三國志シリーズの話
大学の時友人と「中国人は日本人が三國志とか好きな事知ってるのかなあ」と話してたんですが、最近PS4でゲームソフトを物色している時に「メガネ侍が天津飯だか炒飯だかを食わせようとしてる」のと「カウボーイがピザを食わせようとしてる」というサムネイルを見て、「ああそういう事か」と思いまして。
実は三國志と言っても、小説や原典は全く触れた事が無くて、横山光輝の漫画とコーエーテクモの三國志シリーズの一部作品の知識です。
古代の政治戦争ゲームみたいな感じですが、私が好きな作品は「武将プレイ」と言われている作品で、君主を選ぶ作品ではありません。
戦争シーンは陣形を駆使して戦うⅤが好きです。
Ⅴの音楽は服部隆之氏で、ウェブサイトにも1曲アレンジしたのを上げましたが、あの音が作れないので無理矢理ああいう形にした感じです。
話の大筋を。
漢帝国の末期に、と言ってもそれが末期たらしめた原因なんですけど、社会が荒廃してきた所へ来て、太平道という当時の新興宗教が黄色い頭巾をかぶって「蒼天既に死す、黄天当に立つべし」というスローガンで「黄巾の乱」を起こして、実態は掠奪を働くような大規模暴動のような物だったんですかね、政府が掃討作戦に打って出て、その時の高札に応じたのが関羽と張飛という豪傑を従えた劉備です(桃園の誓い)。
劉備は、漢帝国の王族の末裔で、『三国志演義』では徳のある善玉のリーダーです。
その掃討作戦を指揮したのが何進という将軍で、この人は元は屠殺屋(肉屋)で、妹が皇帝に嫁いだとかで、その地位になっています。
官軍には代々(?)高官を務めているエリートの曹操もいて、のちに名門の袁紹と確執を起こす事になります。
曹操には「治世の能臣、乱世の奸雄」という評価があります。
掃討作戦が終わると、何進将軍が十常侍という官僚(?)たちに暗殺されて、その十常侍を粛清して実権を握ったのが董卓です。
董卓は「酒池肉林」と言って暴君とされ、政治的にはハイパーインフレを引き起こしたそうです。
曹操が七星の剣という宝刀を献上するように見せかけて董卓に近づいて暗殺しようとしたんですけど、董卓は呂布という豪傑をボディーガードに付けていて、すんでの所で暗殺計画は失敗に終わって、曹操は都を離れます。
呂布は董卓の配下が赤兎馬という名馬を与えて舌先三寸で寝返らせたという事です。
「馬中の赤兎、人中の呂布」という評価があります。
曹操が袁紹を盟主に担ぎ出して反董卓連合を結成したんですけど、董卓は首都の洛陽に火を放って西の長安に遷都したりして、連合も空中分解してしまいます。
結局、王允という人が貂蝉という絶世の美女を呂布に近づけて、董卓がそれを見て貂蝉を愛人に召し上げて、呂布が怒って董卓を斬りました。
これを「連環の計」と言います。
董卓は「女性に次々と"相手"をさせた後に2階の窓から投げ捨てていた」とか「ヘソの油に火を灯したら永遠に燃えていた」と言われています(笑)。
その後群雄割拠状態になって、話の前後関係がイマイチ掴めないんですが、袁紹の遠戚の袁術が、孫策に兵を分ける代わりに、孫策の父の孫堅が戦乱の中で発見した玉璽をもらって、玉璽というのは皇帝の印鑑みたいな物で言わば「この印籠が目に入らぬか(水戸黄門風に)」みたいな事なんですけど、それを持ち出して皇帝を僭称して曹操や劉備らと対立します。
陳宮という人が曹操を危険人物として呂布を担ぎ出して、呂布が戦場で「遠く離れた戟(槍の刃の部分)に矢を当てたら双方兵を引き上げさせる」というのでそれを成功させて調停に入ったりして、呂布もその後長くはありません。
類似した話ならウィリアム・テルとか那須与一の弓の逸話もありますよね。
曹操が黄巾の残党を「青州兵」と言って組み入れて、私はゲームでは「このイベントが起こったらゲームセット」と言っていますが、その辺りで東の方の徐州で、名前は忘れましたが武将(?)が曹操の父親を護送中に金品に目が眩んで殺害して姿をくらませて、激怒した曹操は徐州の民を虐殺しました。
これ以降暴君のイメージが付いたんですかね。
袁紹が河北(黄河の北)で勢力を磐石なものにしましたが、曹操に官渡の戦いで大敗して、曹操が北部をほぼ手中に収めます。
曹操が関羽を気に入って配下にしようとしたんですけど、劉備に忠誠を誓っていて、敵方の豪傑を次々と破った後に劉備の下へと帰る千里行が有名です。
関羽は豪傑ですが、そろばんのような物を発明したとかなんとかで、商業の神様にもなっていて、横浜の中華街にも関帝廟がありますよね。
張飛は他の人に「兵隊」と評されて、劉備が激怒したそうです。
劉備が知恵者を欲して、「臥竜」と評される諸葛亮孔明に協力を請いに行って、これは「三顧の礼」と言われます。
諸葛亮は晴耕雨読の生活をしていましたが、彼らに「水魚の交わり」を感じたりして、熱意を感じ取って劉備に仕える事になります。
この頃には、「臥竜」と並び称される「鳳雛」の龐統や、母親を人質に取られて曹操に下ってしまう徐庶や、「白眉」の馬良らの智将も揃っていました。
「江東(長江の東)の虎(小覇王)」と評された孫策が、于吉という仙人を「人心を惑わす」というかどで呼び出して斬ってしまうんですけど、その後毒矢か何かを受けて死んでしまって、これはそのタタリという事になっています。
呉は弟の孫権が継ぐ事になりますが、孫策と義兄弟の周瑜は「美周郎」と言われる才色兼備で、孫策は大喬、周瑜は小喬という絶世の美女姉妹をそれぞれ娶って、名実ともに兄弟になっているワケです。
曹操は南征する際に小喬を手に入れようとしていたという話もあるそうですが、劉備が諸葛亮に進言されて、呉国の兵力を使って対抗して曹操軍を退けたのが赤壁の戦いです。
三國志のドラマを観ていて、「一晩で十万本の矢を調達しろ」と周瑜に言われた場面で、「相手に撃たせてそれを貰えばいいんじゃない?」と即答してたら、諸葛亮の策略もそれでした。
劉備孫権連合が大勝した要因は「曹操軍が疫病にかかった」とかあるんですけど、「苦肉の策」と言って、「不利を理由に周瑜と対立した老将が百叩きの刑になって曹操軍に投降する時に、長江を渡るための曹操軍の船を鎖で繋がせて、それを火計で全て沈める」という物です。
「諸葛亮が天候を読んで風向きを計算した」とかいう逸話もあります。
劉備と孫権もそのためだけに手を組んだようなものなので、劉備は諸葛亮の「天下三分の計」を聞き入れて、南西の蜀を目指します。
北部の曹操が魏で、南東の孫権が呉です。
これで「三国の鼎立(ていりつ)」が成るワケです。
曹操は実力主義で、劉備は義理人情、孫権は配下への信頼と言われます。
その後も諸葛亮の南征とか「出師(すいし)の表」以降の「泣いて馬謖を斬る」とかすったもんだあるんですけど、五丈原の戦いで「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と言って、これは「諸葛亮が戦場で死亡しても、生きている司馬懿が恐れて兵を退く」という話です。
「走る」というのは「逃げる」という意味があって、英語の「run」にも「逃げる」という意味もあります。
最終的にはその司馬一族が魏の中で実権を握って、中華全土を統一して晋を打ち立てます。
『魏志倭人伝』が有名ですが、この頃日本は卑弥呼とかですかね。
ヨーロッパでは、三國志のちょっと前辺りが安敦ことマルクス・アウレリウスとかの五賢帝時代ですかね。
だーっと大まかに言いましたが、実際は三国時代より前の、「そこに至るまでの過程」が面白いと思っています。
私が好きな武将は諸葛亮と趙雲です。
武官は呂布や関羽より趙雲です。
趙雲は、劉備の奥さんと子供の阿斗を守るために単騎駆けした話が有名ですよね。
劉備の奥さんが足手まといにならないように井戸に身を投げて、赤ん坊の阿斗を抱いて敵の大群の中を駆け抜けた話です。
そこまでして守った子供がのちの「暗愚の象徴」である劉禅とは(苦笑)。
「暗愚で己の過ちを知らず」という評価がありますが、つまり「自分が間違ってる事すら気付いていない」って事ですよね、これ以上無い酷い言われようですが。
「暗愚」の対義語は「賢明」ですか。
最後に、漢帝国の成り立ちの話を。
小学校の時に近所の本屋で司馬遼太郎の『項羽と劉邦』を買って、これは、秦が春秋戦国時代を統一して、直後の話です。
項羽は家柄も良く能力が高くて、劉邦は能力はそんなに高くはないものの魅力的な人物で、配下に張良とか韓信とか有能な人が集まってきて、結果的に劉邦が漢帝国を築きました。
韓信の「背水の陣」というのは、「敢えて川を背に陣取ることによって、その方が逃げ場が無いから兵士が頑張る」という戦法です。
有名なエピソードは、秦の始皇帝を見た時に、項羽は「あれを倒してやる」と思って、劉邦は「ああなりたい」と思ったという心理描写です。
虞美人草とか四面楚歌とかでしたっけ、項羽が失敗したのは、今で言えばワンマン社長な感じでしょうか?
始皇帝は、万里の長城とか中央集権と郡県制とかあるんですけど、他に重要な点で、李斯に進言されたのか何かで焚書坑儒というのがあって、これは、「儒学書を焼いて儒学者を埋める」という意味らしいです。
要するに、年功序列とか男尊女卑的な旧来の道徳を変えようとしたんですかね。
日本では江戸時代でも朱子学として儒学を取り入れていたんですかね。
ルソーも「ローマやスパルタでさえ滅びた以上、どの国が永遠に続く事が考えられようか」と言っています。
歴史学者が「恋人と別れた時に『何で失敗したんだろう』と考えない人は、何回も同じ失敗を繰り返しますよね。歴史を学ぶ意味はそこにある」と言っていたのを聞いて、それは同感です。
私は現代に至るまでの歴史ロマンも感じ取る意味も込めて、高校の時は成績はともかく一応日本史ではなく世界史を取っていました。
歴史と経験は違うかも知れませんが、とにかく、将来の「野望」を実現するための布石な意味も込めてです。
『孫子の兵法』ですけど、曹操が註釈を付けたものが現存しているそうで、有名な格言は「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というヤツです。
私は「勝てない無謀な戦いはしないって事だな」と思ってますが、確かに負け戦でも譲ってはならない場合もあるような無いような。
ただ、戦争は囲碁将棋とかスポーツとかとは違って、勝っても負けてもシャレにならないですからね。
「中国4000年の歴史」と言われますが、今でも漢籍に学ぶ人も多いですかね。
私は三國志は普通に読み物としても面白くて。
このウェブサイトというかブログも背水の陣で書いてますがね、その気分じゃないとダメですかね(苦笑)。
実は三國志と言っても、小説や原典は全く触れた事が無くて、横山光輝の漫画とコーエーテクモの三國志シリーズの一部作品の知識です。
古代の政治戦争ゲームみたいな感じですが、私が好きな作品は「武将プレイ」と言われている作品で、君主を選ぶ作品ではありません。
戦争シーンは陣形を駆使して戦うⅤが好きです。
Ⅴの音楽は服部隆之氏で、ウェブサイトにも1曲アレンジしたのを上げましたが、あの音が作れないので無理矢理ああいう形にした感じです。
話の大筋を。
漢帝国の末期に、と言ってもそれが末期たらしめた原因なんですけど、社会が荒廃してきた所へ来て、太平道という当時の新興宗教が黄色い頭巾をかぶって「蒼天既に死す、黄天当に立つべし」というスローガンで「黄巾の乱」を起こして、実態は掠奪を働くような大規模暴動のような物だったんですかね、政府が掃討作戦に打って出て、その時の高札に応じたのが関羽と張飛という豪傑を従えた劉備です(桃園の誓い)。
劉備は、漢帝国の王族の末裔で、『三国志演義』では徳のある善玉のリーダーです。
その掃討作戦を指揮したのが何進という将軍で、この人は元は屠殺屋(肉屋)で、妹が皇帝に嫁いだとかで、その地位になっています。
官軍には代々(?)高官を務めているエリートの曹操もいて、のちに名門の袁紹と確執を起こす事になります。
曹操には「治世の能臣、乱世の奸雄」という評価があります。
掃討作戦が終わると、何進将軍が十常侍という官僚(?)たちに暗殺されて、その十常侍を粛清して実権を握ったのが董卓です。
董卓は「酒池肉林」と言って暴君とされ、政治的にはハイパーインフレを引き起こしたそうです。
曹操が七星の剣という宝刀を献上するように見せかけて董卓に近づいて暗殺しようとしたんですけど、董卓は呂布という豪傑をボディーガードに付けていて、すんでの所で暗殺計画は失敗に終わって、曹操は都を離れます。
呂布は董卓の配下が赤兎馬という名馬を与えて舌先三寸で寝返らせたという事です。
「馬中の赤兎、人中の呂布」という評価があります。
曹操が袁紹を盟主に担ぎ出して反董卓連合を結成したんですけど、董卓は首都の洛陽に火を放って西の長安に遷都したりして、連合も空中分解してしまいます。
結局、王允という人が貂蝉という絶世の美女を呂布に近づけて、董卓がそれを見て貂蝉を愛人に召し上げて、呂布が怒って董卓を斬りました。
これを「連環の計」と言います。
董卓は「女性に次々と"相手"をさせた後に2階の窓から投げ捨てていた」とか「ヘソの油に火を灯したら永遠に燃えていた」と言われています(笑)。
その後群雄割拠状態になって、話の前後関係がイマイチ掴めないんですが、袁紹の遠戚の袁術が、孫策に兵を分ける代わりに、孫策の父の孫堅が戦乱の中で発見した玉璽をもらって、玉璽というのは皇帝の印鑑みたいな物で言わば「この印籠が目に入らぬか(水戸黄門風に)」みたいな事なんですけど、それを持ち出して皇帝を僭称して曹操や劉備らと対立します。
陳宮という人が曹操を危険人物として呂布を担ぎ出して、呂布が戦場で「遠く離れた戟(槍の刃の部分)に矢を当てたら双方兵を引き上げさせる」というのでそれを成功させて調停に入ったりして、呂布もその後長くはありません。
類似した話ならウィリアム・テルとか那須与一の弓の逸話もありますよね。
曹操が黄巾の残党を「青州兵」と言って組み入れて、私はゲームでは「このイベントが起こったらゲームセット」と言っていますが、その辺りで東の方の徐州で、名前は忘れましたが武将(?)が曹操の父親を護送中に金品に目が眩んで殺害して姿をくらませて、激怒した曹操は徐州の民を虐殺しました。
これ以降暴君のイメージが付いたんですかね。
袁紹が河北(黄河の北)で勢力を磐石なものにしましたが、曹操に官渡の戦いで大敗して、曹操が北部をほぼ手中に収めます。
曹操が関羽を気に入って配下にしようとしたんですけど、劉備に忠誠を誓っていて、敵方の豪傑を次々と破った後に劉備の下へと帰る千里行が有名です。
関羽は豪傑ですが、そろばんのような物を発明したとかなんとかで、商業の神様にもなっていて、横浜の中華街にも関帝廟がありますよね。
張飛は他の人に「兵隊」と評されて、劉備が激怒したそうです。
劉備が知恵者を欲して、「臥竜」と評される諸葛亮孔明に協力を請いに行って、これは「三顧の礼」と言われます。
諸葛亮は晴耕雨読の生活をしていましたが、彼らに「水魚の交わり」を感じたりして、熱意を感じ取って劉備に仕える事になります。
この頃には、「臥竜」と並び称される「鳳雛」の龐統や、母親を人質に取られて曹操に下ってしまう徐庶や、「白眉」の馬良らの智将も揃っていました。
「江東(長江の東)の虎(小覇王)」と評された孫策が、于吉という仙人を「人心を惑わす」というかどで呼び出して斬ってしまうんですけど、その後毒矢か何かを受けて死んでしまって、これはそのタタリという事になっています。
呉は弟の孫権が継ぐ事になりますが、孫策と義兄弟の周瑜は「美周郎」と言われる才色兼備で、孫策は大喬、周瑜は小喬という絶世の美女姉妹をそれぞれ娶って、名実ともに兄弟になっているワケです。
曹操は南征する際に小喬を手に入れようとしていたという話もあるそうですが、劉備が諸葛亮に進言されて、呉国の兵力を使って対抗して曹操軍を退けたのが赤壁の戦いです。
三國志のドラマを観ていて、「一晩で十万本の矢を調達しろ」と周瑜に言われた場面で、「相手に撃たせてそれを貰えばいいんじゃない?」と即答してたら、諸葛亮の策略もそれでした。
劉備孫権連合が大勝した要因は「曹操軍が疫病にかかった」とかあるんですけど、「苦肉の策」と言って、「不利を理由に周瑜と対立した老将が百叩きの刑になって曹操軍に投降する時に、長江を渡るための曹操軍の船を鎖で繋がせて、それを火計で全て沈める」という物です。
「諸葛亮が天候を読んで風向きを計算した」とかいう逸話もあります。
劉備と孫権もそのためだけに手を組んだようなものなので、劉備は諸葛亮の「天下三分の計」を聞き入れて、南西の蜀を目指します。
北部の曹操が魏で、南東の孫権が呉です。
これで「三国の鼎立(ていりつ)」が成るワケです。
曹操は実力主義で、劉備は義理人情、孫権は配下への信頼と言われます。
その後も諸葛亮の南征とか「出師(すいし)の表」以降の「泣いて馬謖を斬る」とかすったもんだあるんですけど、五丈原の戦いで「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と言って、これは「諸葛亮が戦場で死亡しても、生きている司馬懿が恐れて兵を退く」という話です。
「走る」というのは「逃げる」という意味があって、英語の「run」にも「逃げる」という意味もあります。
最終的にはその司馬一族が魏の中で実権を握って、中華全土を統一して晋を打ち立てます。
『魏志倭人伝』が有名ですが、この頃日本は卑弥呼とかですかね。
ヨーロッパでは、三國志のちょっと前辺りが安敦ことマルクス・アウレリウスとかの五賢帝時代ですかね。
だーっと大まかに言いましたが、実際は三国時代より前の、「そこに至るまでの過程」が面白いと思っています。
私が好きな武将は諸葛亮と趙雲です。
武官は呂布や関羽より趙雲です。
趙雲は、劉備の奥さんと子供の阿斗を守るために単騎駆けした話が有名ですよね。
劉備の奥さんが足手まといにならないように井戸に身を投げて、赤ん坊の阿斗を抱いて敵の大群の中を駆け抜けた話です。
そこまでして守った子供がのちの「暗愚の象徴」である劉禅とは(苦笑)。
「暗愚で己の過ちを知らず」という評価がありますが、つまり「自分が間違ってる事すら気付いていない」って事ですよね、これ以上無い酷い言われようですが。
「暗愚」の対義語は「賢明」ですか。
最後に、漢帝国の成り立ちの話を。
小学校の時に近所の本屋で司馬遼太郎の『項羽と劉邦』を買って、これは、秦が春秋戦国時代を統一して、直後の話です。
項羽は家柄も良く能力が高くて、劉邦は能力はそんなに高くはないものの魅力的な人物で、配下に張良とか韓信とか有能な人が集まってきて、結果的に劉邦が漢帝国を築きました。
韓信の「背水の陣」というのは、「敢えて川を背に陣取ることによって、その方が逃げ場が無いから兵士が頑張る」という戦法です。
有名なエピソードは、秦の始皇帝を見た時に、項羽は「あれを倒してやる」と思って、劉邦は「ああなりたい」と思ったという心理描写です。
虞美人草とか四面楚歌とかでしたっけ、項羽が失敗したのは、今で言えばワンマン社長な感じでしょうか?
始皇帝は、万里の長城とか中央集権と郡県制とかあるんですけど、他に重要な点で、李斯に進言されたのか何かで焚書坑儒というのがあって、これは、「儒学書を焼いて儒学者を埋める」という意味らしいです。
要するに、年功序列とか男尊女卑的な旧来の道徳を変えようとしたんですかね。
日本では江戸時代でも朱子学として儒学を取り入れていたんですかね。
ルソーも「ローマやスパルタでさえ滅びた以上、どの国が永遠に続く事が考えられようか」と言っています。
歴史学者が「恋人と別れた時に『何で失敗したんだろう』と考えない人は、何回も同じ失敗を繰り返しますよね。歴史を学ぶ意味はそこにある」と言っていたのを聞いて、それは同感です。
私は現代に至るまでの歴史ロマンも感じ取る意味も込めて、高校の時は成績はともかく一応日本史ではなく世界史を取っていました。
歴史と経験は違うかも知れませんが、とにかく、将来の「野望」を実現するための布石な意味も込めてです。
『孫子の兵法』ですけど、曹操が註釈を付けたものが現存しているそうで、有名な格言は「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というヤツです。
私は「勝てない無謀な戦いはしないって事だな」と思ってますが、確かに負け戦でも譲ってはならない場合もあるような無いような。
ただ、戦争は囲碁将棋とかスポーツとかとは違って、勝っても負けてもシャレにならないですからね。
「中国4000年の歴史」と言われますが、今でも漢籍に学ぶ人も多いですかね。
私は三國志は普通に読み物としても面白くて。
このウェブサイトというかブログも背水の陣で書いてますがね、その気分じゃないとダメですかね(苦笑)。