Romancing Note

あと何回桜見られるか。

戴冠とは

「教皇つまりローマ法王が来日」というニュースを見ていて、一言二言言おうと思いました。

教皇はキリスト教の一番偉い人みたいな事なんですけど、実際は教皇がいるのはカトリックという1つの宗派らしく、厳密には一番偉いのは「救世主」のイエスですか?

キリスト教には「原罪」という考え方があって、「人間には欲望があるから必ず過ちを犯すでしょ」って事なんですけど、ウェブサイトでも書いた通り、全知全能の神が「赦し(ゆるし)」という事です。

プロテスタントは宗教改革なんですかね、神と直接繋がっていて、その分許容される生活が営めるということでしょうか。

なので、ニーチェが「畜群」と言うように、キリスト教的かつ民主主義的な価値観だと、「君主」ではなく「民主」と言うなら、我々迷える子羊というのは常にその許しと共にあるという事で、逆に言えば、「裸の王様」ならぬ「裸の民衆」とも言われるべき評価に落ち着きます。
「主権者と統治者が同一」というのはそういう意味合いですかね。
「立憲王政」というのも、武家諸法度みたいな物で、統治者自身に対する縛りと戒めなんですけど、察して下さい。

ヨーロッパでは、武で功を成した人とかが罪をあがなう「贖罪(しょくざい)」の意味を込めて、教会に土地を寄進したり財産を寄付したりして、その中でも著しい功績を上げたような人が教皇に「あなたは王を名乗ってもいいですよ」と言われて「戴冠」するワケです。
日本では、天皇が征夷大将軍の称号を与えて「幕府を開いてもいいですよ」という御墨付きを得るワケです。
ルソーはこれが「あまりにも明らかに悪い」と言ってるんですかね(苦笑)。

宗教というのは本来弱者に寄り添って救済する役割だと思っていて、その人達に認められるという事は、それこそ「王を名乗る資格がある」という事にも繋がりますよね。
At Vanceというネオクラメタルバンドの曲で「Two Kings」というタイトルで「貧者の王と富者の王」という話を聞いたんですけど、ドイツのニーベルンゲン伝説を基にしているそうで、なかなか的を射ていて興味深い話ですよね。

まあ私の場合は「裸踊りの酒宴」を覗き見したり美女に見境なく欲情したりするような「神話」の登場人物みたいな感じもありますがね。
私は「善玉は善玉でもプロレスラーはプロレスラーだろ」と言ってるんですが、これも例えみたいな物でニュアンスを感じ取って下さいね(笑)。

拍手[0回]