Romancing Note

あと何回桜見られるか。

将棋と相撲

『日本大相撲』という相撲シミュレーションゲームをヤっていたら、新弟子のスカウトの口説き文句で「横綱の土俵入りから教えてやるよ!」という選択肢があったんですけど、私は「攻めと受けのバランス」の雲竜型ですかね(苦笑)。
「攻めダルマ」は不知火型ですか?

フェンシングの団体が、競技で実績を出した太田雄貴氏が会長になって、切っ先などを電飾したりした演出を加えて大会(?)をヤったらチケットも完売して、元々少なかった競技人口はほんの微増だったものの、スポンサーが付いて団体の収入も倍になったそうで、それでも代表級の選手の競技を続ける上での費用も自己負担だったりして、ストイックに強さを求めたい人達と団体の間に溝ができそうだという話を聞きました。

レスリングがプロレスになって全く違うものになったように、エンタメ化すれば観てくれるようになるかも知れませんが、そうすると、一部の人達には受け入れられなくなりますよね。
実際は一部ではなくて大多数なんですけど(苦笑)。
ニュースでもレスリングの報道はしてもプロレスの報道はしませんよね。
別の機会に語ることになると思いますが、私が生まれた後ですけど、これもニュアンスで日本では「ガチを売りにしたプロレス」というのができて、それが総合格闘技ブームに繋がるんですよね。

とにかく、「研修生みたいな中から歌って踊れて喋れて演技もできる見た目が良いのを5人くらい集めてSMAPとか嵐」とか、プロレスなら「闘魂三銃士」みたいに、ヘタすると「ただのバックダンサー」でしかないものを、そこにキャラクター性とストーリーを付けたら観てくれる人も増えるかも知れないじゃないですか。

将棋も無機質に盤上どういうことが起こってるかだけを追ってもそれはそれで楽しいんですけど、そういう人は研究者タイプかも知れませんね。
逆に、勝負メシを気にしたり、将棋は判らないけど特定の棋士だけを応援したりするような人は「ミーハー」というヤツですが、プロレスで言えばギミックで、盤外戦術という言葉もあります。

力士は英語で「スモウレスラー」で、プロの将棋を大相撲に例えて説明しましたけど、幕内の技巧派小兵力士を応援したり、こういうものは名人や横綱だけを推すことも無いですよね。

「綱を締める」というのはそもそも日本では「神であり、そうでなくとも神の領域」ということなので、番付の最高位は大関で、その昇進時にも伝達式などをしたりしますが、横綱になるには大関になって二場所連続優勝かそれに準ずる成績を達成した上に、横綱審議委員会で審議を通過する必要があります。
つまり、「綱を締める以上品格が求められる」ということです。
1回横綱になると負け越しても降格はしませんが、素行が悪かったり成績がふるわなかったりすると、引退勧告もされます。
相撲はただの格闘技ではなく、文化的には神事の側面もあるんですかね。
なので、日本人としては強い日本人横綱が待望されたりするのもこういった所から来るものでしょう。
これを横綱神学というんですか?

番付というのは言わばランキングですけど、長者番付とか、筋肉番付とか格付けチェックみたいなバラエティ番組もありますよね(笑)。
番付下位が上位に勝つと「番狂わせ」で、平幕が横綱に勝つのを「金星を上げる」と言い、観客が座布団を投げたりするんですよね。

私は「将棋だと、A級が三役で、タイトルホルダーが大関で、永世称号資格保持者が横綱」というような認識でいますが、横綱は一代年寄であり、引退しても死ぬまで名乗ることはできて、将棋では現役の間はこと名人に関しては永世称号は名乗ることはしないみたいですね。
永久に名が刻まれるということでしょうか。
つまり他のタイトルを疎かにしているワケでもないんでしょうけど、名人や横綱は別格なんですかね。
ただ、「対局や取組が多すぎる」という意見もあるようですよ。
年寄名跡を獲得すると、部屋を持って親方になったり、部屋を開かなくても部屋付き親方になれたりします。
将棋でも師弟関係はあります。

相居飛車ががっぷり四つで、居飛車対振り飛車の対抗形が差し手争いのケンカ四つで、奇襲系が立ち会い変化などの注文相撲みたいな感じだと思っていて、大相撲の解説で「上に行ったらまわしを取っての芸が無いと通用しない」と聞いて、高いレベルになると、「小さくて弱いヤツを突き押しで吹っ飛ばせばいい」というようにはならないということでしょう。
「横綱相撲」とは言いますが、相撲の取り口でも玄人の仲間内に認められるようなことがないと、それこそ品格も問われますからね。

勝率ですけど、これもウェブサイトで書きましたが、3勝2敗が勝率6割(9勝6敗)ということです。
将棋だと上のクラスは予選シードになって上位としか当たらなくなったり、相撲でも三役以上は幕内上位や好成績の調子の良い力士としか当たらなくなったりするワケです。
大学の頃大相撲を一緒に観に行っていた友人がある力士を「十両横綱」と言っていたのを聞いて、「稽古場横綱」という言葉もありますしね。
マグロは英語でツナですよね。

和服とか扇子は、化粧まわしとか太刀とか弓みたいなものだと思ってますよ。
名軍師の諸葛亮孔明は羽扇を持ってますよね(笑)。

とにかく、これが私の観戦スタイルなんですけど、「こういう見方をすると更に楽しめるようになるのではないか」という話でした。
まあ私もヤったことの無い競技や詳しくない競技では通な見方もできないですけど、勝ち負けのあるものは結果が明快ですし、そこはアートとは違う楽しみ方もできるのではないでしょうか?

「俺の将棋もそういう見方してくれてる人もいるかな」とは思ったんですけど、「巨人とか強い所に対して『アンチ』とか言うのは判るけど、そうでないものに対して『アンチ』って何なんだ」という意見もそうですよね。
「憎たらしいほど強い」と言われた横綱もいましたよね。
「まあ俺にもアンチはいるよな」くらいには思ってますんで(苦笑)。

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