどうのこうの」とか妄想してました(笑)。
今ハマっている造語コーラスのKalafinaの歌詞カードを見てたら「全てがあなたの形になって表れる」とあって、「それを神聖不可侵な現人神(あらひとがみ)と言うのかも知れん」と思って、他にもラジオのメタル番組を聴いてたら「神に嫌われし者達」というタイトルに笑って、「神はあまねく生き物達への慈愛ではなかったという事か」と思って、皆さんはどうお考えですか?
まあこういう所からもインスピレーションを得ますよね。
Symphony Xが「Electric Messiah」と言ってましたけど、「電気的救世主」という意味で、古代には古代の神がいて、現代には現代的な神がいるという事ですかね。
砂漠と太陽しか無いような所だと「唯一神」みたいな感じになるかも知れませんが、日本みたいな所は、災害は多くても環境にも恵まれていて、多神教になるのも判りますよね。
その時代に合った神というのは確かにある?
頭の固い人達は本当の哲学書からしか学ばないかも知れませんが、何か具象を見たら自分で脳内で普遍化する作業をするのも、脳ミソの鍛錬としては有効だと考えます。
ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』というタイトルだけを見て一言言うと、意志というのはさっき言ったような意味だとは思いますが、表象というのは「実体として映っている主体的観念のイメージ」という事です。
要するに、観念論と言えばそれまでなのですが、実物と言うべきか、何か客観的実体があったとして、それを見た時に、人によってそれに対する印象が違ってくるという事でしょう。
ショーペンハウアーは「哲学教授」とか「ヘーゲルのように当代で称賛されてはいても、ふたを開けてみたら何も思想が無かったというような」と言っていますが、私も解説してるだけで教師の域を出ていないかも知れませんな(笑)。
しかし何か新しい事を言うのも歴史に残るくらいの頭脳を持っていないと!
ちなみに、ヘーゲルは「対象は意識の変化である」と言っています。
例えば、「そのボールは紛れもなくただのボールなんだけど、ホームランを打ったのを見た事によってホームランボールに変わる」というような。
本でも読む前と読んだ後では面白かったかどうかで印象は変わりますよね。
少女漫画でありがちな、「俺様系のワルが人知れず野良猫にエサをあげているのを見てヒロインが見直してなびいていく」というのもそれです。
平和主義者なのに戦争ゲームをやってたり、フェミニストなのにロリコンだったり、科学的なのにオカルト好きだったり、平等主義者なのに「誠意大将軍」とか言ってたり、というのが私の本質でしょうかね。
ノンポリは「ノーポリシー」という意味でしたっけ?
「思想信条が無い」みたいなニュアンスで、良い意味では使われなかったりするんですが。
AI(Artificial Intelligence)つまり人工知能の話で、「AIを研究すればするほど人間の知能を作る事はできないと悟った」みたいな話を聞いて、例えば理性というか知性とは別の、感性というか感情みたいな物は、人間がプログラミングしてロボットも個性ある物として作れるようになるのかという大きな壁に挑まないと、例えば私のクローンを作ったとして、テレパシーも遺伝するかは置いておいても、育つ環境が違えば全く違うように育つのかとかみたいな問題で、果たしてロボットにも個性が生まれるという事はあるんでしょうかね。
私もどんな環境で育っても根っこは変わらないかも知れませんが、優生学的に「こういう性格が理想」みたいなので画一的になってしまうと、結果的に種の存続には有害な物になってしまうのではないでしょうか?
まああくまでロボットはロボットなんでしょうけど、人形も供養するような人もいますし、100年後とは言わず10年後すらも全く予測はできませんよね。
いずれにしても、無機質な物に心を求めるなら、完璧じゃなくても人間を求めるのも忘れてはいけないような気もしますが。
哲学者達もテレパシーは予言できてもテレビとかインターネットができる所までは予測できたのかどうか(笑)。
阿部くんが「脳ミソに外付けハードディスクが欲しい」と言ったんですけど、「人間の脳のCPU(処理能力)とメモリ(仕事量の許容量)で捌ききれれば良いけどな」と思って、そうすれば暗記する作業が不要になりますか?(笑)
他にもファイナルファンタジー用の原案もあるんですが、それ以上の事が思いつきません。
ちょっと言うと、「生まれた時に体のどこかにネットと繋がるチップが埋め込まれて、行方不明になったりしても居場所がすぐ判る」みたいな事なんですけど、「これを権力者が利用して極端な監視社会みたいになって」という、少し考えさせられるような近未来サスペンスアクションなテーマです。
極秘裏に生まれてチップを埋め込まれるのをされなかった殺し屋みたいなのも登場します。
いずれにしてもこういう所で言っちゃったらダメですか?
実現可能かはどうなんですかね。
「動物は、有機物と無機物に分けられた中の、さらに生命(生物)の中でも植物とは違った…」みたいに言うと、文学的ではなくなるので、文系の私の得意とする分野ではありません。
私の個人ウェブサイトの中で「常識と非常識」と言いましたが、そう考えると理系も結構マヌケな印象を受けますよね(苦笑)。
しかし社会科学も含めて科学は常識的ではあるかと。
科学というのは、実験を用いて理論を実証(再現)する事でしたっけ?
『ソクラテス以前以後』という本があるんですけど、究極的な話、テレパシーにも科学はある?
私の「大学の時の友人」というのは大抵、「やんす」の矢部君(パワプロのサクセスのキャラクター)じゃなくて阿部君from東京なんですけど、彼は高校でバンドを組んでベースを担当して、「横浜アリーナでライブやる」と言って、「横浜アリーナ!?ホントに?」と返したら、「第二体育館みたいなのがあって、小さい箱」と言ってました。
でも一回彼らのライブ観に行った事もありますよ。
「これ何語?」と聞いたら「宇宙語」と言ってましたけど、「デスメタルじゃなくて?この音楽性なら英語でやった方が。プロになるにはそれくらいやるのも重要じゃん?」とアドバイスしたら、程なくして解散しました。
阿部君はなかなか面白くて、見た目の話はしませんけど、我々は三流大学でもあり、正直エリート級の頭持ってるとは言えないかも知れないものの、勉強だけじゃなくて結構色んな事を知ってて、話し相手にするには十分でした。
知能テストみたいなのをやった時に、「俺普通になろうと思えばなれんの」と言ってましたけど(笑)。
それで、トピックは阿部君と居酒屋で徹夜で飲んでた時に彼が言った思想的な話です。
それにしても勝手に名前出していいのかな…。
「宇宙にはマインドみたいな意志みたいなのが漂ってて、それがどうのこうの」と言ったんですけど、「宗教の勧誘でも始まるのか?そいつぁいけねぇ」と思って反論しました。
私も「テレパシーがあって、俺がその唯一の人間(The One)」とか言ったら相手もそういう感じになるのも判りますが、事実は事実として受け入れてもらいたいものです。
阿部君は仏教研究の教授の本に出会って、東海大学を選んだそうです。
私も小倉紀蔵という東洋思想の教授の講義を受けて、授業に出ないでレポートだけ提出したら、単位落とされました(笑)。
小倉先生はNHKのEテレの番組に出たりしてましたが、最近BSフジのプライムニュースに出ていたのを見て、京大大学院の教授になってましたよ。
阿部君は「南アジア文明コースに入って、第二外国語でヒンズー語取ってんだけど意味判んね」みたいなこと言ってましたけど、私は東アジア文明コースに入れられまして、「俺はアルファベットのドイツ語取ってる。医学部もドイツ語でしょ」とか言いながら。
Neidhart(ナイトハルト)はドイツ語です。
話が逸れましたが、「その宇宙に漂ってる意志(マスターマインドと言うのかな?)が収斂して生き物という形になってるんだとすると、このコップとかには何で魂が宿らないのかって話になってきて、それを証明するとするとかなりの哲学的論理武装が必要じゃない?」と反論しまして、彼は「やっぱ日本もアニミズム的な宗教なのかなあ」と言ってました。
アニマ(anima)というのは「魂」という意味だったと記憶してますが、するってーとアニマル(animal)は「魂の宿った物」というような意味になりますか?
アニメーション(animation)もアニメート(animate)から来ているのか、そういうニュアンスかも知れません。
『聖剣伝説』というゲームのキーワードは「マナ」で、これは、ポリネシアだかハワイだか忘れましたけど、とにかく南の島の土着信仰の「精霊の力」というような意味だったと記憶しています。
手っ取り早く言うとこれがアニミズムなんですけど、「物を大切に扱う」というような価値観も、「物にも魂が宿る」みたいな汎神論的な思想とも言えますかね。
私なんかはゴミ屋敷とは言わないですけど、包装紙とかティッシュペーパーとかは別にしても、物が捨てられない性分で、物が壊されるのとかを見ると「かわいそう」と思ってしまいます。
芸術作品とかでも「魂を込める」みたいに言われますが、仏像とか偶像とか、これもほとんど唯心的な信仰に近い物かも知れません。
他にも、「霊峰」とか「霊山」とか言われますが、こういう自然信仰みたいなのもその一つでしょうか。
戸建ての家に引っ越してからは犬を飼ってましたけど、賢いメスだったので、「この犬も人間の姿に変わったりしてどうのこうの」とか妄想してました(笑)。
今ハマっている造語コーラスのKalafinaの歌詞カードを見てたら「全てがあなたの形になって表れる」とあって、「それを神聖不可侵な現人神(あらひとがみ)と言うのかも知れん」と思って、他にもラジオのメタル番組を聴いてたら「神に嫌われし者達」というタイトルに笑って、「神はあまねく生き物達への慈愛ではなかったという事か」と思って、皆さんはどうお考えですか?
まあこういう所からもインスピレーションを得ますよね。
Symphony Xが「Electric Messiah」と言ってましたけど、「電気的救世主」という意味で、古代には古代の神がいて、現代には現代的な神がいるという事ですかね。
砂漠と太陽しか無いような所だと「唯一神」みたいな感じになるかも知れませんが、日本みたいな所は、災害は多くても環境にも恵まれていて、多神教になるのも判りますよね。
その時代に合った神というのは確かにある?
頭の固い人達は本当の哲学書からしか学ばないかも知れませんが、何か具象を見たら自分で脳内で普遍化する作業をするのも、脳ミソの鍛錬としては有効だと考えます。
ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』というタイトルだけを見て一言言うと、意志というのはさっき言ったような意味だとは思いますが、表象というのは「実体として映っている主体的観念のイメージ」という事です。
要するに、観念論と言えばそれまでなのですが、実物と言うべきか、何か客観的実体があったとして、それを見た時に、人によってそれに対する印象が違ってくるという事でしょう。
ショーペンハウアーは「哲学教授」とか「ヘーゲルのように当代で称賛されてはいても、ふたを開けてみたら何も思想が無かったというような」と言っていますが、私も解説してるだけで教師の域を出ていないかも知れませんな(笑)。
しかし何か新しい事を言うのも歴史に残るくらいの頭脳を持っていないと!
ちなみに、ヘーゲルは「対象は意識の変化である」と言っています。
例えば、「そのボールは紛れもなくただのボールなんだけど、ホームランを打ったのを見た事によってホームランボールに変わる」というような。
本でも読む前と読んだ後では面白かったかどうかで印象は変わりますよね。
少女漫画でありがちな、「俺様系のワルが人知れず野良猫にエサをあげているのを見てヒロインが見直してなびいていく」というのもそれです。
平和主義者なのに戦争ゲームをやってたり、フェミニストなのにロリコンだったり、科学的なのにオカルト好きだったり、平等主義者なのに「誠意大将軍」とか言ってたり、というのが私の本質でしょうかね。
ノンポリは「ノーポリシー」という意味でしたっけ?
「思想信条が無い」みたいなニュアンスで、良い意味では使われなかったりするんですが。
AI(Artificial Intelligence)つまり人工知能の話で、「AIを研究すればするほど人間の知能を作る事はできないと悟った」みたいな話を聞いて、例えば理性というか知性とは別の、感性というか感情みたいな物は、人間がプログラミングしてロボットも個性ある物として作れるようになるのかという大きな壁に挑まないと、例えば私のクローンを作ったとして、テレパシーも遺伝するかは置いておいても、育つ環境が違えば全く違うように育つのかとかみたいな問題で、果たしてロボットにも個性が生まれるという事はあるんでしょうかね。
私もどんな環境で育っても根っこは変わらないかも知れませんが、優生学的に「こういう性格が理想」みたいなので画一的になってしまうと、結果的に種の存続には有害な物になってしまうのではないでしょうか?
まああくまでロボットはロボットなんでしょうけど、人形も供養するような人もいますし、100年後とは言わず10年後すらも全く予測はできませんよね。
いずれにしても、無機質な物に心を求めるなら、完璧じゃなくても人間を求めるのも忘れてはいけないような気もしますが。
哲学者達もテレパシーは予言できてもテレビとかインターネットができる所までは予測できたのかどうか(笑)。
阿部くんが「脳ミソに外付けハードディスクが欲しい」と言ったんですけど、「人間の脳のCPU(処理能力)とメモリ(仕事量の許容量)で捌ききれれば良いけどな」と思って、そうすれば暗記する作業が不要になりますか?(笑)
他にもファイナルファンタジー用の原案もあるんですが、それ以上の事が思いつきません。
ちょっと言うと、「生まれた時に体のどこかにネットと繋がるチップが埋め込まれて、行方不明になったりしても居場所がすぐ判る」みたいな事なんですけど、「これを権力者が利用して極端な監視社会みたいになって」という、少し考えさせられるような近未来サスペンスアクションなテーマです。
極秘裏に生まれてチップを埋め込まれるのをされなかった殺し屋みたいなのも登場します。
いずれにしてもこういう所で言っちゃったらダメですか?
実現可能かはどうなんですかね。
「動物は、有機物と無機物に分けられた中の、さらに生命(生物)の中でも植物とは違った…」みたいに言うと、文学的ではなくなるので、文系の私の得意とする分野ではありません。
私の個人ウェブサイトの中で「常識と非常識」と言いましたが、そう考えると理系も結構マヌケな印象を受けますよね(苦笑)。
しかし社会科学も含めて科学は常識的ではあるかと。
科学というのは、実験を用いて理論を実証(再現)する事でしたっけ?
『ソクラテス以前以後』という本があるんですけど、究極的な話、テレパシーにも科学はある?