ゼロサムゲーム
「ゼロサムゲーム」という言葉を聞いて、「サム」って「サムタイム時々(ガッツ石松風に)」の「some」で「0か寡数(few)かってことかな」とか、「thumb」で「親指」って意味で「0から1を産み出すことかな」とか、「それともTRFのSAMかな」とか色々考えていたんですが、どれもハズレでした(笑)。
正解は「zero sum」で、辞書を引いたら、「sum」は「合計」ということで、「大意」とか他にも意味がある多義語でした。
検索してみたら、「ゼロサムゲーム」というのは、例えば為替などで、どちらかのレートが上がっても他方のレートが下がるので、結局総和が0である、というような内容のことが書いてありました。
今は大抵のことはネットに答えがあるので、ご自分で調べられるのを期待します。
…というとここで話が終わってしまうので、今回は「ゼロイチ」つまり「0から1を産み出す」というのはどういうことかという話をしようと思います。
よく天才を表す言葉で、「1を知って10を知る」と言われたりしますが、私はどちらかと言えば「1を10に膨らませる」タイプかもしれません。
しかし、「何も無い所(0)から1を産み出す」というのもかなり難しく、実際は本義での天才は後者かもしれませんよ。
「例えば」ですけど、私の楽園の方のゲームのアイディアで説明します。
「0→1」というのは、「もし皆が寝てる時に同じ夢を見ていたらどうなるかなあ」という思いつきのようなことを言うのではないかと思います。
私はこの「とっかかり」というか、音楽で言えば「主題」とか「カッコいいリフ」とかですけど、これを考えるのが苦手な感じなので、「他人が考えたメロディ」とかでインスパイアされることが多いんです。
私が「スマッシュヒット」みたいなものは作れても量産が出来ないのはこの理由かと思います。
とにかく、その「皆が寝てる時に同じ夢を見ている」というのが浮かべば、後は「だとするとどういう出来事が起こりうるか」というのを想像して書き進めるワケです。
若い頃数学者を目指されていたビートたけしさんは、「映画を作る時はラストシーンを考えてから逆算する」という、言わば帰納法なんですかね。
その逆の「こうだからこうなってこうなって…」という考え方が演繹法ということでしょうか。
哲学で言えば、その両方をヤったのがカントだそうです。
「0」というので言えば、「ゆるキャラ」や「マイブーム」などで有名な、仏像マニアのみうらじゅんさんがテレビ講義で話していた内容で面白かったのが、「空あり」という不動産の看板を使って次のようなことを言っていたものです。
「仏教用語で『空』というのは『無い』ってことですよ。それが『ある』って言ってるんだから。『無が有る』ってどういうことだと」
無は無であって、「無が存在する」というのは矛盾した話ですよね。
「『自分探し』って、『最初から自分なんて無いんだ』と」として、「1回でも"崖っぷち"に行って突き抜けてるものを見てください、人生観変わりますよ」と言ってましたよ。
「天上天下唯我独尊」というのも、もし本当に宇宙に1人しか存在しなかったとしたら、果たしてそれは「存在する」と言えるのでしょうか?
「存在している」のは事実だとしても、その絶対的存在者が知性的生物であっても、本当に相対的に何も存在しなかったら、「知性」が生まれるのかとか、色々想像できる話でした。
以前「その考え方は数学にも応用されています」みたいな話も聞いていて、「0」という数字がそうなんですかね、他にも、虚数的な考え方で、「本当はマイナスなんてこの世に存在しない概念」とか。
「リンゴ3個を表せ」と言われたら、リンゴを3つ並べれば任務完了ですよね。
しかし、百歩譲って「リンゴ0個」は表せても、「リンゴ-3個を表せ」と言われたら困ってしまいますよね。
足し算と掛け算は出来ても、引き算と割り算って難しいですよね(苦笑)。
「何をかいわんや」ですけど、今回は「他ありて我あり」という結論的なことを書いて筆を置くことにしますか…。
ちなみに「サムズアップ」は親指を立てることですけど、「いいね」とか「グッドラック」みたいな意味ですよね。
以上、これも「考え方」の話でした!
正解は「zero sum」で、辞書を引いたら、「sum」は「合計」ということで、「大意」とか他にも意味がある多義語でした。
検索してみたら、「ゼロサムゲーム」というのは、例えば為替などで、どちらかのレートが上がっても他方のレートが下がるので、結局総和が0である、というような内容のことが書いてありました。
今は大抵のことはネットに答えがあるので、ご自分で調べられるのを期待します。
…というとここで話が終わってしまうので、今回は「ゼロイチ」つまり「0から1を産み出す」というのはどういうことかという話をしようと思います。
よく天才を表す言葉で、「1を知って10を知る」と言われたりしますが、私はどちらかと言えば「1を10に膨らませる」タイプかもしれません。
しかし、「何も無い所(0)から1を産み出す」というのもかなり難しく、実際は本義での天才は後者かもしれませんよ。
「例えば」ですけど、私の楽園の方のゲームのアイディアで説明します。
「0→1」というのは、「もし皆が寝てる時に同じ夢を見ていたらどうなるかなあ」という思いつきのようなことを言うのではないかと思います。
私はこの「とっかかり」というか、音楽で言えば「主題」とか「カッコいいリフ」とかですけど、これを考えるのが苦手な感じなので、「他人が考えたメロディ」とかでインスパイアされることが多いんです。
私が「スマッシュヒット」みたいなものは作れても量産が出来ないのはこの理由かと思います。
とにかく、その「皆が寝てる時に同じ夢を見ている」というのが浮かべば、後は「だとするとどういう出来事が起こりうるか」というのを想像して書き進めるワケです。
若い頃数学者を目指されていたビートたけしさんは、「映画を作る時はラストシーンを考えてから逆算する」という、言わば帰納法なんですかね。
その逆の「こうだからこうなってこうなって…」という考え方が演繹法ということでしょうか。
哲学で言えば、その両方をヤったのがカントだそうです。
「0」というので言えば、「ゆるキャラ」や「マイブーム」などで有名な、仏像マニアのみうらじゅんさんがテレビ講義で話していた内容で面白かったのが、「空あり」という不動産の看板を使って次のようなことを言っていたものです。
「仏教用語で『空』というのは『無い』ってことですよ。それが『ある』って言ってるんだから。『無が有る』ってどういうことだと」
無は無であって、「無が存在する」というのは矛盾した話ですよね。
「『自分探し』って、『最初から自分なんて無いんだ』と」として、「1回でも"崖っぷち"に行って突き抜けてるものを見てください、人生観変わりますよ」と言ってましたよ。
「天上天下唯我独尊」というのも、もし本当に宇宙に1人しか存在しなかったとしたら、果たしてそれは「存在する」と言えるのでしょうか?
「存在している」のは事実だとしても、その絶対的存在者が知性的生物であっても、本当に相対的に何も存在しなかったら、「知性」が生まれるのかとか、色々想像できる話でした。
以前「その考え方は数学にも応用されています」みたいな話も聞いていて、「0」という数字がそうなんですかね、他にも、虚数的な考え方で、「本当はマイナスなんてこの世に存在しない概念」とか。
「リンゴ3個を表せ」と言われたら、リンゴを3つ並べれば任務完了ですよね。
しかし、百歩譲って「リンゴ0個」は表せても、「リンゴ-3個を表せ」と言われたら困ってしまいますよね。
足し算と掛け算は出来ても、引き算と割り算って難しいですよね(苦笑)。
「何をかいわんや」ですけど、今回は「他ありて我あり」という結論的なことを書いて筆を置くことにしますか…。
ちなみに「サムズアップ」は親指を立てることですけど、「いいね」とか「グッドラック」みたいな意味ですよね。
以上、これも「考え方」の話でした!