Romancing Note

あと何回桜見られるか。

信長の野望シリーズの話

コーエーの信長の野望シリーズですけど、これは所謂日本の戦国時代から江戸幕府成立までのお話です。
毎回同じ話でも、タイトルごとにゲームシステムが違って、私がクリアしたのは「武将風雲録」です。
実は他のタイトルはプレイしても途中で挫折したりしていて、プレイしたタイトル自体もそれほど多くありません。
類似したゲームで「太閤立志伝」というのもあって、これは豊臣秀吉がいかに立身出世していったかを追体験するゲームです。

武将風雲録では、友人に教えてもらったんですけど、「収穫期の安い時に現金を米に変えて翌年の相場が上がった時に一気に全部売る」という米式投資という先物取引ができて、私は最初慣れるまでそれでヤってましたけど、武力100の上杉謙信を使って日本を真っ青に染めて、次は足利家で「室町幕府再興」とか、クリアしたのはこの2回くらいだったと思います。

戦国武将で日本人なら誰もが知っているのは、織田信長と豊臣秀吉と徳川家康ですよね。
実はこの3人は顔見知りどころか深く繋がっていた人達です。
他に有名なのは武田信玄(甲斐の虎)と上杉謙信(越後の龍)と真田幸村(日本一)と伊達政宗(独眼竜)あたりでしょうか。
明智光秀(ハゲネズミでしたっけ?)は中央とも深く関わりがあって、謀反を起こして本能寺の変で織田信長を討って、織田信長の命で中国遠征(日本の中国地方ね)に赴いていた豊臣秀吉に神速の速さで取って返されて討ち返されたという、所謂三日天下の人です。

ゲームでは信長の誕生あたりから始まるんですかね、またおおまかに流れを書き散らすので、これからゲームを楽しまれる際の参考になさってください。

織田信長は幼少期は「尾張(現在の愛知)の大うつけ」と言われて、うつけものというのはやんちゃ坊主というような意味ですかね。
実際の人物像としてはどうなのか判りませんが、家督相続の時にも色々あって、私が覚えているのは、父親の葬儀で抹香を棺(位牌?)に投げつけたという逸話です。
他にも、乳母の乳首を噛みちぎったという逸話も覚えていますが、私はそこまでのうつけではないかも知れません。
「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」という詩というのか言葉を遺してますよね。

駿河(現在の静岡)の今川義元が上洛(上京。京というのは朝廷と室町幕府のあった現在の京都)する時に、「大軍でも細い道を通る時は列が長くなって総大将を討ち取りやすい」という発想が有名な桶狭間です。
所謂奇襲ですけど、これで天下に名を知らしめると同時に、今川家に従属して不遇の時代を過ごしていた三河の松平元康改め徳川家康を独立させて、同盟を組むことになりました。

美濃(現在の岐阜)で「マムシ」と評された油売りの斎藤道三が国を乗っ取った後に、その娘を嫁に迎えて、そこの家督相続のゴタゴタに乗じて美濃を手に入れて、稲葉山城を岐阜城に改名したんでしたっけ、そこで「天下布武」を宣言しました。
その際に活躍したのが、農民出身だか何かの木下藤吉郎改め羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)で、美濃の名軍師の竹中半兵衛や国人衆(野武士?)の蜂須賀小六や滝川一益とかでしたっけ、を登用して、墨俣の一夜城などで功績を上げて、織田家の中で頭角を現しました。
墨俣の一夜城は、「川上で材木をあらかじめ加工しておいて、夜になったら川上から流して、あとは一気に組み立てるだけ」という築城の話で、前にも書きましたが、これはほぼ砦のようなもので所謂前線基地で、秀吉はのちに大坂城のような大きい城も建てています。

織田信長は安土城を建てて、この室町時代と江戸時代の間の戦国時代の一時期は安土桃山時代と言われてますよね。
戦国時代自体は北条早雲の「国盗り」から始まるんですかね。

一時期青森の運送会社社長か何かの羽柴誠三秀吉という人がよく選挙に立候補しまくって、私も「変わった人がいるなあ」くらいに思って応援してたんですが、羽柴秀吉の羽柴というのは、同じく織田家の重臣だった丹羽長秀と柴田勝家から一文字ずつ取って改名したものです。
信長には「猿」と呼ばれていたという逸話が有名ですが、「人たらし」という評価もありますよね。
「信長の草履を温めて気に入られた」という話も残っていますが、これも言い伝えのようなものらしいです。
「飛車先の歩を外しておけば初手で飛車が成れるじゃないか」と言って、これは太閤将棋と言われています。

信長の妹のお市の方は美人で、近江(現在の滋賀)の浅井家に嫁いで3人娘を産みましたが、浅井は「信長包囲網」で北陸の朝倉家に付いたので、信長と対立して滅ぼされます。
最初信長は室町幕府の最後の将軍の足利義昭をかくまって幕府の再興を支持するようなことをしていたものの、足利義昭は裏で諸国の大名に働きかけていたので、信長も愛想を尽かして、その諸大名と対立して包囲網ができました。
秀吉はねねという正室がいたのに、お市の方とどうしても結婚したかったので、後家殺し(マダムキラー)になろうとしたものの、お市の方は容貌が鬼な柴田勝家の方に行ってしまって、結局その娘を「関白になったら俺のものになってくれ」みたいな感じでムリヤリ想いを遂げたんですかね。
淀君(淀殿?)でしたっけね、大阪に淀川ってありますよね。
「亭主関白」とか「かかあ天下」という言葉もありますが、関白というのは朝廷の官位ですかね、なんか他の執着というか執念もかいまみえるんですけど(笑)。

結局豊臣家が主君筋になって、東で力を蓄えていた「タヌキ」の徳川家康と対立して、関ヶ原の戦いと相成る訳です。
結果はご存じの通り東軍の勝ちで、徳川家康が征夷大将軍になって江戸幕府を開きます。
徳川家康は東照大権現を名乗って、自らを神格化しましたよね。

他にも、中国地方の毛利元就の遺言的な話で、毛利家と吉川家と小早川家の跡取り息子を集めて「1本の矢だと簡単に折れるが、3本だと簡単には折れない」という「三本の矢」とか、前にも挙げた「敵に塩を送る」とかエピソードは沢山ありますが、調べるのも大変なので割愛させていただきます。

後で思い出したのは、大谷吉継という人が、癩病(らいびょう)でゲームでは顔を隠したグラフィックですが、癩病は今で言うハンセン病という原因不明の奇形の病気(?)で、茶会の時に彼の鼻水だかよだれだか汁が茶碗の中に入ってしまって、茶道では1つの茶碗を回し飲み(聞こえが悪いか)するようなことがあるんですか、石田三成がそれを気にせずに飲み干したので、大谷吉継は石田三成に忠誠を誓ったらしいです。
私の性欲は「そんなことしてくれるの?」で、本能的にこれだと思うんですけど、石田三成のように振る舞えるかが人格だと思います。
「杉良太郎実践塾」って感じですが(苦笑)。

政治的には、信長の楽市楽座という規制緩和くらいしか知りませんが、信長はキリスト教や鉄砲などの西洋文化を取り入れようとして、仏教徒とも対立しましたよね。
秀吉は検地や刀狩りが知られていますが、朝鮮や中国にも出兵しようとして、一方家康は鎖国を目指して、キリシタンを弾圧して、幕藩体制を築きました。

言わば日本の中世ですけど、こればっかりは鉄砲が日本に伝来して、戦い方も変わって、現代では当時の戦争とは全く違いますよね。

この封建制度ですけど、「論功行賞」という言葉は現代にもありますが、例えば知行(ちぎょう)が100石で10人扶持(食い扶持ということか)だと、要するに「土地というか食糧(米か年貢)が100石で、10人家来を持っていい」ということで、家来を付けすぎると派閥になって下克上(クーデター)ということになりますよね。
所領を守っている武将は大名に仕えてて、大名は将軍家に仕えてて、将軍家は天皇を立てていることになっています。
つまり「主君に仕える替わりに主君はその人に社会的地位を与える」ということですよね。

YouTubeで世界史の予備校講師の短い動画を見ていて、若い男に「江戸時代の身分制度って知ってますか?」と聞いて「士農工商えたひにん」と答えたんですけど、「えた」というのは「穢れ(けがれ)多き」と書いて「穢多」で、「ひにん」というのは「人に非ず」と書いて「非人」なんですよね。
フランス革命前の絶対王政でも「聖職者、王侯貴族、平民」というカーストがあったらしく、ルソーの「人間という名前が恥辱の内にあったかの封建制度の悪用」というのは、この意味に取ってもいいんじゃないかと思いますが、世襲というのにも賛否両論ありますよね。
今はスクールカーストですかね(苦笑)。

さて、現代で勲章以上のものとして征夷大将軍の称号を与えるに値する人物はいるんでしょうかね(苦笑)。

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