Romancing Note

あと何回桜見られるか。

銀河漂流バイファムを語る

「死ぬなら一人で死ね」とは言うが、許せないのは許せないのでね、せめて差し違え。
ひょっとしたら汚名が半永久的に記録されても「死んだ後の事なんてどうでもいい」と思ってるのかも知れないし、「僕は死ぬのは怖くはない」とは言っても、そういう覚悟でやってるならまだアレかも知れないが、「呆れて物も言えないってゆーか口も聞きたくない」というのが本音。
恐らく俺が正しいんだと思う。
それでも「お前の方が間違ってる」といつものように罵詈雑言を浴びせられた上に抹殺されるならそれまで。
死ぬまで自分に関する事実を知らずに、死んでも気付かないまま知らない内に恥だけかいて死んでいった…という凄惨な歴史的事件。
大学の時にも「『知らぬが仏』と言うからね」とか馬鹿にされた事があって、まあそんなもんでしょう。
東大出身の女性講師に「大学みたいなアカデミックな場所でもいじめはある」と言われて、「批判と中傷は違う」とか思ったりしてましたが。
「ホントは俺以外みんなテレパシーが使えて俺にだけ伝わってこないのかなあ」とか、「世の中を舐めきっているからこういう事になる」とか、まあ私も舐めきられてるのかも知れないですし、反撃の一つくらいでもしてから死ぬ事にしますかね。
そういうのに縁が無い人にも言っておきますが、ハッキリ言ってああいう連中も酷いですよ。
「お前は酷くないのか」とか言われそうですが、機嫌が最悪な時に書き始めたのでこうなります。
どいつもこいつもわざとらしく「自分が一番辛いんだ」みたいなツラしやがって、「俺がどんな思いで生きてきたか」判らないようだな。
「俺がどんな思いで生きてきたか!」というのは後述のシド・ミューラァという敵方の不遇の将校のセリフです。
私は「食うには困らなかった」ですけど、精神的には最悪な時期が長かったのは事実なので。
見返りのような物も全くありませんし。
あまつさえ精神病院の閉鎖病棟(隔離病棟)に入れられて、それもテレパシーが無かった事にされそうになって、今も全くもってストレスでしかない。
「自分の部屋があってスマホも持てて、それだけでもありがたいと思えよ」とか言われそうですがね。
私でも怒る時もありますので。
怒ってる理由は、「金がもらえない」とか「好物が食えない」とか「女と付き合えない」ってのもあるが、一番の理由は「嘘をつかれてる」ことで、そういう非道を重ねておきながら俺に向かって「ふざけるな」とか言い、「ふざけてるのはどっちだ」となるのは当然。
怒ると死ぬまで殴り続けて殺そうとする殺意くらいまでいくので、俺と付き合う人は気を付けてください。
本気で「殺そう」と思ったことは何度かあって、地球を破壊できる爆弾があれば使うかも知れんな。
頭の中が伝わってるってだけで、まあテレパシーの価値なんてそんなもんよ。

そろそろ本題の内容を語りますか。

始めに手っ取り早く言うと、ガンダム系の宇宙戦争モノと『十五少年漂流記』を組み合わせたような感じです。
物語の中心になるキャラクターはいるんですけど、群像劇的な要素が大きく、主人公となる少年少女は13人で、下は4歳から上は15歳です。
思春期の心情を描くのがメインテーマだったとしたら?

クレアド星という地球の植民地がアストロゲーターと呼ばれる異星人の攻撃を受けて、主人公っぽいロディが弟のフレッドと読書好きのペンチという女の子と、軍のスペースシャトルで他の大人の一般人たちとともに宇宙ステーションに避難させられて、そこで、最年長でリーダーとなるスコットとお母さん的な役割を果たす事になるクレア、それからマルロとルチーナのおチビちゃんたち、ミリタリーマニアのタカ派のケンツと、思った事はズバズバ言うシャロン、一人称が「あたい」のブロンドのマキと出会って、同じく植民地のベルウィック星に向かう事になります。
宇宙空間でもアストロゲーターに襲われて大人たちが次々と死んでいって、艦長の「中尉特攻」のシーンもあるんですけど、そのベルウィック星でカチュア(実は異星人)とジミー、クレーク博士と助手のケイトさん、それからジェームス・ディーンのようないでたちのバーツという「これが俺なのかな?」と思わされるキャラクターが加わります。

それで博士とケイトさんも死んでしまって、子供たちが自分たちでジェイナスという「外宇宙練習艦」を操縦しなければならなくなって、最初は地球に戻る予定だったんでしたっけ?
それがククト星に両親が囚われている事が判って、そこに進路を変更する事になります。
ククト星の巨大人工衛星のタウトにロディが単身乗り込んで捕らえられて、そこでアストロゲーターであるククト星人の反乱分子に出会ったりして、彼らは地球との和平を主張していますが、その辺の交流も見どころではありますかね。

先述のシド・ミューラァですけど、ククト人と地球人のハーフで、ククトの軍属のエリートではありますが、その出自のために内部で冷遇されていて、結果彼の忠誠も薄れて最後翻ってククト軍に特攻してしまいます。

メカの種類は少なくて、白のバイファムにはロディが、旧式の赤いネオファムにはバーツが、新型の二人乗りの青いトランファムには主にケンツと砲撃手の女の子が乗っています。

ケンツの成長が著しく、性格が変わったとまでは言えませんが、彼との絡みは面白いです。
声はドラゴンボールの孫悟空の野沢雅子さんです。
クレアの声はサザエさんのカツオの富永みーなさんで、バーツの竹村拓さんもサザエさんに出ています。
カチュアの笠原弘子さんのCDも近くの中古ショップで買いましたが、『本当の私』は結構良かったです。

ここで、『機動戦士ガンダム』のストーリー(というより設定)の解釈を書き残しておきます。

ガンダムは私が生まれた年に、私が生まれる前に始まって、主人公のアムロとララァという少女はニュータイプで、ニュータイプっていうのは主に他の人の心が読める方のテレパシーみたいなのがある、当時の言葉で言えば新人類ってヤツです。
キャスバルとアルテイシアが際立っていて、この兄弟はシャアとセイラとして、それぞれジオンと地球連邦に生き別れになっていますよね。
彼らはスペースコロニー(宇宙植民地という意味で、巨大な人工衛星に大勢の人が居住している)であるジオン共和国の有力者の子供だったキャスバルとアルテイシアは、実権を握ろうとするザビ家に命を狙われていて、実際両親を殺されてそれを察知したキャスバルはシャア・アズナブルとして(実際には入れ替わっていて、入れ替わった本物のシャアは死亡)ジオン軍に入って、それも察知されて殺されるか殺されないかくらいの綱渡りをしながらザビ家に復讐しようとしているんですかね。
「なんかこれが俺だとでも言いたいのかな」とか思ってるんですが(苦笑)。
ギレン・ザビは、「ギレンの野望」とか言われて、ナショナリズムを煽って権力を握ろうとしていて、ザビ家は兄弟みんなタイプが違って、「みんな母親が違うんじゃないの?」とか思いながら、地球連邦と小競り合いとかもあったんですけど、そんな事をしていたら、前にも言いましたけど、ジオン公国として独立したまでは良かったものの、偵察隊みたいな一兵卒のザクが自分の判断で勝手に攻撃してしまって、それがきっかけで本当に開戦してしまったという感じでしょうか。
その小競り合いもシャアがわざと誘発したようなものです。
バイファムの中にも「軍隊は命令が無いと動けんのだ」という軍人のセリフがあって、軍隊は規律の世界なので、兵士も法律みたいなのは知っていなければならないんですかね。
優秀なモビルスーツ製作のミノフスキー博士もいて、彼も連邦に亡命しようとしていたみたいですけど、ナチスドイツからアメリカに亡命して、結果原爆を生み出してしまったアインシュタインを彷彿とさせます。

同じ宇宙ロボットモノでも、実はガンダムよりもバイファムの方が好きで、確かにガンダムの方が先駆的で名作感もありますが、それも私のサガの企画のアレで「テレパシーのヤツの方が評価が高いかも知れないけど、自分では楽園のヤツの方が気に入ってて、頻繁に読み返すのも楽園の方」っていうのに似ていますかね。
最初に凄いのができてしまうと、二番煎じ感とか、後発の作品はより厳しい目で見られる事もあると思いますし、クリエイターの「デビュー作に作家の全てがある理由」というツイートを見て、確かにそんな感じではあるかと。
もっとも、私は自分で作ったキャラクターの堕天使ルシファーが気に入っていて、曲も良いのができたので、深層心理で願望みたいなのが作用していたりして。
まあ具現化できるかもかなり望み薄ですし、一人でやるなら小説くらいですが、それはそれで骨が折れますよね。

とにかく、この手の物でもガンダム以前は「ロボットに乗ってただ悪者をやっつける」みたいな感じだったんですかね、「投書とかも子供からじゃなくて女性とか大学生とかからも来ていた」みたいな事を言ってましたけど、単なる子供向けアニメではない趣もありますよね。

バイファムは放送されていた時間帯がドラえもんの裏で、それが関係あるのか知りませんが、いわゆるゴールデンタイムなのに視聴率が4%とかで打ち切りになりそうになって、番組継続を求める署名運動が起こったとか何とかで、総集編的な2回を挟んで、後半は主題歌が半音上がってテンポも速くなっていて、この主題歌は英詞で、私も大人になってからは半分くらい聞き取れましたが、スペシャルボックスが出た直後に出版された設定集的な本に載っていた歌詞カードを読んでやっと全貌がつかめました。

ちなみに、バイファム本放送時は私は4歳くらいでしたが、中学生の時にテレ玉で再放送されていたのを観て気に入って、大学卒業後に無理を言ってBOXを買いました。
パソコンとキーボードに次ぐ、人生で3番目に高額の品物の買い物でした。

「アメリカがジャイアンで日本がスネ夫で、韓国とか中国ののび太をいじめてるようなもんなんですよ」とは私が思いついてしまったセンテンスなんですけど、テレビで「受け売りしてるだけ」と言って同じ事を言っていた文筆家がいて、私が続けて「金持ちじゃなかったらただいじめてるだけのクズで、いずれジャイアンにも相手されなくなって」と思って、「いじめに加担するヤツってのは、自分が自分を客観的に見てもどういう事になってるのかすら判らないほど知能が劣っているか、それを悪だとも思わないほどの生来の悪人か」っていうのを判りやすく例えただけなんですけど、まあ私がドラえもんなんだとしたら、「好物のどら焼きも食えずにネズミにかじられて妹のドラミも助けに来ないでエネルギー切れを待つ」って感じですか。
のび太は「のび太の立ち回り方」を知った方が賢明かと。
「僕は出木杉くん」とか「私はジャイ子じゃなくてしずかちゃん」だと思ってる「自分はバカだと思ってない」連中もいるかも知れませんがね。
ジャイアンのセリフで今でも覚えているのは、のび太とスネ夫がラジコンか何かで遊んでた時の「どれどれおじさんに貸してみな」ってヤツなんですけど、それでジャイアンはこういう時に大抵全部壊しちゃうんですよね。
この「お前の物は俺の物、俺の物は俺の物」というジャイアニズムですけど、高校の時に部活の先輩が「ジャイアン、映画だと妙にいいヤツなんだよ」と言ったんですが、「スネ夫、映画だと結構頑張るんですよね」というのも耳にしました。
ドラえもんの登場人物のどれにも当てはまらない場合は何なんでしょうかね。

アメリカとの違いは、日本は豊かな国ではあっても大富豪が少ない事ですかね。
「自称保守には耳の痛い話だと思いますけど、自称保守とか右の連中はね?」ってのに笑ってしまいました。
「正義と正義がぶつかってる」とはたまに聞きますが、相手が悪であるなら正当性もあるかも知れませんし、どうなんですかね。
何度も言うように批判と中傷は違って、ライバル心と敵対心も違うのでは?
最近では批判と中傷の他に「正論」というのがあるみたいですけど。

私はドラえもんは結構好きです。

後世に残るかは判りませんが、いずれにしても地球は無くなるらしいので、私一人でこんな事やってても大した問題ではないかも知れませんね。
呆れて物も言えないし口も聞きたくない。

報復に近いですけど、これも今の心境の吐露であり、「文章を書いている時は別人」みたいな言われ方をしていても、「天才は実は普段汚い言葉を使ってて、罵りの言葉も次々と思いつく」というのを聞いて、今回は腹立って将棋の成績も低迷している時期に書いてます。
で、結局全世界がグルになった詐欺なんでしょ?
「真綿で首を締めるように」というよりは「自らの手を汚さずに」と言った方が適切かも知れませんな。

さて私の記録がのちに今の時代と合わせてどう評価されるんでしょうか。

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